おはようございます^^
天気予報を見たら今週末にかけて 又々 雪になるそうです。(場所によりけりでここは近畿地方の某処)
今年は 初雪が ドカ雪になった所為(せい)でそのあと 雪の予報が出るたびに 肩を竦(すく)めて仕舞います。
人は地球上のあらゆる生物の頂点に立っている筈なのに 意外と自然の災害には立ち向かうげんきがありませんねぇ。
口ほどにもないヤツ‥と天狗さんやカミナリ様に冷笑(わら)われているようです。 まぁ 今に見ておれ、お前らなんか泡で
丸めこんで宇宙のごみにして放っぱらうぞ~ ^^
人間は有史以来 切磋琢磨しながら自(みずか)らの文明を啓(ひら)いてゆきました。それと同時に 疫病の対策や飢饉、災害から逃れる術(すべ)にも
対策を講じてきました。それは人間の歩みと共に革新された新しい文化や技術も広まり始めました。 ほんの百年前ですと 結核は不治の病として
人々から恐れられていました。それが 今日(こんにち)の医学では なんてことないただの病気で 抗生物質を飲めば立ち処に完治するのです。
夜間の照明は高価な菜種油に頼っていましたが 今ではとても明るく 誰にでも使える当たり前のモノになって仕舞いました。
乗り物は 牛か馬、それより速く走れるものなどありません。それが どうですか‥時速で表示するのがいいのか、マッハ15^^ で表すのが良いのか
東京と姫路間を僅か3時間と云えば 大石内蔵助は目を回してしまうでしょうね‥
私が思うに、人類は縄文の時代から江戸の時代までの数万年?の間にどれほどの成長をしてきたのか…私が思うのに
その何万年もの間に発展するものがありました、その反面 衰えたモノやなくなったモノ‥いろいろとあるでしょう。
でも私が思ったのは昭和の始めごろまでは飢えや災害や自然との生存を賭けた闘いがありました。
そこから進歩をして人間が飽食になったのは(地域に依ります、悪しからず‥)わずか数十年ほど前の出来事でしたよ。
数十年って ホント? 平成生まれのみなさん、 おじいちゃんおばぁちゃんの昔のお話をよく聞いてみて下さい。
食べる物を粗末にしてはいけません、作った農家の人に感謝、食べ残しては もったいない‥など食にまつわる事がいつも出て来ていませんか。
それは学校から帰って来て おやつがなかった時代、自家製のあられ餅を焼いて食べ空腹を満たした名残でしょうか。
ある人が時代の移り変わりがあるのは当然として その流行(はやり)りというか盛期はおよそ30年から40年くらいだとおっしゃるのです。
例えば繊維業界を挙げてみますと 戦後の物のないころ 衣食を足りて礼節を知る という有名なことわざの通り荒れた時代でした。
昭和15年ごろから戦争の為食糧は乏しくなりました。それが大きく改善されたのは昭和40年から化学肥料や耕作機械の導入などが出始めましたからです。
それと併せて着るものにも注目が集まりました。衣服や寝具はどれも繊維で出来ています。 昭和30年頃からおよそ昭和60年までが繊維業界の
盛期になりました。
これに遅れながら後に工業だとか商業が盛んになりジャパン アズ ナンバーワン。日本は世界一の国になりました。
‥‥それからバブルははじけてしまいました。 今 振り返ってみますと 士農工商 となっているとその人は云うのです。
士農工商 とは江戸時代に幕府が創った階級制度ですね。 それと この百年の盛衰が合致するのだ、とその人は重ねて言いました。
なるほど、今 それぞれの業界の隆盛期を話してきましたが、改めて見直してみますと正に士農工商なのです。
そりゃぁ多少ズレているところもありますが およそはピンポンのようです。
では この先は やっぱり士農工商の順序でいくのでしょうか?平成の世の中は なんじゃかんじゃ言いながらも 士(し)の時代ではなかったでしょうか。
では 士 とは‥士農工商の内 自(みずか)らが稼いでないのは 武士。今でいう公務員さん^^ あんまる云うと怒られますので
これくらいにしておきますが 令和の時代は 士農工商 士の次、農ですね。 自然の災害や爆発的な人口増加 再び飢餓の時代がくるのでしょうか‥
日本は人口が減少してゆきますが、後進諸国の人口の爆発的な増加はたちまち世界中で食糧不足に陥るそうです。そうなった時日本はどうなるか。
人口が減って普通の国になって仕舞った日本は経済力も並みの順位になり、今までは輸出が旺盛でしたが 経済の規模が縮小して技術力も他の国々に追い越されて
資源も無い国の、末路は大変でしょう。唯一食糧を増産して海外に輸出することが日本に遺された生きる道でしょう‥‥
とまぁ これは 或る人のご高説を紹介しました。
そうならんことを祈念しますが 家で焼き餅くらいは作れるようにしましょうか^^