「放浪を見つめる田中亜美」~朝日俳句時評より~
わたしたちは自分ができないことをする人を応援したくなる。たとえば放浪の俳人・種田山頭火。歩かない日はない、飲まない日はない、作らない日はない。生涯に8万句も作ったといわれる。父の放蕩、母の死、家の没落、ともなれば現実から逃れたくなるであろう。
❤ 分け入つても分け入つても青い山
行乞の生活を送り、一生を放浪して過ごした。
山頭火の生誕約60年後に村上護が生まれた。彼は大学生の頃から山頭火にあこがれ、世界放浪の旅をした。初の著作『放浪の俳人山頭火』はベストセラーになり、多くの山頭火ファンを生み出した。その村上譲という文芸評論家についての田中亜美の「朝日俳句時評」が7月29日朝日朝刊に掲載されている。
田中亜美の時評は村上譲が今年の6月29日に亡くなったことからはじまる。1941年生まれの村上譲が山頭火にあこがれ世界放浪の旅に出たころはヒッピームーブメントが盛りあがっていたらしい。『放浪の俳人山頭火』は村上が30歳の頃の著作であろう。大学生の頃に世界を放浪できたのは経済的に恵まれていたからできたこと。山頭火の放浪とは質が違うのではないか。しかも貧しく、行乞の放浪の山頭火を書いた本がベストセラーになり若くして豊かになったであろう。
田中亜美は「村上の評伝の優れた点は、作品の解釈はもちろん、実際に足跡を辿り、関係者からの聞き書きを丹念に重ねた資料性にある。俳句という短詩型に、マグマのように潜む、烈しいエネルギーを伝えた」 村上護さんは語り部だったのですね。「種田山頭火」の。
7月30日 歩きたいが歩けない☀が沈むまで 松井多絵子