シベリアから日本海を渡って冷たい風が吹き始めました。季節はもう秋ですね。この新潟の工場は内陸部に入り込んだ場所にありました。
この辺りは有数の豪雪地帯で一晩に1メートルの降雪も珍しくありません。二年間ここで暮らしてこの雪だけはさすがの藤岡工場長も参りました。育った田舎も雪は降りますがここの雪はレベルが違いました。
工場長自らがスコップを手にして雪掻きをしたことが想い出となって蘇ってきました。
『ここも雪さえ降らなかったらなぁ』そう思ったこともありましたが今となってはそれもどうでもよいのでした。
昨日人事異動の発令を手にして藤岡工場長は身体から力が抜けてしまいました。
発令の前日に永田専務から電話をもらうまでは…
電話の向こうの永田専務は極めて冷静な声でした。それが返って藤岡工場長の不安を掻き立てました。
案の定人事異動は閑職への移動でした。
『どうして…』電話にかじりついて抗議しても空しさだけが残りました。
永田専務から手短に説明された話に依ると藤岡工場長は次期専務の構想から外れていたのです。
各本部の本部長には次期専務の意向が盛り込まれていました。
*本部…事業本部の下に各本部があります。営業本部、技術本部、生産管理本部、品質管理本部…などですここまでが縦割りです。各本部の長が本部長、それを束ねているのが取締役役員です。…永田専務のせめてもの抵抗は永田派の小松部長を本部長に上げたくらいでした。
『小松君なら結構だよ彼は仕事ができるから…』豊島社長から諒承を取り付けても永田専務は得心できませんでした。
社長が言う様に小松は派を超えた評価がありました。
社長が永田専務に話した事は次期専務の構想に合わせて欲しいとの要望でした。会社は組織で機能しています。いかに社長と言えども専務の人事権を剥奪することはできません。あくまでも要請として話すしかありませんが、宮仕えなら誰もが社長の要請を断ることはできないでしょう。
『承知致しました』永田専務の一言で藤岡工場長の野望は一瞬にして消え去りました。
名門C大の法学部を卒業した豊島社長は川中専務と同じく高学歴が好みでした。そして野武士よりも貴公子を重んじたのです。
話しの中で豊島社長の口からは藤岡工場長の名前は遂にでませんでした。無視をすることで暗に否定しているに間違いありません。
たとえ逆らって見たところで半年の命でしょう。
惨めな後が待っているのが目に見えていましたから…
永田専務は忸怩した気持ちでした。
今回人事異動に上の力が動いた背景には永田専務派の攻撃的な藤岡と 川中派の後藤以下の遺恨が事業部内の抗争になることを恐れたのではないでしょうか。
たとえば温和な小松の件にしても社長は異存なしと答えているからです。
一度川中と飲んでみるか…永田専務は銀杏の葉が舞う歩道を眺めながら思いました。
川中派であれ永田派であれ優秀な人材を適材適所として配置していくのが組織を有効に機能させるのです。我々取締役専務の仕事だと永田専務は自負していました。
…専務、この立場まで上がってきた川中専務も多分同じ考えを持っているはずだから。
…それから二人は銀座でグラスを交わしたのでしたが そこで驚愕の人事を耳にしたのでした。
それは根本本部長の取締役就任でした。
根本さんは永田派でも川中派でもありませんでした。 T大卒の超エリートで事実切れ者と評価が高かったのでした。
年令が五十三才。 少し若いかと取締役会でも出ましたが豊島社長が押し切った形になりました。
『53才か…』
永田専務はつぶやいてからふと思い出しました。
『そうか!藤岡と同い年じゃあないか!』
根本さんは創業以来の事業本部からの移転でした。
これは取締役を拝命するまえにいろいろな本部を回って事業部内を知るておくと説明しましたが、あくまでも事業本部内での話です。
しかし社長級を目指すとなると事業本部を全て知って置くために事業本部を回るのです。
平取締役と社長級ではあちこち回るスケールが違いました。
事実永田専務は若い時は別にしてもこの事業本部に三十年はいます。川中も然り…
二人はこの流れを知っているため、 『いよいよ決まったか』と顔を見合わせました。
がむしゃらに出世にこだわりながら左遷の憂き目に会った藤岡さんと上からのご指名をもらった根本さん。
この一報が新潟に届く頃藤岡は九州の工場への赴任の支度に追われているだろうなぁ…
そしてあいつはそれを聞いてどう思うだろうか。
あいさつに本社に訪れる予定はキャンセルとなった今永田専務には慰めようもありませんでした… (完)
この辺りは有数の豪雪地帯で一晩に1メートルの降雪も珍しくありません。二年間ここで暮らしてこの雪だけはさすがの藤岡工場長も参りました。育った田舎も雪は降りますがここの雪はレベルが違いました。
工場長自らがスコップを手にして雪掻きをしたことが想い出となって蘇ってきました。
『ここも雪さえ降らなかったらなぁ』そう思ったこともありましたが今となってはそれもどうでもよいのでした。
昨日人事異動の発令を手にして藤岡工場長は身体から力が抜けてしまいました。
発令の前日に永田専務から電話をもらうまでは…
電話の向こうの永田専務は極めて冷静な声でした。それが返って藤岡工場長の不安を掻き立てました。
案の定人事異動は閑職への移動でした。
『どうして…』電話にかじりついて抗議しても空しさだけが残りました。
永田専務から手短に説明された話に依ると藤岡工場長は次期専務の構想から外れていたのです。
各本部の本部長には次期専務の意向が盛り込まれていました。
*本部…事業本部の下に各本部があります。営業本部、技術本部、生産管理本部、品質管理本部…などですここまでが縦割りです。各本部の長が本部長、それを束ねているのが取締役役員です。…永田専務のせめてもの抵抗は永田派の小松部長を本部長に上げたくらいでした。
『小松君なら結構だよ彼は仕事ができるから…』豊島社長から諒承を取り付けても永田専務は得心できませんでした。
社長が言う様に小松は派を超えた評価がありました。
社長が永田専務に話した事は次期専務の構想に合わせて欲しいとの要望でした。会社は組織で機能しています。いかに社長と言えども専務の人事権を剥奪することはできません。あくまでも要請として話すしかありませんが、宮仕えなら誰もが社長の要請を断ることはできないでしょう。
『承知致しました』永田専務の一言で藤岡工場長の野望は一瞬にして消え去りました。
名門C大の法学部を卒業した豊島社長は川中専務と同じく高学歴が好みでした。そして野武士よりも貴公子を重んじたのです。
話しの中で豊島社長の口からは藤岡工場長の名前は遂にでませんでした。無視をすることで暗に否定しているに間違いありません。
たとえ逆らって見たところで半年の命でしょう。
惨めな後が待っているのが目に見えていましたから…
永田専務は忸怩した気持ちでした。
今回人事異動に上の力が動いた背景には永田専務派の攻撃的な藤岡と 川中派の後藤以下の遺恨が事業部内の抗争になることを恐れたのではないでしょうか。
たとえば温和な小松の件にしても社長は異存なしと答えているからです。
一度川中と飲んでみるか…永田専務は銀杏の葉が舞う歩道を眺めながら思いました。
川中派であれ永田派であれ優秀な人材を適材適所として配置していくのが組織を有効に機能させるのです。我々取締役専務の仕事だと永田専務は自負していました。
…専務、この立場まで上がってきた川中専務も多分同じ考えを持っているはずだから。
…それから二人は銀座でグラスを交わしたのでしたが そこで驚愕の人事を耳にしたのでした。
それは根本本部長の取締役就任でした。
根本さんは永田派でも川中派でもありませんでした。 T大卒の超エリートで事実切れ者と評価が高かったのでした。
年令が五十三才。 少し若いかと取締役会でも出ましたが豊島社長が押し切った形になりました。
『53才か…』
永田専務はつぶやいてからふと思い出しました。
『そうか!藤岡と同い年じゃあないか!』
根本さんは創業以来の事業本部からの移転でした。
これは取締役を拝命するまえにいろいろな本部を回って事業部内を知るておくと説明しましたが、あくまでも事業本部内での話です。
しかし社長級を目指すとなると事業本部を全て知って置くために事業本部を回るのです。
平取締役と社長級ではあちこち回るスケールが違いました。
事実永田専務は若い時は別にしてもこの事業本部に三十年はいます。川中も然り…
二人はこの流れを知っているため、 『いよいよ決まったか』と顔を見合わせました。
がむしゃらに出世にこだわりながら左遷の憂き目に会った藤岡さんと上からのご指名をもらった根本さん。
この一報が新潟に届く頃藤岡は九州の工場への赴任の支度に追われているだろうなぁ…
そしてあいつはそれを聞いてどう思うだろうか。
あいさつに本社に訪れる予定はキャンセルとなった今永田専務には慰めようもありませんでした… (完)