- 松永史談会 -

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天保5年備後国国絵図の中の「つるぎの宮」

2017年04月22日 | 松永史談会関係 資料配布
天保5年備後国国絵図の中の「つるぎの宮」

沼隈郡内では九州往還沿いの「つるぎの宮」・伊勢山、明王院、そして瀬戸内航路(山陽沿岸を通る地乗り航路)に沿った阿伏兎観音、鞆の番所・古城跡・鞆の観音堂そして鞆町あたりの無人の島々など。街道沿いの河川については船渡・歩行渡など渡河事情が詳細に注記されている。今津一里塚と鞆街道の表現はやや地図的なディフォルメが著しい。
鞆町及び後地一帯は大きく誇張されている。
鞆の番所は記載されても芸藩と福山藩との藩領境にあった防地の番所は無記載。わたしが注記した「川尻」(藤井川河岸)辺りに図示されている一里塚は今津一里塚同様、場所がかなりずれている高須のそれ。


国立公文書館デジタルアーカイブ
公開されている内容:
元禄国絵図
元禄郷帳
天保国絵図
天保郷帳
正保城絵図


jpeg2000でDLすると2.8Gバイトくらいの巨大なファイルになる。高精細だが、普通の人には扱いにくいかもしれない。
備後国郷帳



備後国国絵図は天保図のみ公開



寛永の備後国絵図では神村は「賀村」(かむら)と表記している、発音は「かむら」だろう。
九州往還は吉和―尾道―高須ーそのまま山手方面に。今津は記載なし。
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