長かった史上初の10連休も終わり、軽井沢もこの間多くの観光客で賑わったが、今は落ち着きを取り戻している。
湘南に住む元の職場の先輩Sさんからは、すでに3月頃から蝶の目撃情報やメールに添付されて写真が送られてきていて、最近その種類や数が増えてきている。一方、軽井沢の我が家の周辺では4月中旬に隣地にきたモンキチョウを見ただけで、その後は全く蝶の姿を見かけることがない。
尤も、我々夫婦は10連休中はずっとショップに出ており、庭のキャットミントはようやく今週になって咲き始めたところであるし、ブッドレアの花が咲くのはまだずいぶん先のことなので、庭に蝶が来るわけもなく、どこかに出かけていかなければ、蝶には出会えない理屈である。
同じ「チョウ」でも野鳥の方は、餌台を設置しているので、毎日のように相手のほうからやってくる。庭の木に取り付けた2個の巣箱のうちの、入り口の穴の小さい方(径3cm)ではシジュウカラが中に入って居心地を点検したりしており、入り口の穴の少し大きめのほう(径4cm)には、初めてコムクドリの夫婦がやってきて、やはり穴の中を覗き込んだりするようになっているのだが、蝶が庭に集まるようになるにはもう少し時間がかかりそうである。
今回は、しばらく蝶の話題から遠ざかっていたので、これまでに庭に来た蝶の中からまだ取り上げていなかった種を選んで紹介させていただく。紹介漏れの理由は、庭で撮影できたまともな写真がなかったからである。近隣の場所で撮影した写真があるので、今回はこれを利用しての紹介になる。
ということで、今回はルリシジミ。前翅長12~19mmの小型の蝶で、翅の裏面は灰白色の中に小黒点が散布する。翅表は♂では明るい青紫色で、♀では外縁が幅広く黒褐色になる。
いつもの原色日本蝶類図鑑(横山光夫著 1964年保育社発行)には次のように紹介されている。
「わが国に産する『しじみちょう』科のものとしては最も普通な小型の蝶で、野にも山にも町の中にも飛翔し、日本全土に産する親しい蝶の一種である。欧・亜両大陸の全域に広く分布し、草原の雑草の花、春には桜にも飛来する。飛翔は活発で時にはゼフィルスのごとく梢上高く飛び去るのを見かける。・・・平地や暖地では3~4月から多数現われ、秋の終わりまで連続して4~5回の発生を繰返し、高地や寒冷の北地では2回の発生と思われる。
幼虫は、クズ・ハギ・フジ・ニセアカシア・リンゴ・コマツナギ・ヤマゴボウ・クララなどの花、蕾などを食べる。・・・」
よく似た種にスギタニルリシジミ、ヤクシマルリシジミ、サツマシジミがいる。
スギタニルリシジミは発生が、年1回であることや、幼虫の食樹がトチノキ、ミズキなどである点で異なっている。
同定はスギタニルリシジミは、ルリシジミに比べて
① 翅表は暗青紫色で外縁は細く黒色、
② ♀は♂より青色を帯び、外縁は巾広く黒色、
③ ♀の翅表は暗色、
④ 縁毛は本種では黒褐色、
⑤ 裏面の点紋はより大きく本種では灰褐色
の点で異なるとされる(原色日本蝶類図鑑)。
ヤクシマルリシジミとサツマシジミは生息域が九州、四国、中国地方南西部、南紀、東海地方南部とされていて、近年の温暖化で北上する蝶のひとつに数えられているものの、信州には生息していないので混同することはない。
このルリシジミ、我が家の庭にも時々来ていて、ヤマトシジミより一回り大きい事や、翅裏がより白いことと斑紋の違いで容易に見分けがつくが、前述のとおりまともな写真を撮ることができなかったので、南軽井沢のレークニュータウンの庭園などで撮影してあったものを以下に紹介させていただく。

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

路上で吸水するルリシジミ(2017.6.21 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

路上で吸水するルリシジミ(2017.6.21 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)
撮影できたものの、ほとんどが翅を閉じたものになってしまい、翅表の見えるものは次の2枚のみである。♂、♀それぞれ1枚ずつしか撮影できなかった。

葉上で休息するルリシジミ♂(2017.6.21 撮影)

葉上で休息するルリシジミ♀(2017.6.21 撮影)
前述のように、このルリシジミの幼虫はマメ科、ミズキ科、タデ科、バラ科、シソ科など多くの種類の植物を食草にしており、これが全国各地で繁殖できている一つの要因であろう。食草にはマメ科のクララの名を見ることができるが、このクララだけを食草とするシジミチョウの仲間が軽井沢の近くに生息している。オオルリシジミである。名前の通り前翅長16~21mmとルリシジミよりかなり大きい種である。
このオオルリシジミの幼虫は、クララの蕾と花のみを食べるとされ、この偏食ぶりが原因となるためか、生息域は非常に限定されていて、生息場所においても、その数は激減している。環境省レッドデータブックで絶滅危惧種に指定され、全国でも九州阿蘇山のほかは、県内の国営アルプスあづみの公園と東御市北御牧地区でしか見ることができない極めて珍しいチョウで、軽井沢の西方に位置する東御市では2005年(平成17年)12月1日に天然記念物に指定されている。東御市では、「北御牧のオオルリシジミを守る会」が保護・増殖活動に取り組み、6月ごろにため池や水田地帯で舞う姿を見ることができるとされている(東御市HPより)。
一昨日、たまたま北御牧方面に出かける機会があり、千曲ビューラインをドライブしている時に、その活動を伝える看板に出会った。

北御牧地区の道路沿いに設置されている「北御牧のオオルリシジミを守る会」の看板
(2019.5.8 撮影)
この激減ぶりを、「日本産蝶類標準図鑑」(白水 隆著 2011年学研教育出版発行)の表現で見ると次のようである。
「日本では本州、九州に分布する。東北地方では青森、岩手県から記録があるが、絶滅した。福島県会津地方にも古い記録がある。関東地方では群馬(神津牧場・北軽井沢)より記録がある。中部地方では長野県の東北部より中部にかけて広く分布し、志賀高原、善光寺平、佐久平、松本平、諏訪、伊那谷北部などが産地として知られていたが、近年各地で激減または絶滅している。・・・九州では阿蘇・九重の山岳地帯の火山性高原に産する。阿蘇は本種の日本における唯一の多産地であるが、野焼きを止めると本種の個体数が著しく減少することが知られている。・・・」
東御市の企業、シチズンファインデバイス(株)も2003年から「オオルリシジミを守る会」に入会し、敷地内に食草のクララを移植するなど、生息環境を提供している。また、阿蘇の例にもあるように、3月~4月には野焼きをして、オオルリシジミの天敵であるメイガ及びメアカタマゴバチの駆除を行い、合わせて雑草を焼き払うことでクララの育成を助けるなどの活動を行っている。
このオオルリシジミを累代飼育した記録を、鳩山邦夫氏(1948.9.13~2016.6.21)がその著書「チョウを飼う日々」(1996年 講談社発行)の中に記している。概略は次のようである。
「1981年、小諸糠地を訪れるも、余りの採集者の多さに圧倒されて退散した。その10日ほど後、軽井沢の別荘で子供たちを遊ばせていながらオオルリへの思い断ちがたく、夕方六時過ぎに糠地まで車を走らせ、薄暗い中でクララの花穂を四~五本切って東京に持ち帰った。コーラのビンに挿しておいてみたところ、花穂は徐々に黒化して、一週間後にはもはやエサとはいえぬシロモノに変質した。そんな中から拾い出した小幼虫をシャーレ内飼育したところ、ルリシジミ二三頭に混じってオオルリが三頭出てきて狂喜した。オオルリとの出会いが卵のステージであったというところに私の相当風変わりな体質が現れている。その年の夏には幼虫採集にも成功しているが、いずれにしても多数のルリシジミ卵の中に隠れていた三卵が私に対する最初の福音であったのだ。・・・
ただ、ここで最も重要なことは、今のところ代用食の見つかっていない、クララのしかも花食いという飼育上極めて厄介な種であっても、卵からの飼育は不可能ではないという点である。・・・」
こうして鳩山氏は次に食草クララを自宅庭に植えるとともに、別のクララの鉢植えを佐久市の知人宅に用意したうえで、東京の自宅でオオルリシジミの卵からの飼育に取り組むことを計画する。その様子は次のようである。
「1991年、長岡さんより連絡があり、数日前に渡辺さんが捕獲した♀をくれるとの朗報。さっそく六月十七日に長岡宅を訪問、そこで渡辺さんから♀をゆずり受け、・・・そろそろ東京へ戻ろうかと迷っていると、うす陽のさす好天になってきたので、小諸の産地をひとめぐりすることにした。クララの花穂に小さな袋を掛けて渡辺♀を放ってみると、目の前で数卵産付けするではないか。・・・袋掛けしたクララの所に戻ってきた午後四時過ぎ、明らかに産卵行動を目的としてフラフラとゆるやかにクララ群落に向かって飛んできたボロの♀をネットイン。・・・」
この後、鳩山氏は渡辺♀を渡辺さんに返し、自ら採集した♀と渡辺♀が目の前で産んだ15個の卵を、クララの鉢植えと共に東京に持ち帰る。この判断は正解で、持ち帰った卵の方は孵化しなかったが、採集した♀はその後クララに50個ほどを産卵し、これが四日後の6月28日に一斉に孵化した。この幼虫を育てて、最終的に7月15日から7月20日までの間に、48蛹を作ることに成功している。この時の蛹はその後、年内に1♂が羽化、翌春(1992年)に39頭が羽化している。こうして得た成虫であったが、国会議員としての激務の中、累代への挑戦はできず、すべてを標本にしている。
この後、代議士のチョウ担当秘書として1993年に矢後(矢後勝也、現東京大学総合研究博物館助教)氏を採用し、その矢後氏が採用の条件として鳩山氏から指示された通りに前年に作ってきた信州産のオオルリシジミの蛹30頭を飼育することになる。この蛹は1993年5月8日~11日にかけて羽化、4ペアを得て、クララの花穂へ産卵させることに成功した。こうして、矢後氏とも協力しながら、この4頭の母チョウから合計800個余りの卵を産卵させた。このうち600個余りの卵を回収して、孵化した幼虫を自宅で飼育し、504個の蛹を作っている。
卵から孵化した大量の幼虫の飼育にはずいぶん苦労することになるが、その要点を鳩山氏は次のように記している。
「ひとことでいえば共食いとの戦いにつきる。・・・孵化したての一齢幼虫はすぐにはかじり合いをしない。クモマツマキのように幼虫がとなりの卵を食べることもないようだ。・・・一番激しく共食いするのが二齢幼虫であり、一齢幼虫を見つければ食い殺すし、二齢同士だと互いを傷つけ合う形になる。・・・」
結果、共食いを防ぐために、1シャーレに幼虫を1匹づつ入れて餌のクララの花穂を与えることになるが、鳩山氏の部屋には600個近いシャーレが所狭しと並ぶことになったという。
自然界ではどうか、オオルリシジミはやはり共食いをするのだろうか。手元のどの図鑑や資料のオオルリシジミの項をみてもそうした記述はない。クララの蕾と花穂しか食べないことで、限られた餌を確保するために、そうした行動を取るようになっていったのだろうか。もしそうだとすれば、オオルリシジミの保護と増殖活動には、鳩山氏が行ったような、共食いを防ぎながらの人工飼育による助けが必要なのではないかと思う。そうすることで、自然界では1%程度しか成虫になることのないものを80%程度に引き上げることができる。
すでに、現地のチョウ愛好家の間でも人工飼育や累代飼育が行われていると推察できるので、こうして得られた成虫の放蝶も行われているのかもしれない。生活史の関係でルリシジミのようには行くはずもないが、信州の産地での絶滅はなんとしても防ぎたいものである。
湘南に住む元の職場の先輩Sさんからは、すでに3月頃から蝶の目撃情報やメールに添付されて写真が送られてきていて、最近その種類や数が増えてきている。一方、軽井沢の我が家の周辺では4月中旬に隣地にきたモンキチョウを見ただけで、その後は全く蝶の姿を見かけることがない。
尤も、我々夫婦は10連休中はずっとショップに出ており、庭のキャットミントはようやく今週になって咲き始めたところであるし、ブッドレアの花が咲くのはまだずいぶん先のことなので、庭に蝶が来るわけもなく、どこかに出かけていかなければ、蝶には出会えない理屈である。
同じ「チョウ」でも野鳥の方は、餌台を設置しているので、毎日のように相手のほうからやってくる。庭の木に取り付けた2個の巣箱のうちの、入り口の穴の小さい方(径3cm)ではシジュウカラが中に入って居心地を点検したりしており、入り口の穴の少し大きめのほう(径4cm)には、初めてコムクドリの夫婦がやってきて、やはり穴の中を覗き込んだりするようになっているのだが、蝶が庭に集まるようになるにはもう少し時間がかかりそうである。
今回は、しばらく蝶の話題から遠ざかっていたので、これまでに庭に来た蝶の中からまだ取り上げていなかった種を選んで紹介させていただく。紹介漏れの理由は、庭で撮影できたまともな写真がなかったからである。近隣の場所で撮影した写真があるので、今回はこれを利用しての紹介になる。
ということで、今回はルリシジミ。前翅長12~19mmの小型の蝶で、翅の裏面は灰白色の中に小黒点が散布する。翅表は♂では明るい青紫色で、♀では外縁が幅広く黒褐色になる。
いつもの原色日本蝶類図鑑(横山光夫著 1964年保育社発行)には次のように紹介されている。
「わが国に産する『しじみちょう』科のものとしては最も普通な小型の蝶で、野にも山にも町の中にも飛翔し、日本全土に産する親しい蝶の一種である。欧・亜両大陸の全域に広く分布し、草原の雑草の花、春には桜にも飛来する。飛翔は活発で時にはゼフィルスのごとく梢上高く飛び去るのを見かける。・・・平地や暖地では3~4月から多数現われ、秋の終わりまで連続して4~5回の発生を繰返し、高地や寒冷の北地では2回の発生と思われる。
幼虫は、クズ・ハギ・フジ・ニセアカシア・リンゴ・コマツナギ・ヤマゴボウ・クララなどの花、蕾などを食べる。・・・」
よく似た種にスギタニルリシジミ、ヤクシマルリシジミ、サツマシジミがいる。
スギタニルリシジミは発生が、年1回であることや、幼虫の食樹がトチノキ、ミズキなどである点で異なっている。
同定はスギタニルリシジミは、ルリシジミに比べて
① 翅表は暗青紫色で外縁は細く黒色、
② ♀は♂より青色を帯び、外縁は巾広く黒色、
③ ♀の翅表は暗色、
④ 縁毛は本種では黒褐色、
⑤ 裏面の点紋はより大きく本種では灰褐色
の点で異なるとされる(原色日本蝶類図鑑)。
ヤクシマルリシジミとサツマシジミは生息域が九州、四国、中国地方南西部、南紀、東海地方南部とされていて、近年の温暖化で北上する蝶のひとつに数えられているものの、信州には生息していないので混同することはない。
このルリシジミ、我が家の庭にも時々来ていて、ヤマトシジミより一回り大きい事や、翅裏がより白いことと斑紋の違いで容易に見分けがつくが、前述のとおりまともな写真を撮ることができなかったので、南軽井沢のレークニュータウンの庭園などで撮影してあったものを以下に紹介させていただく。

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

路上で吸水するルリシジミ(2017.6.21 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

路上で吸水するルリシジミ(2017.6.21 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)

オレガノの花で吸蜜するルリシジミ(2016.7.24 撮影)
撮影できたものの、ほとんどが翅を閉じたものになってしまい、翅表の見えるものは次の2枚のみである。♂、♀それぞれ1枚ずつしか撮影できなかった。

葉上で休息するルリシジミ♂(2017.6.21 撮影)

葉上で休息するルリシジミ♀(2017.6.21 撮影)
前述のように、このルリシジミの幼虫はマメ科、ミズキ科、タデ科、バラ科、シソ科など多くの種類の植物を食草にしており、これが全国各地で繁殖できている一つの要因であろう。食草にはマメ科のクララの名を見ることができるが、このクララだけを食草とするシジミチョウの仲間が軽井沢の近くに生息している。オオルリシジミである。名前の通り前翅長16~21mmとルリシジミよりかなり大きい種である。
このオオルリシジミの幼虫は、クララの蕾と花のみを食べるとされ、この偏食ぶりが原因となるためか、生息域は非常に限定されていて、生息場所においても、その数は激減している。環境省レッドデータブックで絶滅危惧種に指定され、全国でも九州阿蘇山のほかは、県内の国営アルプスあづみの公園と東御市北御牧地区でしか見ることができない極めて珍しいチョウで、軽井沢の西方に位置する東御市では2005年(平成17年)12月1日に天然記念物に指定されている。東御市では、「北御牧のオオルリシジミを守る会」が保護・増殖活動に取り組み、6月ごろにため池や水田地帯で舞う姿を見ることができるとされている(東御市HPより)。
一昨日、たまたま北御牧方面に出かける機会があり、千曲ビューラインをドライブしている時に、その活動を伝える看板に出会った。

北御牧地区の道路沿いに設置されている「北御牧のオオルリシジミを守る会」の看板
(2019.5.8 撮影)
この激減ぶりを、「日本産蝶類標準図鑑」(白水 隆著 2011年学研教育出版発行)の表現で見ると次のようである。
「日本では本州、九州に分布する。東北地方では青森、岩手県から記録があるが、絶滅した。福島県会津地方にも古い記録がある。関東地方では群馬(神津牧場・北軽井沢)より記録がある。中部地方では長野県の東北部より中部にかけて広く分布し、志賀高原、善光寺平、佐久平、松本平、諏訪、伊那谷北部などが産地として知られていたが、近年各地で激減または絶滅している。・・・九州では阿蘇・九重の山岳地帯の火山性高原に産する。阿蘇は本種の日本における唯一の多産地であるが、野焼きを止めると本種の個体数が著しく減少することが知られている。・・・」
東御市の企業、シチズンファインデバイス(株)も2003年から「オオルリシジミを守る会」に入会し、敷地内に食草のクララを移植するなど、生息環境を提供している。また、阿蘇の例にもあるように、3月~4月には野焼きをして、オオルリシジミの天敵であるメイガ及びメアカタマゴバチの駆除を行い、合わせて雑草を焼き払うことでクララの育成を助けるなどの活動を行っている。
このオオルリシジミを累代飼育した記録を、鳩山邦夫氏(1948.9.13~2016.6.21)がその著書「チョウを飼う日々」(1996年 講談社発行)の中に記している。概略は次のようである。
「1981年、小諸糠地を訪れるも、余りの採集者の多さに圧倒されて退散した。その10日ほど後、軽井沢の別荘で子供たちを遊ばせていながらオオルリへの思い断ちがたく、夕方六時過ぎに糠地まで車を走らせ、薄暗い中でクララの花穂を四~五本切って東京に持ち帰った。コーラのビンに挿しておいてみたところ、花穂は徐々に黒化して、一週間後にはもはやエサとはいえぬシロモノに変質した。そんな中から拾い出した小幼虫をシャーレ内飼育したところ、ルリシジミ二三頭に混じってオオルリが三頭出てきて狂喜した。オオルリとの出会いが卵のステージであったというところに私の相当風変わりな体質が現れている。その年の夏には幼虫採集にも成功しているが、いずれにしても多数のルリシジミ卵の中に隠れていた三卵が私に対する最初の福音であったのだ。・・・
ただ、ここで最も重要なことは、今のところ代用食の見つかっていない、クララのしかも花食いという飼育上極めて厄介な種であっても、卵からの飼育は不可能ではないという点である。・・・」
こうして鳩山氏は次に食草クララを自宅庭に植えるとともに、別のクララの鉢植えを佐久市の知人宅に用意したうえで、東京の自宅でオオルリシジミの卵からの飼育に取り組むことを計画する。その様子は次のようである。
「1991年、長岡さんより連絡があり、数日前に渡辺さんが捕獲した♀をくれるとの朗報。さっそく六月十七日に長岡宅を訪問、そこで渡辺さんから♀をゆずり受け、・・・そろそろ東京へ戻ろうかと迷っていると、うす陽のさす好天になってきたので、小諸の産地をひとめぐりすることにした。クララの花穂に小さな袋を掛けて渡辺♀を放ってみると、目の前で数卵産付けするではないか。・・・袋掛けしたクララの所に戻ってきた午後四時過ぎ、明らかに産卵行動を目的としてフラフラとゆるやかにクララ群落に向かって飛んできたボロの♀をネットイン。・・・」
この後、鳩山氏は渡辺♀を渡辺さんに返し、自ら採集した♀と渡辺♀が目の前で産んだ15個の卵を、クララの鉢植えと共に東京に持ち帰る。この判断は正解で、持ち帰った卵の方は孵化しなかったが、採集した♀はその後クララに50個ほどを産卵し、これが四日後の6月28日に一斉に孵化した。この幼虫を育てて、最終的に7月15日から7月20日までの間に、48蛹を作ることに成功している。この時の蛹はその後、年内に1♂が羽化、翌春(1992年)に39頭が羽化している。こうして得た成虫であったが、国会議員としての激務の中、累代への挑戦はできず、すべてを標本にしている。
この後、代議士のチョウ担当秘書として1993年に矢後(矢後勝也、現東京大学総合研究博物館助教)氏を採用し、その矢後氏が採用の条件として鳩山氏から指示された通りに前年に作ってきた信州産のオオルリシジミの蛹30頭を飼育することになる。この蛹は1993年5月8日~11日にかけて羽化、4ペアを得て、クララの花穂へ産卵させることに成功した。こうして、矢後氏とも協力しながら、この4頭の母チョウから合計800個余りの卵を産卵させた。このうち600個余りの卵を回収して、孵化した幼虫を自宅で飼育し、504個の蛹を作っている。
卵から孵化した大量の幼虫の飼育にはずいぶん苦労することになるが、その要点を鳩山氏は次のように記している。
「ひとことでいえば共食いとの戦いにつきる。・・・孵化したての一齢幼虫はすぐにはかじり合いをしない。クモマツマキのように幼虫がとなりの卵を食べることもないようだ。・・・一番激しく共食いするのが二齢幼虫であり、一齢幼虫を見つければ食い殺すし、二齢同士だと互いを傷つけ合う形になる。・・・」
結果、共食いを防ぐために、1シャーレに幼虫を1匹づつ入れて餌のクララの花穂を与えることになるが、鳩山氏の部屋には600個近いシャーレが所狭しと並ぶことになったという。
自然界ではどうか、オオルリシジミはやはり共食いをするのだろうか。手元のどの図鑑や資料のオオルリシジミの項をみてもそうした記述はない。クララの蕾と花穂しか食べないことで、限られた餌を確保するために、そうした行動を取るようになっていったのだろうか。もしそうだとすれば、オオルリシジミの保護と増殖活動には、鳩山氏が行ったような、共食いを防ぎながらの人工飼育による助けが必要なのではないかと思う。そうすることで、自然界では1%程度しか成虫になることのないものを80%程度に引き上げることができる。
すでに、現地のチョウ愛好家の間でも人工飼育や累代飼育が行われていると推察できるので、こうして得られた成虫の放蝶も行われているのかもしれない。生活史の関係でルリシジミのようには行くはずもないが、信州の産地での絶滅はなんとしても防ぎたいものである。
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