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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

日野原先生の小学生時代の渾名は、「金時さん」だった。

2017-07-26 03:45:46 | 日記
7月18日に日野原重明先生が105歳で亡くなったというニュースがネットに流れました。
日野原重明先生はいつまでも生きられると思っていましたが、やはり人間寿命があるということを
再認識しました。

 中日新聞の「中日春秋」というコラムに日野原先生のことを書かれていました。


 日野原重明さんは、その105年の生涯で、主治医として千人を超える人々の
最期をみとったという。
その最初の一人は、16歳で逝った少女だった。
 少女は80年前の7月、大きな目を見開きながら、こう語ったそうだ。
「私はこれで死んでゆくような気がします」。
日野原さんは懸命に治療を続けつつ、励ました。
「あなたの病気はまたよくなるのですよ。元気を出しなさい」。
しかし、その言葉もむなしく、少女の心音は消えた。
医師として初めて受け持った患者の死は衝撃だった。
だが、それ以上に日野原さんは重い石を胸に抱え込んだのだろう。
こう自問し続けたという。

なぜ、死を受容した患者を受け止めることができなかったのか。
むなしい励ましの言葉ではなく、ただ黙って手を握ってあげればよかったのではないか。
(『僕は頑固な子どもだった』)
そんな日野原さんには、「理想の死」があったという。
自宅で家族に「ありがとう」と柔らかに響く声で伝えてから、
静かに逝った祖母。
幼かった日野原さんも恐怖や悲しさより、あたたかさを感じたほど、
安らかな最期だったという。
戦争や天災、テロ。
あまりに多くの不条理な死を目にしてきた日野原さんにとって、
一人でも多くの人に静かな最期を迎えてもらうことこそ、
医師の使命だったのだろう。

 「ありがとう」と口にしつつ、静かな最期を迎えたそうだ。


 以上です。


 「その最初の一人は、16歳で逝った少女だった。」。
この話は、NHKテレビで放送された日野原先生の逸話で知っていました。

Wikipediaで日野原先生を調べましたら、素晴らしい功績の持ち主ですね。
その中で2点興味を持ちました。

 1点目は、日野原先生は小学生時代「金時さん」と同級生から渾名がつけられるほど、
赤面恐怖症であったそうです。関西学院中等部の弁論部以外に、演劇、ピアノ演奏、合唱の指揮などで
人前に出る事で克服をしたと語られていたそうです。
 テレビで拝見した日野原先生からは、まさか赤面恐怖症だったなんて、
信じられませんでした。

 もう1点は、日野原先生は東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった経験から、
「過剰投資ではないか」という批判を抑えて、
大災害や戦争の際など大量被災者発生時にも機能出来る病棟として、
広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院の新病棟を1992年(平成4年)に建設された。
この備えは1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の際に遺憾なく発揮され、
通常時の機能に対して広大すぎると非難されたロビー・礼拝堂施設は、緊急応急処置場として機能した。
院長であった日野原先生の判断により、
事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを無制限に実施し、
同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件でありながら、
犠牲者を最少限に抑えることに繋がった。 


 誰もが過剰な投資だと思っている設備を過去の東京大空襲の経験から、
広大すぎるロビー・礼拝堂設備を備えた新病棟を建設された慧眼に、
驚きます。
サリン事件が起こるなんて誰もが「想定外」の筈ですが、日野原先生は
過去の苦い経験を生かされました。
誰も出来なかったことだと思います。

 先生の著作を読んでみたいと思います。








ピーター・ポール&マリー(PPM)/虹と共に消えた恋(Gone The Rainbow)

この頃の写真が、一番綺麗で一番輝いていたのでは

2017-07-25 03:05:24 | 日記
 中日新聞「くらしの作文」という読者投稿欄に58歳のパートの女性が
「すまし顔の遺影」というタイトルで投稿されていました。

 
 「遺影にずいぶん若いころの写真を使ったのね」

 昨年、親友を乳がんで亡くした。
幼稚園から高校まで一緒で、これから先もずっと
親友でいるはずの人だった。

 友は余命半年と打ち明けてくれていた。
その凛とした強さに驚きつつ、少しでも支えになればと、
数人の友人と桜などが咲き誇るフラワーパークへ遠足に出かけた。

 楽しい思い出は残ったけれど、変わり果てていく友の姿を
見るのはつらかった。

 若い遺影が友人間で話題になり、
初盆参りの折、夫君に尋ねて見た。
聞けば、30代のころ、パスポート用に撮った写真だという。
余命を宣告されて以降、二人は思い出づくりの旅行に出かけている。
その折に撮った写真を遺影にと、夫君は友に提案した。

 それは紅葉の季節、柔らかな秋の日に照らされて、穏やかな
笑みを浮かべている友の写真だった。
ところが友は首を縦に振らなかったそうだ。

 そして自らが差し出したのが、この写真だった。
このころの二人は、たしかまだ結婚前で、二人が最も
ときめいていたころだったと思う。
そのころの自分を、友は置いて逝った。

 闘病生活の疲れなどない、
きりっとした目尻、
しわの一本もないその顔は、
すました顔で私たちを見ていた。

 以上です。

 「このころの二人は、たしかまだ結婚前で、二人が最も
ときめいていたころだったと思う。」。

 この写真を亡くなった親友の女性が選ばれたお気持ちが
よくわかります。
きっとこの頃の写真が、一番綺麗で一番輝いていたのでは。
女性って恋をされている時、とても綺麗ですよね。
この女性、とてもご主人のことを愛されていたと思います。
この女性は一番輝いていた頃のご自分を、ご主人やご家族、お友達に覚えて置いて欲しかったのでは。

 振り返って見ますと、結婚前のかみさんとの写真が1枚もありません。(苦笑)
カメラを持っていなかったし、写真を撮るという考えが思いつかなかったです。
 ということで、私の遺影の写真を選ぶなら10年前 末っ子の孫の
1歳の記念写真を家族全員で写真屋さんに撮ってもらいました。
その時の写真にしたいです。
その頃の私は、正面から見ますと、髪もあるし、そんなに太って見えないので、
この写真を遺影に使ってもらおうかなと思っています。
60歳の時ですから、ここしばらくはこの写真でいいではないかと
思いますが。(苦笑)

 遺影といえば、いかりや長介さんの横向きで
タバコをくわえられた?写真が記憶に残っています。
ご自分が好きだった写真を遺影にされたようです。







「何故に二人はここに」 Kとブルンネン

人に言われて、自分の幸せに気付きました。

2017-07-24 05:12:45 | 日記
 先週の土曜日 また息子と小6と小4の孫がやって来ました。
野球の練習が休みのようです。
小4の孫は私の部屋に入るや否やパソコンで動画を見始めました。
息子と小6の孫は「買い物に行く言って」出かけました。

 出かけて40分程度したら帰って来ました。
100円ショップで600円の無線カーを2台買って来ました。
動かし始めましたら、無線機の周波数が同じで2台とも動き始めました。
これじゃ、競争できそうもありません。(苦笑)
1台ごとに周波数が違わないと操作盤1つで2台とも動いてしまうので、勝負できません。
さすが600円のおもちゃだけあると思いました。(笑)

 その後小6の孫が「おじいちゃん、将棋をやろう」と言いましたので、
挑戦を受けることにしました。
前回は最後に負けてしまいましたが、今回はどうなることやら。(笑)

 結構苦戦しましたが2回やって、2回とも私が勝ちました。
3回目もやりたそうでしたが、私が「疲れたから、やめよう」と言いました。
この小6の孫は、動作が優雅です。
どうしてなのかわからないですが、私が将棋のコマの動かし方を打ち出した紙を見るときの
動作を見ていると優雅に見るので感心します。
こんな動作は教えて覚えるものではないように思います。
歌舞伎役者の家に生まれればよかったのに。(笑)
爺馬鹿の感想です。

 先日 かみさんは姉さんと名古屋で買い物しましたが、
姉さんのご主人が「〇〇さん(私の苗字)は、お孫さんと将棋ができて羨ましい」と
言われたとのことです。
義兄のお孫さんが女の子ですので、一緒に将棋ができなくてそのような気持ちを持たれたようです。

 そう言われると、孫に将棋を教えながら将棋で遊ぶなんていうのは、
おじいちゃんとして幸せですね。
幸せは、近くにあるんですね。(笑)

 姉さんご夫婦は、お孫さんが一人ということもあり、お孫さんになんでも買ってあげたいようですが、
女のお孫さんは、何も欲しがられないようです。
特に姉さんは、お子様が男の子だけでした。
女の子の孫ということもあって、いろんな洋服を買ってあげたいようですが、
本人が欲しがらないのでどうしようもないとのことです。(苦笑)

 お金があっても、本人が欲しがらないのでは手が打てません。
世の中、なかなかうまくいかないものです。(苦笑)










Kとブルンネン~あの場所から~

毎月100万円を10年間使っても、まだまだお金が残ります。(笑)

2017-07-23 03:59:13 | 日記
 かみさんが先週の木曜日 名古屋へ姉さんとウィンドー・ショッピングに出かけるとのことでしたので、
よく当たると評判の名古屋駅前のチャンス・センターでサマー・ジャンボ宝くじを買ってくるよう頼みました。

 ジャンボ宝くじを買うのは20年ぶりぐらいです。
いつもはロト7を買っていますが、まるでかすりもしません。(苦笑)



 今回バラで3000円買うことにしました。
ジャンボ宝くじの当たる確率は1000万分の1ということで、当たったら奇跡でしょうね。
でも買わなければ当たりませんし。(笑)
 バラですので、1等が5億円です。

 かみさんもミニのサマー・ジャンボをバラで3000円買ったとのことです。
1等1億円です。
かみさんは「1億円当たったら、駅近辺のマンションを買う」と言ってました。(笑)
私は奇跡が起こったら、毎月100万円浪費します。
年に1200万、10年で1億2千万。
それでもお金は、十分余ります。(笑)

 宝くじで1億円当たった方を追跡調査された結果によると、当たった方で人生を台無しにされた方がたくさんいらっしゃるようです。
お金の使い方が荒くなるんでしょうね。
あくまで噂ですが、私の友人が1億円当たって、それを元手にして今までの商売を拡張して成功したと
いう話もあります。もちろん私に当たったなんて言いません。(笑)
当たっても人生を台無しにするのは、人によるんでしょうね。

 8月20日が抽選日だそうですが、それまで3000円ポッキリで大きな夢を見させていただきます。(笑)




 ところでいつも利用しているコメダ珈琲店で「コメダ50周年特別キャンペーン!」として、
スタンプを5個集めると、コメダおじさんの限定カップ&ソーサーが貰え、
7個集めるとキャンペーン限定ミニシロノワール「小豆三夏(あずきさんか)」が食べられます。
私はすでに7個集めて「小豆三夏(あずきさんか)」を1枚ゲットしています。
別の用紙に4個のスタンプを貰っています。
孫が3人いますので、ミニシロノワール「小豆三夏」を3つ貰って、孫たちに
ご馳走したいと思っています。(笑)
8月の10日前後には3つゲットできると思いますので、孫たちを連れてコメダへ行きたいと
思っています。
ミニシロノワール「小豆三夏」とは別に、孫たちの飲み物代がかかりますが。(苦笑)

 去年のミニシロノワールはくじが当選していなければゲット出来ませんでしたが、
今回は50周年ということもあって、スタンプを集めれば良いので楽です。(笑)
コーヒーなどをの飲み物を注文するとスタンプ1個もらえます。














オフコース  武道館 1982・6・30 小田和正 神の声

ヒノキの匂いは、父を思い出す。

2017-07-22 03:25:37 | 日記
昨日の続きです。
中日新聞の読者投稿欄に「匂い」というテーマで作文を募集され、選ばれた作文が載っていました。
その2つ目です。


 78歳の主婦の方が「ヒノキにしのぶ父の姿」というタイトルで作文を書かれています。


 亡き父は腕の良い建具職人でした。
たばこを吸いながら自宅で仕事をしていて、私たち子ども4人はヒノキのかぐわしい香りと
たばこの煙に包まれて育ちました。
私は出来上がった建具を眺め、「こんな良い匂いのするおしゃれな戸を注文するお客さんは
きっと立派な家だろうな」と勝手に想像していたものです。

現在も浜松市にある寺の長男だった父は「跡を継ぎたくない」と名古屋に出て、
職人としての技術を親方に仕込まれました。
戦争が終わって軍隊から帰還すると、休日もなく毎日夜遅くまで働いていました。
父は子煩悩で、仕事の手を止めて私たちに勉強を教えてくれたこともありました。

 私は今も建築中の民家などで爽やかな木材の匂いを嗅ぐと無性に懐かしく、
父の仕事姿が目に浮かんできます。
自宅をリフォームした際のヒノキの端材を私は大事にとっていて、
その香りを時々嗅いでは父をしのんでいます。


 以上です。




 ヒノキの香りはいいですよね。

「私たち子ども4人はヒノキのかぐわしい香りと
たばこの煙に包まれて育ちました。」
昔の男性はほとんどたばこを吸っていたように思いますので、
近寄るとたばこの匂いがしました。

 子供の頃、うちの親父に近寄るとやはりたばこの匂いがしましたね。(笑)
親父はヒゲが濃かったので、抱きつくとヒゲでこすられたものです。
痛かったけど、大人の男はこのようなものだと思っていました。(笑)

 私の場合 自分の匂いはあまりよくわかりません。
たばこを吸わないので、自分の体臭の臭いを消せません。
かみさんや娘に臭いと言われますので、男の年寄りの臭いがするんでしょうね。(苦笑)
制汗剤も使いますが、すぐに消えてしまうのであまり役に立たないです。

 今は娘は臭いと言いませんが、あまり私に近寄らないです。
かみさんは私に「臭い」とよく言います。
けっこう傷つきます。(苦笑)
でも他人は私が臭くても言ってくれないので、かみさんに臭いと言われるのはある意味ありがたいかな?
言われると、制汗剤を体にふりかけています。

 このお父さんのように、匂いで子供達が思い出してくれることはなさそうです。(苦笑)












懐かしのフォーク 若者たち・空よ・遠い世界に・今日の日はさようなら 他