とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

稀勢の里引退 力士がもっと休める環境を

2019-01-16 13:54:53 | スポーツ
 稀勢の里が引退する。残念である。この件に関してひとつ申し上げたい。相撲界も成り立ちから考えると伝統を大切にしたい気持ちもわからなくもないが、少なくとも健康面に関しては前近代的な伝統よりも近年のスポーツ医学に依るべきである。ケガをした力士はそれに応じて休める環境を整えるべきであり、改革すべきである。。

 稀勢の里は何度も横綱に挑戦しそのたびにぎりぎりのところで昇格ならず、それでも挑戦し続けようやく横綱になれた。しかしその直後に大きなケガをしてしまい、そのケガが完治しないまま土俵に上ったため満足な活躍ができなかった。結果として横綱としてはそれほどの成績を残せないままの引退だ。悔しいだろう。しかし、その強さは本物だった。大関としての成績はものすごい。史上最強の大関であろうと。その結果としての横綱なのだから胸をはっていい。

 それにしても、相撲は少し前までは八百長めいたものもあったのは事実であろう。だから大きなケガは少ないし、ケガがあってもごまかしが効いた。しかし今は真剣勝負であり、大きなケガがさけられない。近代スポーツにおいてケガはつきものなのだ。

 だからケガをした場合は医師の診断をもとに、ある程度の期間休めるようにする方向での改革が必要だ。どんなスポーツでも大きなケガをすれば長期間休まざるを得ない。そんな中で相撲だけが2、3場所程度の休場しかゆるされないような風潮がある。これはいけないことである。力士は無理をして出場し、さらに悪化させ、引退を余儀なくさせられる。これでは本気で相撲を取るのをやめるか、けがをして相撲をやめるかどちらかしかなくなってしまうであろう。

 相撲もこれだけの人気スポーツなのだから、改革すべきことは改革しなければならない。そうしなければ、新しい血は入らない。
 
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「羅生門」③〔オーソドックな授業〕

2019-01-16 07:30:56 | 国語

〔オーソドックな授業〕
 「羅生門」のオーソドックスな授業はどういうものか。確認しておきたい。

①「段落分け」

 場面展開によって4つの段落に分ける。
 1段落 下人が羅生門の下にいる場面
 2段落 下人が梯子から老婆の行動を覗いている場面
 3段落 下人と老婆との対峙の場面
 4段落 下人が羅生門から去ったあとの場面

② 1段落の読解

 段落分けの後は段落ごと読んでいく。

 1段落は下人が羅生門の下にいるだけで、下人のセリフもなく、行動もほとんど何もしていない。状況描写、心理描写によって進められる。授業において定番となる話題は次の通りである。

・状況描写といしては、「鴉」、「蟋蟀(きりぎりす)」、「にきび」などが目につき、それによってどういうことが読み取れるのかを考えさせることになる。とくに「にきび」に関しては、若さの象徴であることが指摘され、それと3段落における「不意に右の手をにきびから離して」という記述との対応を考えさえることもよく行われる。

・心理描写としては、下人の心の迷いを読み取らせることになる。特に
「下人の考えは、何度も同じ道を低徊したあげくに、やっとこの局所に逢着した。」
の記述に注目させ、「この局所」はどういうものかを考えさせるのは定番である。

・もうひとつこの段落で言及されることが多いのは、「作者はさっき、(以下略)」と「作者」が小説に介入していることに注目させることもよく行われる。

③ 2段落、3段落の読解

 2段落から3段落は下人の心理の変化を追うことになる。恐怖感から、正義感へ、そして最後には追いはぎをする心理への変化を追い、その変化を引き起こした原因を探ることになる。

 正義感によって盗人になることを思いとどまっていた下人が、自分を守るために正当化しようとする老婆のセリフによって、逆に老婆を襲うという行動にでてしまい、正義感を捨ててしまう。この逆説的な行動を説明しようと授業者はやっきになる。

④ 第4段落の読解

 最後に下人はその場から駆け出す。
「下人の行方は誰も知らない。」
と終わるこの小説の、下人の今後を考えさせたり、あるいは下人の行動が許されるか、許されないかを考えさせたり、それをディベートにしたりして授業は終わる。

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