曜変天目茶碗は日本に三碗存在することが知られていて、これら三碗すべてが国宝に指定されているが、これに新たに一碗が追加して発見されたと、TVの人気番組「開運! 何でも鑑定団」で放送された。
しかし、そのすぐ後で、この曜変天目茶碗の再現に取り組み、成功させた陶芸作家のN氏らから異論が提出された。番組に持ち込まれた茶碗は中国でみやげ物として売られている現代の物であるというのである。
私もこの番組が好きで、妻と番組を見ながら一緒になって鑑定額を予想し、「当たった!、外れた!」とにぎやかに見ているのだが、2016年12月放送というこの回は残念なことに見逃している。
ただ、長年この番組を見てきた印象からすると、中国の土産物屋で売られている品と、約800年前の中国・南宋時代に作られたものとを、番組の鑑定士である中島誠之助氏が見間違うはずがないのでは・・・と思った。それとも何か、中島氏でも間違えてしまうような、理由がそこにはあったのだろうか・・・。
また、この茶碗を番組に持ち込んだ人の話が作り話でないとすれば、今回の鑑定品の履歴は江戸時代にまでさかのぼることができるという。
曜変天目茶碗はその製法が謎に包まれているとされていて、過去多くの陶芸家がその秘密に迫ろうとし、再現を試みてきている。その結果、最近になってようやく類似のものを作ることができるようになったという経緯があるので、今回の茶碗が現代のものというN氏の解釈には疑問符がつくことになる。
もっとも、今回の茶碗は同じ曜変天目茶碗と呼ばれるものの、私の目にも、以前見たことのある国宝の曜変天目茶碗とは、その外観がずいぶん違ったものであった。曜変天目茶碗の再現に長年取り組んできたN氏からすれば、同列に扱うことが出来ないというのも一理ある話である。
この論争の行方はいずれはっきりとすることであろうから、それを見守ることとして、今回の騒動をきっかけに改めてこの国宝の曜変天目茶碗に関心を持つこととなった。
現在、日本に三碗ある国宝の曜変天目茶碗の1つを大阪で観ることができる。藤田美術館所蔵の曜変天目茶碗(藤田天目)である。
以前、東京の静嘉堂文庫美術館が所蔵している国宝曜変天目茶碗(稲葉天目)を見に行ったことがあって、その時に日本に三碗あるとされる曜変天目茶碗の、残る二碗が大阪の藤田美術館と京都の大徳寺にあると知り、これらを見比べてみたいと思ったのだったが、その時は果たせずその後忘れてしまっていた。
今回、番組のおかげでその時のことを思い出し、改めて調べてみたところ、「藤田天目」がちょうど公開されているところであった。しかも、藤田美術館は今年6月12日から全面建替えのために休館になり、次の開館は2020年になると判り、この機会を逃すと当分見ることが出来なくなるので、入梅し小雨が降る中を出かけてきた。
藤田美術館入り口(2017.6.7 撮影)
展示館入り口(2017.6.7 撮影)
三々五々鑑賞に訪れる人達に混じって、蔵を改造して作られた展示室の1階中央部の展示ケース内に納められた、目的の「藤田天目」をじっくりと鑑賞することができた。
この「藤田天目」は以前見た「稲葉天目」に酷似しているものであったが、「稲葉天目」が瑠璃色の地にちりばめた明るく輝くような背景の中に丸い斑紋が浮かびあがるのに比べて、「藤田天目」は全体に、より地味なものであった。ただ、濃い瑠璃色の地の中に部分的に明るい帯の見られるところが特徴で、夜空のオーロラを思わせるものであった。さらに、碗全体に微小な金色に輝く斑点が見られ、これらが碗の印象をより華やかなものにしていた。
こうした特徴ある斑紋ができる理由は、透明な釉薬に焼成時に何らかの理由で部分的に変化が生じ、特殊な構造ができて、この部分で光の干渉が起きているためとされる。一種の構造色である。
残念ながら写真撮影は禁じられているので、帰りに受付で絵葉書2枚と、2年前2015年8月にサントリー美術館で開催された展覧会時の図録「藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美」とを購入した。
図録「藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美」(2015年8月5日 朝日新聞社発行)の表紙
もうひとつの京都・大徳寺龍光院にあるという曜変天目茶碗(龍光院天目)はほとんど公開されることが無く、まだ直接見る機会が無いので、正確に比較することは出来ないが、写真で見るかぎり、こちらも斑紋の状態はとてもよく似ている。ただ、全体の色調は暗く、三碗の中では最も地味な印象を受ける。
これら3つの曜変天目茶碗は、いずれも約800年前の12~13世紀に中国・南宋時代の福建省・建窯で作られた物とされている。 大きさも似通っていて、高さ、口径、高台径は「藤田天目」が6.8cm・12.3cm・3.6cm、「稲葉天目」が6.8cm・12.0cm・3.8cm、「龍光院天目」が6.6cm・12.1cm・3.8cmである。このことから、同一作家の製作ではないかと考えられている。
「藤田天目」については上記図録に次のような説明がある。
「瑠璃色の曜変と呼ばれる斑紋は、まるで宇宙に浮かぶ星のように美しい輝きを放ち、品のある華やかさの中にも落ち着きがあります。土見せで小振りの削り高台から開いた形や、鼈(すっぽん)口という口縁のくびれは天目形(てんもくなり)の特徴で、この茶碗には腰付近に厚い釉溜まり、口縁に覆輪が見られます。徳川家康から譲り受けた水戸徳川家の売立の際、藤田家に伝わりました。同種の曜変天目は三碗のみが現存し、いずれも日本国内にあり、国宝に指定されています。」
ちなみに、現在国宝に指定されている茶碗は全部で8碗あり、上記の3碗の曜変天目のほかに、次の5碗がある。
志野茶碗 銘:卯花墻(うのはながき)・・・桃山時代に日本で焼かれた和物茶碗。東京都、三井文庫所蔵・三井記念美術館保管。
白楽(しろらく)茶碗 銘:不二山/光悦作・・・江戸時代に日本で焼かれた和物茶碗。長野県、サンリツ服部美術館所蔵。
油滴天目茶碗・・・中国・南宋時代の唐物茶碗。大阪府、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵。
玳玻天目(たいひてんもく)茶碗・・・中国・南宋時代の唐物茶碗。京都府、相国寺所蔵。
(大)井戸茶碗 銘:喜左衛門・・・李氏朝鮮時代の高麗茶碗。大徳寺孤蓬庵所蔵。
さて、これら国宝茶碗の真贋は疑う余地のないところであるが、冒頭の話にもどり世間を騒がすニセモノの話を少し見ておきたい。
今回のTV番組の鑑定士・中島誠之助氏の著書に「ニセモノ師たち」(2001年10月16日 講談社発行)という本がある。ここで、中島氏は骨董品とそのニセモノ、骨董収集家や骨董商についての氏の思いを述べている。
また、さまざまな「だまし」のテクニックや、歴史上のニセモノ事件とそこに登場する人々の、悲喜こもごもについて紹介している。
中島誠之助氏の著書「ニセモノ師たち」(講談社刊)の表紙
その一例を引用すると、氏の父君が、発掘された古唐津の徳利の高台部分の破片と、新作の古唐津を再現した徳利の高台部を切り取ったものとを、接着剤でピタリと接着するという作業を、日本一腕の立つ古陶磁器の修理屋(なおしや)に頼んで「共づくろい」し、ニセモノを作ったことがあったと披瀝している。この逸話のほかにも自身が関係したニセモノつくりの話も紹介されていて、骨董商として大成した氏ならではの述懐である。
別な例では、当時麻布で骨董商を始めたばかりの中島氏が、新進の俳優であったK氏に連れられて、中島氏も既知であったH氏の私邸を訪ねた時の話がある。
ここで、H氏がさりげなく見せた一対の、ブルーの色被せで、カットガラスの蓋つき「薩摩切子」の瓶を中島氏が本物と信じ込み、懇願し大枚をはたいて手に入れたのであるが、これが真っ赤な偽物であった。後でわかったのは、この瓶はフランスの香水瓶で、値段は中島氏が買った値段の50分の1程度のものであった。
古い木箱に入れて、そこへ「島津家西の蔵」という古い和紙に書いた見出し紙が貼られていたので、まんまと引っかかったという次第であった。
中島氏が巻き込まれた、海外の骨董商もからむ、非常に手の込んだ詐欺事件についても紹介している。
これは、日本人の実業家で、有名な仏像のコレクターでもあるE氏が、アメリカ人の骨董商M氏を相手に仕組んだ話である。
まず、E氏が仏像を仲介役の中島氏に届ける。中島氏は仲介役として、これをM氏に売るのだが、E氏の存在は伏せて、自身が手に入れたものとしてM氏にこの仏像を売るという役割をする。そうしておいて、E氏はターゲットのM氏に、これこれの仏像があれば買いたいと持ちかける。
中島氏は、E氏から教えられた方法で、M氏に接触して(E氏が欲しがっているという)仏像を持っているという情報を流す。そして、これに乗せられたM氏が中島氏の店に来て仏像を買って帰るという話である。もちろんM氏は、この仏像を高額でE氏に売りつけようとの狙いである。
しかし、E氏はアメリカに行き、M氏のところでこの仏像を見て、これはニセモノだと言って、M氏がまるまる損をするという話である。何とも、落語でも聞いているような話である。
このほかにも、とてもスリリングな話が中島氏のこの本には出ているのだが、これくらいにしておこう。
さて、もうひとつニセモノに関わる楽しい話題がある。妻の愛読書であり、その影響で私も時々読んでいる作家、風野真知雄氏の小説である。風野氏は大変な多作家で、これまでに多くのシリーズを世に送り出している。
時代小説が多く、中でも江戸時代を舞台にしたものが多いのだが、その中の「大名やくざ2-火事と妓(おんな)が江戸の華」(2014年7月5日発行 幻冬舎時代小説文庫)には、この時代における、虚実ない混ぜの作者一流の皮肉たっぷりの「だまし」によるニセモノ作りの話が紹介されている。
風野真知雄氏の小説「大名やくざ」(幻冬舎刊)の表紙
主人公の久留米藩六代目藩主・有馬虎之助(則維)の話である。
「彼があるとき、とある墓の前に置かれ、花を活けるときに使っていたらしい壺が絶品に見えたので、これを持ち帰り、ちょうどいい大きさの空の箱に入れた。
その箱には「千種の茶壷」と書かれていて、中には書状があり、千利休という名前が見える。
この壺を時の将軍綱吉に献上するのである。この茶壷はその後、綱吉から表千家久田家、藤田コレクションを経て、2009年9月にニューヨークで競売にかけられることになる。落札したのは米国ワシントンのスミソニアン協会のフリーア美術館。その額は66万2500ドルという。」ここまでが、小説の中身の概略である。
この千種(ちぐさ)の茶壷は実在するもので、米国ワシントンにある国立スミソニアン協会が管理運営するサックラー・ギャラリーで2014年2月22日から7月27日まで展示された。
また、表千家のウェッブサイトには、次のような文章と共に、この「千草の茶壷」の写真が紹介されていて、日本との公式行事などで活躍している様子が報じられている。
『ワシントンの日本大使公邸で催された「悠々庵」の茶会では、床に而妙斎お家元が書かれた「寿」の軸が掛けられ、「千種」という銘をもつ茶壺が飾られていました。スミソニアン博物館のフリアー・ギャラリー(原文のまま)が前の年に、ニューヨークのオークションで落札した唐物の大名物です。
この「千種」には、堺の豪商、誉田屋徳林(こんだやとくりん)にあてた「あなたが見つけたこの茶壺は千金の値があり、末永く大切になさい」という千利休の書状が添えられています。東洋陶磁器の目利きとして知られるルイーズ・コートさんが美しい日本語で伝来をそう説明してくれました。』(http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_40d.html)。
ところで、この話、オークション時の資料によると、「千種の茶壷」の来歴はかなり判っていて、次のように記されている(http://d.hatena.ne.jp/art-alien/20090724/1248459874)。
鳥居引拙-重宗甫-誉田屋徳林-有馬頼旨-有馬則維-徳川綱吉(柳営御物)-表千家久田家-藤田伝三郎-藤田家-個人コレクション・・・ということである。
しかし、そのすぐ後で、この曜変天目茶碗の再現に取り組み、成功させた陶芸作家のN氏らから異論が提出された。番組に持ち込まれた茶碗は中国でみやげ物として売られている現代の物であるというのである。
私もこの番組が好きで、妻と番組を見ながら一緒になって鑑定額を予想し、「当たった!、外れた!」とにぎやかに見ているのだが、2016年12月放送というこの回は残念なことに見逃している。
ただ、長年この番組を見てきた印象からすると、中国の土産物屋で売られている品と、約800年前の中国・南宋時代に作られたものとを、番組の鑑定士である中島誠之助氏が見間違うはずがないのでは・・・と思った。それとも何か、中島氏でも間違えてしまうような、理由がそこにはあったのだろうか・・・。
また、この茶碗を番組に持ち込んだ人の話が作り話でないとすれば、今回の鑑定品の履歴は江戸時代にまでさかのぼることができるという。
曜変天目茶碗はその製法が謎に包まれているとされていて、過去多くの陶芸家がその秘密に迫ろうとし、再現を試みてきている。その結果、最近になってようやく類似のものを作ることができるようになったという経緯があるので、今回の茶碗が現代のものというN氏の解釈には疑問符がつくことになる。
もっとも、今回の茶碗は同じ曜変天目茶碗と呼ばれるものの、私の目にも、以前見たことのある国宝の曜変天目茶碗とは、その外観がずいぶん違ったものであった。曜変天目茶碗の再現に長年取り組んできたN氏からすれば、同列に扱うことが出来ないというのも一理ある話である。
この論争の行方はいずれはっきりとすることであろうから、それを見守ることとして、今回の騒動をきっかけに改めてこの国宝の曜変天目茶碗に関心を持つこととなった。
現在、日本に三碗ある国宝の曜変天目茶碗の1つを大阪で観ることができる。藤田美術館所蔵の曜変天目茶碗(藤田天目)である。
以前、東京の静嘉堂文庫美術館が所蔵している国宝曜変天目茶碗(稲葉天目)を見に行ったことがあって、その時に日本に三碗あるとされる曜変天目茶碗の、残る二碗が大阪の藤田美術館と京都の大徳寺にあると知り、これらを見比べてみたいと思ったのだったが、その時は果たせずその後忘れてしまっていた。
今回、番組のおかげでその時のことを思い出し、改めて調べてみたところ、「藤田天目」がちょうど公開されているところであった。しかも、藤田美術館は今年6月12日から全面建替えのために休館になり、次の開館は2020年になると判り、この機会を逃すと当分見ることが出来なくなるので、入梅し小雨が降る中を出かけてきた。
藤田美術館入り口(2017.6.7 撮影)
展示館入り口(2017.6.7 撮影)
三々五々鑑賞に訪れる人達に混じって、蔵を改造して作られた展示室の1階中央部の展示ケース内に納められた、目的の「藤田天目」をじっくりと鑑賞することができた。
この「藤田天目」は以前見た「稲葉天目」に酷似しているものであったが、「稲葉天目」が瑠璃色の地にちりばめた明るく輝くような背景の中に丸い斑紋が浮かびあがるのに比べて、「藤田天目」は全体に、より地味なものであった。ただ、濃い瑠璃色の地の中に部分的に明るい帯の見られるところが特徴で、夜空のオーロラを思わせるものであった。さらに、碗全体に微小な金色に輝く斑点が見られ、これらが碗の印象をより華やかなものにしていた。
こうした特徴ある斑紋ができる理由は、透明な釉薬に焼成時に何らかの理由で部分的に変化が生じ、特殊な構造ができて、この部分で光の干渉が起きているためとされる。一種の構造色である。
残念ながら写真撮影は禁じられているので、帰りに受付で絵葉書2枚と、2年前2015年8月にサントリー美術館で開催された展覧会時の図録「藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美」とを購入した。
図録「藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美」(2015年8月5日 朝日新聞社発行)の表紙
もうひとつの京都・大徳寺龍光院にあるという曜変天目茶碗(龍光院天目)はほとんど公開されることが無く、まだ直接見る機会が無いので、正確に比較することは出来ないが、写真で見るかぎり、こちらも斑紋の状態はとてもよく似ている。ただ、全体の色調は暗く、三碗の中では最も地味な印象を受ける。
これら3つの曜変天目茶碗は、いずれも約800年前の12~13世紀に中国・南宋時代の福建省・建窯で作られた物とされている。 大きさも似通っていて、高さ、口径、高台径は「藤田天目」が6.8cm・12.3cm・3.6cm、「稲葉天目」が6.8cm・12.0cm・3.8cm、「龍光院天目」が6.6cm・12.1cm・3.8cmである。このことから、同一作家の製作ではないかと考えられている。
「藤田天目」については上記図録に次のような説明がある。
「瑠璃色の曜変と呼ばれる斑紋は、まるで宇宙に浮かぶ星のように美しい輝きを放ち、品のある華やかさの中にも落ち着きがあります。土見せで小振りの削り高台から開いた形や、鼈(すっぽん)口という口縁のくびれは天目形(てんもくなり)の特徴で、この茶碗には腰付近に厚い釉溜まり、口縁に覆輪が見られます。徳川家康から譲り受けた水戸徳川家の売立の際、藤田家に伝わりました。同種の曜変天目は三碗のみが現存し、いずれも日本国内にあり、国宝に指定されています。」
ちなみに、現在国宝に指定されている茶碗は全部で8碗あり、上記の3碗の曜変天目のほかに、次の5碗がある。
志野茶碗 銘:卯花墻(うのはながき)・・・桃山時代に日本で焼かれた和物茶碗。東京都、三井文庫所蔵・三井記念美術館保管。
白楽(しろらく)茶碗 銘:不二山/光悦作・・・江戸時代に日本で焼かれた和物茶碗。長野県、サンリツ服部美術館所蔵。
油滴天目茶碗・・・中国・南宋時代の唐物茶碗。大阪府、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵。
玳玻天目(たいひてんもく)茶碗・・・中国・南宋時代の唐物茶碗。京都府、相国寺所蔵。
(大)井戸茶碗 銘:喜左衛門・・・李氏朝鮮時代の高麗茶碗。大徳寺孤蓬庵所蔵。
さて、これら国宝茶碗の真贋は疑う余地のないところであるが、冒頭の話にもどり世間を騒がすニセモノの話を少し見ておきたい。
今回のTV番組の鑑定士・中島誠之助氏の著書に「ニセモノ師たち」(2001年10月16日 講談社発行)という本がある。ここで、中島氏は骨董品とそのニセモノ、骨董収集家や骨董商についての氏の思いを述べている。
また、さまざまな「だまし」のテクニックや、歴史上のニセモノ事件とそこに登場する人々の、悲喜こもごもについて紹介している。
中島誠之助氏の著書「ニセモノ師たち」(講談社刊)の表紙
その一例を引用すると、氏の父君が、発掘された古唐津の徳利の高台部分の破片と、新作の古唐津を再現した徳利の高台部を切り取ったものとを、接着剤でピタリと接着するという作業を、日本一腕の立つ古陶磁器の修理屋(なおしや)に頼んで「共づくろい」し、ニセモノを作ったことがあったと披瀝している。この逸話のほかにも自身が関係したニセモノつくりの話も紹介されていて、骨董商として大成した氏ならではの述懐である。
別な例では、当時麻布で骨董商を始めたばかりの中島氏が、新進の俳優であったK氏に連れられて、中島氏も既知であったH氏の私邸を訪ねた時の話がある。
ここで、H氏がさりげなく見せた一対の、ブルーの色被せで、カットガラスの蓋つき「薩摩切子」の瓶を中島氏が本物と信じ込み、懇願し大枚をはたいて手に入れたのであるが、これが真っ赤な偽物であった。後でわかったのは、この瓶はフランスの香水瓶で、値段は中島氏が買った値段の50分の1程度のものであった。
古い木箱に入れて、そこへ「島津家西の蔵」という古い和紙に書いた見出し紙が貼られていたので、まんまと引っかかったという次第であった。
中島氏が巻き込まれた、海外の骨董商もからむ、非常に手の込んだ詐欺事件についても紹介している。
これは、日本人の実業家で、有名な仏像のコレクターでもあるE氏が、アメリカ人の骨董商M氏を相手に仕組んだ話である。
まず、E氏が仏像を仲介役の中島氏に届ける。中島氏は仲介役として、これをM氏に売るのだが、E氏の存在は伏せて、自身が手に入れたものとしてM氏にこの仏像を売るという役割をする。そうしておいて、E氏はターゲットのM氏に、これこれの仏像があれば買いたいと持ちかける。
中島氏は、E氏から教えられた方法で、M氏に接触して(E氏が欲しがっているという)仏像を持っているという情報を流す。そして、これに乗せられたM氏が中島氏の店に来て仏像を買って帰るという話である。もちろんM氏は、この仏像を高額でE氏に売りつけようとの狙いである。
しかし、E氏はアメリカに行き、M氏のところでこの仏像を見て、これはニセモノだと言って、M氏がまるまる損をするという話である。何とも、落語でも聞いているような話である。
このほかにも、とてもスリリングな話が中島氏のこの本には出ているのだが、これくらいにしておこう。
さて、もうひとつニセモノに関わる楽しい話題がある。妻の愛読書であり、その影響で私も時々読んでいる作家、風野真知雄氏の小説である。風野氏は大変な多作家で、これまでに多くのシリーズを世に送り出している。
時代小説が多く、中でも江戸時代を舞台にしたものが多いのだが、その中の「大名やくざ2-火事と妓(おんな)が江戸の華」(2014年7月5日発行 幻冬舎時代小説文庫)には、この時代における、虚実ない混ぜの作者一流の皮肉たっぷりの「だまし」によるニセモノ作りの話が紹介されている。
風野真知雄氏の小説「大名やくざ」(幻冬舎刊)の表紙
主人公の久留米藩六代目藩主・有馬虎之助(則維)の話である。
「彼があるとき、とある墓の前に置かれ、花を活けるときに使っていたらしい壺が絶品に見えたので、これを持ち帰り、ちょうどいい大きさの空の箱に入れた。
その箱には「千種の茶壷」と書かれていて、中には書状があり、千利休という名前が見える。
この壺を時の将軍綱吉に献上するのである。この茶壷はその後、綱吉から表千家久田家、藤田コレクションを経て、2009年9月にニューヨークで競売にかけられることになる。落札したのは米国ワシントンのスミソニアン協会のフリーア美術館。その額は66万2500ドルという。」ここまでが、小説の中身の概略である。
この千種(ちぐさ)の茶壷は実在するもので、米国ワシントンにある国立スミソニアン協会が管理運営するサックラー・ギャラリーで2014年2月22日から7月27日まで展示された。
また、表千家のウェッブサイトには、次のような文章と共に、この「千草の茶壷」の写真が紹介されていて、日本との公式行事などで活躍している様子が報じられている。
『ワシントンの日本大使公邸で催された「悠々庵」の茶会では、床に而妙斎お家元が書かれた「寿」の軸が掛けられ、「千種」という銘をもつ茶壺が飾られていました。スミソニアン博物館のフリアー・ギャラリー(原文のまま)が前の年に、ニューヨークのオークションで落札した唐物の大名物です。
この「千種」には、堺の豪商、誉田屋徳林(こんだやとくりん)にあてた「あなたが見つけたこの茶壺は千金の値があり、末永く大切になさい」という千利休の書状が添えられています。東洋陶磁器の目利きとして知られるルイーズ・コートさんが美しい日本語で伝来をそう説明してくれました。』(http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_40d.html)。
ところで、この話、オークション時の資料によると、「千種の茶壷」の来歴はかなり判っていて、次のように記されている(http://d.hatena.ne.jp/art-alien/20090724/1248459874)。
鳥居引拙-重宗甫-誉田屋徳林-有馬頼旨-有馬則維-徳川綱吉(柳営御物)-表千家久田家-藤田伝三郎-藤田家-個人コレクション・・・ということである。
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