「学校空間はあるような内容中べーーガラスの壁に囲まれている。作文もその中で書かなければならないか学校空間はあるような内容中べーーガラスの壁に囲まれている。作文もその中で書かなければならないかを伝授することが、この本の目的だ。」
「実はぼくの研究も、結局は研究というガラスの壁の中で、個性的に見える論文を書いているだけではないかと思う。ぼくはそうやって生き延びてきた。」
「はじめに」の部分でこのように書かれている。随分とひねくれた人だなと思うと同時に、めちゃくちゃ正直な人だなと感じる。自分を認めながらこの世の中で生きていくための文章読本である。
石原千秋さんは国語教育の問題、さらには教育全般の問題ににさまざまな意見を発している人であり、氏の本からはたくさんのことを学ばせていただいている。この本の中にも例えば法科大学院の崩壊のことについて文部科学省を批判して「『ロースクール』という流行語が人々の思考を停止させてしまった」というするどい指摘をしている。
文部科学省は最近は「アクティブラーニング」という流行語を作りだした。しかし、その流行語が単なる流行語になり、なんでもかんでも「アクティブ」ならばいいというような風潮をつくりだしつつある。どういう意図で流行させようとしているのかわからないもま、にぎやかならばいい授業という勘違いが生まれている。覚えなければならないことを覚えるという勉強そのものが本質的に持っている地道な努力を無視しようとしているとしか思えない流行である。流行語を作りたがり、その成り行きを見物するのが文部科学省である。失敗すれば現場のせいにすればよいのだ。いい加減にしてもらいたい。
私自身の実感として、教育の現場は年々息苦しくなってきており、その中で生きていくことはしんどいと考えることもくなってきた。石原氏の意見はひねくれているように一見見えるが、教育現場の息苦しさをよく映し出しているのかもしれない。
しかし一方ではそこまでしなくても、もっと素直な読み書きでいいのではないかとも思う。戦うべき場所は人それぞれなのだから。