- 松永史談会 -

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雑誌「都会及農村」3-7、大正6年7月刊

2018年03月08日 | 河本亀之助と東京洛陽堂
この雑誌は天野藤男を編集人として大正4年11月創刊された雑誌だ。本号は「盆踊研究号」とある。大正期における代表的農村研究者としては農学者横井時敬や農村の再建運動に取り組んだ山崎延吉らの名前がまず挙げられるが、在野の農村問題研究者として天野は洛陽堂などを舞台として貴重な何冊かの著書を刊行している。洛陽堂の経営者河本亀之助らは原稿の内容には口出ししなかったようで、そういう面では編集者としては凡庸だった天野らがやりたい放題(いな、悪戦苦闘、試行錯誤)といった内容の、完成度の低い書籍が洛陽堂から一時量産された。内務省嘱託時代が彼の全盛期であったが、その農村社会学風ないし民俗学風の農村研究を推進したという点でその方面の我が国におけるパイオニアの一人といってもいい位の人物ではあった。
佐藤 精作「天野藤男--社会教育の源流をさぐる 」社会教育20-7、1965、pp.58-65という小論考があるようだ。

天野藤男、新渡戸稲造、本多静六、高島平三郎、鎌田栄吉、三輪田元道、田中穂積、小酒井光次(永井潜の弟子:東北帝大医学)らの論考を所収し、橋口五葉表紙。 創刊号には元警視庁特高課長だった丸山鶴吉が執筆、洛陽堂と丸山鶴吉とは郷党意識の共有を通じて繋がっていた感じだ。

亀之助の原稿依頼方法
静岡市清水区草ヶ谷の大乗寺にある天野家墓地

天野家墓地の背後に「草ケ谷家」の墓石。草ケ谷という珍しい苗字は清水区庵原町 に多い。天野家はこの地区の旧家。天野家墓地内には武田信玄かだれかの供養塔もあるらしいのでそういう方面にこだわる家筋なのだろうか。


洛陽堂・河本亀之助にかんしては以下の本が参考になる
田中英夫『洛陽堂河本亀之助小伝―損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』、燃焼社、2015
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