友人のブログで旧大和川のことが書いてあったので、勢いで書いてしまった。本当はコメントしようかと思っていたが、せっかくなのでコチラに記しトラックバックすることにした。(なので、以下の文体は何故か「です」「ます」調になっているのであしからずm(_ _)m)
↓↓藤原・室建築設計事務所ブログ↓↓
http://blog.livedoor.jp/architectstudio/
-------------------------------------------------
学生の時に何気なく大阪東部の地図を見ていた時に、帯状に蛇行した連続する町名を見つけたことがある。なんだか面白そうと思い文献資料で追跡してみると、それが付け替え前の大和川の名残であることを発見して歓喜したことがあります。
かつて旧大和川は八尾市の【二俣】から二手に分かれていて、両方の川は放出の近くにある【川俣】という場所で再び合流します。ちなみに、こちらは西を今も長瀬川というカタチで残っております。かつての川幅の名残(?)を簡単に見つけるには【菱屋西】という地名を探してみると良いでしょう。また東側の流れる川を見つけるには、【菱屋東】という地名を探すことをお薦めします。【菱屋】繋がりというの面白いと思います。
また東を流れる川は花園の辺りで更に東に分岐していたみたいで、花園ラグビー場から住道に向って【川中】という細長い地名を見つけることも出来ます。
旧大和川は氾濫が多かったと昔の文献は記しています。氾濫を鎮めるためなのか、氾濫の際に避難する為なのかわかりませんが、いやそれよりも本当にお堂が建立されていたのかどうかさえも知りませんが、これらの流域には【長堂】【瓜生堂】【岸田堂】【近江堂】【太子堂】というように、○○堂という地名が多いのも一つの特徴だと思います。
-------------------------------------------------
ま、こんな感じ・・・全然纏まってないし、つまらん文章だし、オチもないけど(^^;)
↓↓藤原・室建築設計事務所ブログ↓↓
http://blog.livedoor.jp/architectstudio/
-------------------------------------------------
学生の時に何気なく大阪東部の地図を見ていた時に、帯状に蛇行した連続する町名を見つけたことがある。なんだか面白そうと思い文献資料で追跡してみると、それが付け替え前の大和川の名残であることを発見して歓喜したことがあります。
かつて旧大和川は八尾市の【二俣】から二手に分かれていて、両方の川は放出の近くにある【川俣】という場所で再び合流します。ちなみに、こちらは西を今も長瀬川というカタチで残っております。かつての川幅の名残(?)を簡単に見つけるには【菱屋西】という地名を探してみると良いでしょう。また東側の流れる川を見つけるには、【菱屋東】という地名を探すことをお薦めします。【菱屋】繋がりというの面白いと思います。
また東を流れる川は花園の辺りで更に東に分岐していたみたいで、花園ラグビー場から住道に向って【川中】という細長い地名を見つけることも出来ます。
旧大和川は氾濫が多かったと昔の文献は記しています。氾濫を鎮めるためなのか、氾濫の際に避難する為なのかわかりませんが、いやそれよりも本当にお堂が建立されていたのかどうかさえも知りませんが、これらの流域には【長堂】【瓜生堂】【岸田堂】【近江堂】【太子堂】というように、○○堂という地名が多いのも一つの特徴だと思います。
-------------------------------------------------
ま、こんな感じ・・・全然纏まってないし、つまらん文章だし、オチもないけど(^^;)