団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

忘れがたい恩師

2017-07-30 05:54:56 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に89歳のご婦人が「優しき恩師 父親のよう」というタイトルで
投稿されていました。

 
 戦前の尋常小学校3、4年生のときの私の担任だった男性教師をいつも思い出す。
太い黒縁メガネの奥で先生の目はいつも優しく笑っていた。

 私は先天性の近眼で黒板の字が見えづらく、勉強ができなくて悔しい思いをしていた。
あるとき、先生が「放課後にメガネを合わせに店へ連れていってやろう」と
言ってくれた。
その優しさが私にはとてもうれしかった。

 クラスには幼い妹の子守をしながら休みがちに通う同級生がいた。
先生はその姉妹を最前列の端に座らせて授業をした。
二人を「臭い」と言う子もいたので、
先生は散髪のため時々理髪店に連れていった。
昼食は皆弁当を持参してきていたが、
先生は自分の弁当をその姉妹に与えていた。
現代では到底考えられない光景だった。

 誰にでも平等で、慈愛に満ちた恩師はわたしたちの父親のようだった。
80年も昔のことなのに、先生の教え子で良かったと
今も感謝している。

  以上です。


 このような先生が昔はいらっしゃったんですね。
当時の教師はそんなに給与も良くなかったと思いますが。
私が知らないだけで、今もそのような先生がいらっしゃるかもしれないですね。

 私は小学校4年生の時の担当の先生が一番印象に残っています。
長髪でちょっと痩せぎすの男の先生でした。
私は小学校4年の12月から3月まで心臓弁膜症で学校を休みましたが、
同級生を連れてお見舞いに来てくださいました。
先生が推薦されて買った児童百科事典は、病院でよく読んで
退屈な時間をしのぎました。
この先生が6年まで受け持ちだったら、もっと勉強と音楽に頑張ったかも。(苦笑)
小学校を卒業して以来お目にかからなかったですが、忘れがたい恩師です。







Elvis Presley ~ Can't Help Falling in Love (1-12-1973)
コメント (10)
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