- 松永史談会 -

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郷友雑誌「飽薇(ほうび)」

2013年09月13日 | 教養(Culture)
郷友雑誌「飽薇」の表紙


裏表紙は郷土の名所の風景美を紋切り型の修飾句で愛でる内容


郷友雑誌「飽薇」。飽薇同好社というのは東京在住の広島県出身の学者・法律家などのエスタブリッシュメントたちの親睦組織。設立目的は富士川の作文でまことしやかな内容のことが記載されている。本部は本郷西片町9番地。旧阿部藩邸辺りだ。


赤丸が9番地


昭和5年段階で、広島県出身者で本雑誌に出入りする人物は旧阿部藩屋敷のあった本郷西片町に偏っている?!一帯は阿部家の借地地区だが、東京帝大の目の前に当たる。やはり同郷者を頼って東京に上京するというパターンの名残だろうか。
委員は同好者のメンバー。常務委員が編集委員。まことに小世帯だ。

雑誌広告を出している公証人岡田純次郎(裁判官→弁護士)とは阿部家家令岡田吉顕の息子。

富士川游が深くかかわった雑誌「飽薇」は同好会が関東大震災後の大正13年に設立され、翌14年1月に機関雑誌として発行されたもの。飽は飽国(安芸の国の古字)からとったものであり、薇は同じく吉備の古字(黄薇)に由来する。命名は富士川自身らしい。いわゆる県人会誌だ。設立当初の常務委員は花井卓蔵秋山雅之助下田次郎(最高裁判事下田武三の実父)・高島平三郎・尼子四郎松井茂浜野知三郎・和田英松・真田鶴松・富士川游、主事が常光浩然・清寺漸。
広島県出身で東京に出て各界で活躍する人たちを中心に地元のインテリたちと連帯しつつ結成された社交クラブだったようで、この雑誌には仕事上の余談とか随想などが寄稿されている。


小鷹狩は旧浅野藩の藩士の出で、明治期に「芸藩通志」の刊行にかかわった人物(老人)。この一族に歌手のペギー葉山がいる。鶴田は海軍の軍人。これと猪原薫一(海軍軍人)は地方誌「備後史談」の常連(悪く言うと”投稿魔”)。猪原はこの雑誌でも郷土史関係(菅茶山など)の記事を盛んに投稿しだす、いやはや・・・


 花井は東京で活躍した有名な弁護士・政治家、高島平三郎が登場。のちの号には呉秀三・大楠順次郎・永井潜らも寄稿を始める。備後史談の会長職にあった和田英松は我が国における有職故実・帝室制度研究の権威者(東京帝大の史料編纂官)で、沼隈郡鞆津出身。
内務官僚丸山鶴吉は「郷党の優秀なる児童を大成」させようという巻頭文を1巻8号に書いている。その他は外遊の報告。





























この雑誌は広島県立図書館に創刊号から昭和15年ごろまでの183冊が所蔵されている。

三原市立図書館に所蔵された「飽薇」(187冊)・・・・・広島県立図書館より揃っている


「飽薇」に関しては富士川英郎「富士川游」、小沢書店、平成2年に詳しい。
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