春の園遊会に参加した岸田文雄首相の名札(右)はフルネームなのに対し、妻の裕子さんの名札(左)は「岸田文雄夫人」となっていた=2024年4月23日午後3時8分、東京・元赤坂

【画像】園遊会、フルネームなしの「夫君」の名札は↑の写真
「パートナーを付属物扱いしている」
この4月、岸田首相夫妻が写っている写真が、SNSで思わぬ形で注目を集めました。
春の園遊会に参加した岸田文雄首相の名札(右)はフルネームなのに対し、妻の裕子さんの名札(左)は「岸田文雄夫人」となっていた=2024年4月23日午後3時8分、東京・元赤坂
この春、「名前」を巡って、SNSである写真が話題になりました。天皇と皇后の両陛下が開いた春の園遊会の一場面。参列した岸田文雄首相の名札には「内閣総理大臣 岸田文雄」とある一方、妻の裕子さんは「岸田文雄夫人」とあるだけで、本人の名前が記されていなかったのです。宮内庁にも見解を取材して記事で配信すると、日常の中で「名前を奪われてきた」という人たちからの訴えが届きました。日本社会の現在地を考えました。(朝日新聞デジタル企画報道部・小川尭洋)
天皇と皇后の両陛下が開いた春の園遊会で、招待された岸田首相夫妻らが、笑顔でおさまっています。
一見なんの変哲もない光景ですが、夫妻が身につけていた「名札」がきっかけとなって議論が白熱しました。
岸田首相の名札には「内閣総理大臣 岸田文雄」とある一方、妻の裕子さんは「岸田文雄夫人」とあるだけで、本人の名前は記されていなかったのです。
ネットメディア「コリア・フォーカス」編集長の徐台教(ソ・テギョ)さんは、この写真を引用しながら、次のように書き込みました。
《写真の「岸田文雄夫人」という名札を見てクラクラした。日本社会の人権意識はどうなってるんだ。園遊会を準備する中で、誰もおかしいと思わなかったのか》
徐さんの批判は拡散し、他のネットユーザーの間でも「パートナーを付属物扱いしている」「失礼だ」といった声が広がりました。
「XX夫人」、「XX夫君」
筆者が朝日新聞が撮影した今春の園遊会の写真を全て確かめると、ほかの招待客の妻も同じようにフルネームがない状態で「XX夫人」、招待客の夫も「XX夫君」と書かれていました。
首相官邸の公式Facebookアカウントが投稿していた9年前の園遊会の写真を見ると、安倍昭恵さんの名札にも「安倍晋三夫人」とありました。
ちなみに、写真に写っている招待客を見る限りでは、政治家らを中心に招待客は男性がほとんどで、女性の多くは招待客の妻として参加していました。
こうした写真を見て、私は不思議に思いました。
自分の名前や自分のパートナーの名前が書かれていない名札を渡されて、参加者たちは嫌な気持ちにならなかったのだろうか――。
「過去の亡霊に縛られている」
園遊会の名札問題について朝日新聞デジタルで記事を配信すると、読者の皆さんから 「100年以上前にさかのぼったような気がした」「過去の亡霊に縛られている」などと、「夫人」「夫君」の表記を批判する意見が相次ぎました。
ある読者は、本人の名前の代わりに「of Fred」(フレッドのもの)と呼ばれる侍女が登場する小説「侍女の物語」(マーガレット・アトウッド著)を挙げ、「この小説はフィクションではないのかもしれない」と指摘しました。
ある60代女性は、かつて自治体からの通知書に夫の名前は書かれていたのに、自分は「他一名」と略されていたり、地元自治会の会議に出た際、実際に出席した自分の名前ではなく夫の名前が名簿に書かれていたりした経験をつづってくれました。「女性はこういう扱いを長く受けてきた」と記した文面からは怒りが伝わってきました。
「SDGsジャパン」理事の長島美紀さんも、記事へのコメントで「名前を奪われる」身近な例を挙げてくれました。
結婚後の女性について「『奥さん』『XXちゃんのお母さん』と、とりわけ名前を呼ばれることは少なくなる」。報道でも「夫がフルネームで呼ばれるのに対し妻は『妻のXX(名前)さん』とフルネームでは呼ばれなかったりする」と指摘します。
婚姻届を出した夫婦のうち約95%は女性が改姓しており、夫が戸籍の筆頭者になる日本社会では、特に女性が、本人の思いに反して名前を「奪われる」場面は少なくないようです。
しかし声を上げられる人は限られています。感想を送ってくれた人たちにとって、園遊会の名札で名前を省略されてしまった光景は、そんな日本社会の縮図のようにも見えたのかもしれません。
取材していて筆者が思い出していたのは、中国人の母のことでした。
日本人が外国人と結婚した場合、別姓のままを選ぶことができます。母は日本人の父と結婚した後も、変わらず住民票上は別姓の「王」です。
母としては「王」で統一したかったのですが、仕事の都合上、仕方なく父と同姓の「小川」を名乗った時期がありました。
当時小学生だった私は、母が名刺などを作り直す作業をそばで見て、「自分自身の一部」が使えなくなる母の葛藤を感じました。
私の母に限らず、すべての人にとって、名前はアイデンティティーを形づくる大切なものです。
ただ、残念ながら、こうした表記は数十年経った今も、「過去のこと」だと言い切れない面があります。
30年止まったままの議論
選択的夫婦別姓制度をめぐっては、1996年に法制審議会が選択的夫婦別姓制度の導入を答申しましたが、自民党から「家族の一体感が失われる」と反対論が起きて法案の提出はされませんでした。
以来、30年近く、時は止まったままかのように見えます。
最高裁は2015、2021年、夫婦別姓について「国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない」などと求めていますが、国会で導入に向けた議論はなかなか進みません。
主要政党の中では自民党が唯一、導入に慎重な立場を示していることが大きな要因の一つです。
朝日新聞社と東京大学の谷口将紀研究室が昨年2~4月に実施した共同調査では、全体の60%が夫婦別姓に賛成し、自民党支持層でも53%が賛成しています。
「もし自分の名札に自分の名前が書かれていなかったら、どう思いますか?」
マジョリティー側に立つ男性である私もふくめ、胸に手を当てて問い続けたい問題です。
以上です。
うちのかみさんは「私の苗字になったが、何の違和感もない」と、言ってました。
人それぞれのようです。
私は、夫婦別姓に賛成です。
地上の星 / 中島みゆき [公式]