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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

愛妻弁当か!

2017-07-13 03:23:14 | 日記
 先日 中日新聞の「妻と夫の定年塾」、さらば「愛妻弁当」という西田小夜子さんのコラムを読みました。

 定年後も、章さんは同じ会社で6年間働いた。
妻は現役時代のそのままに、毎朝弁当を作り、「言ってらっしゃい」と、
にこやかに見送ってくれた。

 もちろん感謝してはいたが、「ありがとう」などと言わず、当然のように通勤していたんだと、
章さんは気づく。

 妻も年を重ねてくたびれるらしく、ゆうべのおかずを少々アレンジしたものが増えてきた。

 70歳の誕生日を節目に、章さんは職場を去ることが決まっていた。
さびしいとは思わない。
体も健康だし、これからは年齢と相談しながらのんびりと生きたい。

 3歳年下の妻は、孫の世話を頼まれたり、93ながら元気な母親の様子を
見に訪ねたりと、外出する機会が多かった。
早起きして夫の弁当を用意するのは、大変だったに違いない。

 最後の弁当は、ふたの上にきれいなメッセージカードが載っているのではないか。

 「長い間お仕事、大変でしたね。
休まずに、よく頑張ってくださいました。
今後のことは二人で相談して、楽しく暮らしましょう。
ありがとうございました」

 ごはんの上には、紅しょうががハート形に切りぬいたのが
2枚載っている。
その周りにゴマが、星のようにちりばめられてあった。

 結婚して43年、いろいろあったけど、まあいい夫婦だったよなあと、
章さんはじっくり「愛妻弁当」をかみしめた。


 このご夫婦のような会社員生活を送りたかったです。
私も結婚して44年目に入っていますが、会社員生活において椎間板ヘルニアで長期入院生活を2度送るし、
55歳過ぎてからは子会社へ移動させられるわで、順調な会社員生活だったとはいえないです。(苦笑)

 私の会社はビジネス街にあるビルに間借りしていましたので、
食事は近くのお店で食べることが多かったです。
でもかみさんは、けっこう弁当を作ってくれました。
女子社員は弁当を持参する人が多かったですが、男子社員はほとんど弁当持参の者はいなかったです。
私が持参した弁当を食べていると、みんなから羨ましがられたものです。(笑)

 かみさんは弁当に限らず、玄関まで送り迎えしてくれたり、私が現役の頃は良妻賢母でしたね。(笑)


 







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