先日 中日新聞の「妻と夫の定年塾」、さらば「愛妻弁当」という西田小夜子さんのコラムを読みました。
定年後も、章さんは同じ会社で6年間働いた。
妻は現役時代のそのままに、毎朝弁当を作り、「言ってらっしゃい」と、
にこやかに見送ってくれた。
もちろん感謝してはいたが、「ありがとう」などと言わず、当然のように通勤していたんだと、
章さんは気づく。
妻も年を重ねてくたびれるらしく、ゆうべのおかずを少々アレンジしたものが増えてきた。
70歳の誕生日を節目に、章さんは職場を去ることが決まっていた。
さびしいとは思わない。
体も健康だし、これからは年齢と相談しながらのんびりと生きたい。
3歳年下の妻は、孫の世話を頼まれたり、93ながら元気な母親の様子を
見に訪ねたりと、外出する機会が多かった。
早起きして夫の弁当を用意するのは、大変だったに違いない。
最後の弁当は、ふたの上にきれいなメッセージカードが載っているのではないか。
「長い間お仕事、大変でしたね。
休まずに、よく頑張ってくださいました。
今後のことは二人で相談して、楽しく暮らしましょう。
ありがとうございました」
ごはんの上には、紅しょうががハート形に切りぬいたのが
2枚載っている。
その周りにゴマが、星のようにちりばめられてあった。
結婚して43年、いろいろあったけど、まあいい夫婦だったよなあと、
章さんはじっくり「愛妻弁当」をかみしめた。
このご夫婦のような会社員生活を送りたかったです。
私も結婚して44年目に入っていますが、会社員生活において椎間板ヘルニアで長期入院生活を2度送るし、
55歳過ぎてからは子会社へ移動させられるわで、順調な会社員生活だったとはいえないです。(苦笑)
私の会社はビジネス街にあるビルに間借りしていましたので、
食事は近くのお店で食べることが多かったです。
でもかみさんは、けっこう弁当を作ってくれました。
女子社員は弁当を持参する人が多かったですが、男子社員はほとんど弁当持参の者はいなかったです。
私が持参した弁当を食べていると、みんなから羨ましがられたものです。(笑)
かみさんは弁当に限らず、玄関まで送り迎えしてくれたり、私が現役の頃は良妻賢母でしたね。(笑)
平井 堅 『ノンフィクション』MUSIC VIDEO (Short Ver.)
定年後も、章さんは同じ会社で6年間働いた。
妻は現役時代のそのままに、毎朝弁当を作り、「言ってらっしゃい」と、
にこやかに見送ってくれた。
もちろん感謝してはいたが、「ありがとう」などと言わず、当然のように通勤していたんだと、
章さんは気づく。
妻も年を重ねてくたびれるらしく、ゆうべのおかずを少々アレンジしたものが増えてきた。
70歳の誕生日を節目に、章さんは職場を去ることが決まっていた。
さびしいとは思わない。
体も健康だし、これからは年齢と相談しながらのんびりと生きたい。
3歳年下の妻は、孫の世話を頼まれたり、93ながら元気な母親の様子を
見に訪ねたりと、外出する機会が多かった。
早起きして夫の弁当を用意するのは、大変だったに違いない。
最後の弁当は、ふたの上にきれいなメッセージカードが載っているのではないか。
「長い間お仕事、大変でしたね。
休まずに、よく頑張ってくださいました。
今後のことは二人で相談して、楽しく暮らしましょう。
ありがとうございました」
ごはんの上には、紅しょうががハート形に切りぬいたのが
2枚載っている。
その周りにゴマが、星のようにちりばめられてあった。
結婚して43年、いろいろあったけど、まあいい夫婦だったよなあと、
章さんはじっくり「愛妻弁当」をかみしめた。
このご夫婦のような会社員生活を送りたかったです。
私も結婚して44年目に入っていますが、会社員生活において椎間板ヘルニアで長期入院生活を2度送るし、
55歳過ぎてからは子会社へ移動させられるわで、順調な会社員生活だったとはいえないです。(苦笑)
私の会社はビジネス街にあるビルに間借りしていましたので、
食事は近くのお店で食べることが多かったです。
でもかみさんは、けっこう弁当を作ってくれました。
女子社員は弁当を持参する人が多かったですが、男子社員はほとんど弁当持参の者はいなかったです。
私が持参した弁当を食べていると、みんなから羨ましがられたものです。(笑)
かみさんは弁当に限らず、玄関まで送り迎えしてくれたり、私が現役の頃は良妻賢母でしたね。(笑)
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