本当に西梅田は再開発が盛んで、ハービスの二期工事もかなりいい感じで劇団四季の杮落としの演目などが先日新聞で紹介されていました。その裏手のサンケイビル付近も新しく建て変わるみたいですし、梅田界隈としては1980年代におけるJR大阪駅南側「第一~第四ビルの建設に伴う再開発事業」以来の大開発ではないかと思います。
西梅田の再開発はJR西梅田貨物操車場跡の再開発と、それに前後して阪神電車が地下化されたことに伴う再開発事業に端を発し現在に至っています。当時は今のリッツ・カールトンのある辺りまで阪神電車が地上を走っておりました。
先日、JR大阪駅御堂筋南口から外に出ると阪神百貨店と阪急百貨店を結ぶ交差点の脇に鉄骨二階建ての何かを建設中でした。(写真参照)1階のピロティはバス乗り場になっていて、立地的にはJR大阪駅の改修工事に伴い締め出される店舗の仮設利用に使われるのではないかと勝手に思っております。歩道橋にも近接しているので、二階からもアクセスできるようにするのですかねえ。
現在、大阪駅構内は週替わりの迷路になっていて、週末訪れるたびに迷います。ていうか行き止まり多過ぎです。駅構内のプラットホームは環状線の隣にある1・2番線ホームが完全に封鎖され解体工事中です。1・2番線が完成すると隣のホーム、また隣のホームと順番にリニューアルしながら橋上駅舎の足場を確保していくのだと思います。ホームを上部からガンガンに掘っているのが隣のホームから見えるのですが、ホームを構成する部材が意外に薄っぺらな感じなので驚きました。
大阪駅近辺はもともと地盤の弱い土地で「梅田」の地名の由来も「埋田」から来ていると言われております。なのでJR大阪駅は昔から幾度となく地盤の沈下という危機にさらされ、そのたびにかさ上げ工事を実施しています。駅構内が微妙に階段が多いのはそのためで、ホームに上がる階段も上がり終わる前に側壁をみると壁の色カタチから建設年代が異なっている(つまり継ぎ足されている)ことがわかる部分があります。ま、高度成長化時代を経て、地下用水の取水制限も確立されているので、再び当時のような地盤沈下はないと思うが、今回の大規模改修でそのへんのことはキチッと補強して頂きたいものである。
JR大阪駅が橋上駅舎によって南と北の動線を巧みに繋ぐことが出来れば再開発中の西梅田・東梅田、なかなか開発の進まない茶屋町界隈、そして、大阪最後の一等地と言われている北梅田、更にはスカイビルのある新梅田シティと大梅田商業地区が形成されるのではないかと密かに期待しているところであります。
西梅田の再開発はJR西梅田貨物操車場跡の再開発と、それに前後して阪神電車が地下化されたことに伴う再開発事業に端を発し現在に至っています。当時は今のリッツ・カールトンのある辺りまで阪神電車が地上を走っておりました。
先日、JR大阪駅御堂筋南口から外に出ると阪神百貨店と阪急百貨店を結ぶ交差点の脇に鉄骨二階建ての何かを建設中でした。(写真参照)1階のピロティはバス乗り場になっていて、立地的にはJR大阪駅の改修工事に伴い締め出される店舗の仮設利用に使われるのではないかと勝手に思っております。歩道橋にも近接しているので、二階からもアクセスできるようにするのですかねえ。
現在、大阪駅構内は週替わりの迷路になっていて、週末訪れるたびに迷います。ていうか行き止まり多過ぎです。駅構内のプラットホームは環状線の隣にある1・2番線ホームが完全に封鎖され解体工事中です。1・2番線が完成すると隣のホーム、また隣のホームと順番にリニューアルしながら橋上駅舎の足場を確保していくのだと思います。ホームを上部からガンガンに掘っているのが隣のホームから見えるのですが、ホームを構成する部材が意外に薄っぺらな感じなので驚きました。
大阪駅近辺はもともと地盤の弱い土地で「梅田」の地名の由来も「埋田」から来ていると言われております。なのでJR大阪駅は昔から幾度となく地盤の沈下という危機にさらされ、そのたびにかさ上げ工事を実施しています。駅構内が微妙に階段が多いのはそのためで、ホームに上がる階段も上がり終わる前に側壁をみると壁の色カタチから建設年代が異なっている(つまり継ぎ足されている)ことがわかる部分があります。ま、高度成長化時代を経て、地下用水の取水制限も確立されているので、再び当時のような地盤沈下はないと思うが、今回の大規模改修でそのへんのことはキチッと補強して頂きたいものである。
JR大阪駅が橋上駅舎によって南と北の動線を巧みに繋ぐことが出来れば再開発中の西梅田・東梅田、なかなか開発の進まない茶屋町界隈、そして、大阪最後の一等地と言われている北梅田、更にはスカイビルのある新梅田シティと大梅田商業地区が形成されるのではないかと密かに期待しているところであります。
「駅をまたいで両側のイメージが繋がっている街」ちょっとのあいだ探してみよかと思います♪
駅を境に陰陽が出来るのが常です。
京都駅なんて壁が出来たようなものですな。
ほかにも土佐堀側と日銀の間の川沿いなどに(別会社名義で)無理やり薄っぺらいビルを建てたりしてます。現在は市が土地買い取って緑地になってますが、とてもビルが建ってたようには見えない狭さ。
古い本を探していたら、昭和54年頃の西梅田方面から国鉄大阪駅方面を望んだ空撮写真を見つけましたので近いうちにどこかにアップしたいと思います。ところで、ドキュメント風の社史の話、どこの不動産ですか?サイトとかありますかね?
こんばんは、どりあんさん。
ようこそ、おいでくださいました♪
多少(・・・随分と?)マニアックなネタばかりですが、気が向いたらまた遊びに来てください。基本的には私の脳味噌の中身を日替わりでジュルジュルと垂れ流して行きたいと考えております。
野田~福島のあたりは今でも長細い商業ビルとか駐輪場とか蛇行した空き地とかで当時の線路の跡を忍ばせるカタチのものがそれとなく残っていますね。たぶん、土地の区画整理でもしない限り、古傷のようにいつまでも残るのでしょうね。
梅田の工事まだやってるのですね。夏前だかに行った時、私もやっぱり迷いました(笑)
阪神電車が地上を走っていたというのも、今はもう懐かしい感じ。福島の沿線に友達の家があったので、ちょうど工事が完成間際くらいによくウロウロしていました。
全部完成したらどんな感じになるのでしょう。梅田好きな私としてはとても楽しみです。
現在あるビルが建っている土地の話ですが、戦争で建設が頓挫して空き地になっていた土地に、不法占拠でヤミ市が立ち、地権者とのゴタゴタの中、昭和28年の元日に突然無人の商店街より出火…と生々しくもドキュメント風の話がある不動産会社の社史に掲載されていて、思わず読み入りました。
そうですね。あの一角(第二吉本ビルから時計回りに桜橋交差点を経て国道二号線を西に進み、セルフサービスのビジネスホテルあたりまでの界隈)と丸ビル周辺は吉本興業の資本がたくさん入っています。ちなみに、丸ビルも吉本資本だし、桜橋ボウルも吉本資本。更にリッツカールトンの裏手にあるビジネスホテルも吉本資本。ここで一泊すると桜橋ボウルの割引券がもらえます。
ちなみに、inomamoさんは御存知だと思いますが、この吉本興業は漫才で有名な吉本興業とは全く関係のない別会社であることを念のため書いておきます。しいて、共通点があるとすれば、経営者がものすごくドケチだということかな。
世間は「ヒルトンプラザ・ウエスト」テナントのオッシャレ~なイメージに眼がウルウルしているような感じですが、ビル名が「第二吉本ビル」って、あの吉本興業資本なんでしょうか?ヒルトン大阪は吉本ビルディングだし…。もう、ヒルトン姉妹も小室哲也みたく吉本入りしてくらっさい。
書き込みありがとうございます。
昔から、マチの成り立ちとか地名とかに興味があったもので思わずマニアックに書いてしまいました(^_^;)
いつか、お会いできることを楽しみにしています。
お初の書き込みでございます。
しんたろうBLOGによく登場するkattiと申します。
以後お見知りおきを!
梅田の歴史をこうやって読んだのははじめてでございます。とても興味深く拝見させていただきました。
私も中崎町でマンションを建設していたときがあります。
結構いろんなものが出てきて杭工事の時には苦労した記憶がよみがえってきました。
今後3年間でこのあたりの雰囲気はガラっと変化してくるのでしょうね。
楽しみでもあり、残念でもあります。
オープンの際はご一緒いたしましょう。
S生命さんにお願いしておきますので。