おはようございます^^
今朝も肌寒い日のようです。今年は一月が暖冬でした、二月は一転本来の寒い冬となりそして三月、コロナの騒ぎになりまして天気はそっちのけになりましたが、おおむね暖冬の続き
で暖かい春をむかえたようでした。そして四月…桜は早めに咲きましたがどうも外気が暖かくならなくて掌をこすり合わせる日が続きました…とまぁこれは私の主観的な天気概況です^^
このところ残業もなく早出もなく至って健康な生活を過ごしています(苦笑) これがいいのか悪いのか…まぁお歳もお歳なので(還暦越えました)お前さんもボチボチ引退をして余生を送る
用意をしたらどうなんだい と強くじゃぁないけどソロっと囁きが聞こえてきます(苦笑) 大体私らおやじの年代でしたらとっくの昔に定年を迎えていました。確か55歳で停年だったようで
それから第二の人生を…と言っても楽隠居したわけではなく近くで二度目の再就職、要はもう一度働いたのですね^^当時…昭和の50年代は既に長寿社会を迎えかけていました。
けれども社会の構成や企業の年功序列方式はガッチリとありました。そして停年制度を55歳としているのが一般的な時代でもありました。ですから父はまだ若かったし(自覚として)
実際同じ年のひとは皆再就職されていたようです。当時これとは少し違いますが、寿(ことぶき)退社というのが制度ではありませんが、慣習として私の女房の頃までは日本の社会にありまし
た。
これは今では全く死語となっていますが、軽く説明をしますと 寿…結婚としますが結婚と同時に会社を退職するのが当時の常識となっていました。しかも婚期というのが世間の常識みたいに
あって女は(当時は女性とは言わなかった)結婚したら家庭に入って子育てをしながら夫を立て良い家庭を築くのが幸せだ)としたのが世間の常識で結婚年齢も誰が考えたのかクリスマスと掛け
合わせて25歳がひとつの区切りとしていてクリスマスまでには…なんて急かされて今なら女性蔑視 でひどい目に会うようなことが当時は当たり前だったのですね。
併(しか)し、偏見はあったものの日本の経済は健全なる右肩上がりの好調さを続けていましたし、街中子供の歓声で溢れていました。
さて、昔話に花を咲かせていますが、今年も花が咲くかどうか・・コロナよ暖かくなったら退散しておくれ^^
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