中日新聞の「くらしの作文」に「遺影」というタイトルで63歳の女性が投稿されていました。
小さい頃からの遺影のイメージといえば、薄暗い仏間に飾ってある白黒のちょっと怖い感じのする写真だった。
昨年6月に義姉が67歳で亡くなった。
家族や兄弟思いで、明るくエネルギッシュな義姉は、闘病中も弱音を吐くことなく、 最期は自宅で家族に見守られながら永遠の眠りについた。
そんな義姉の死が思いのほかショックで、夕暮れ時や夜寝る前になると、義姉を思い出しては寂しく落ち着かない日々を過ごしていた。
ふと葬儀の時の義姉の写真が素敵な笑顔だったのを思い出し、姪に送ってもらって部屋に飾った。
それからは遺影に話しかけたり、ぼんやりと眺めたりして心が落ち着いた。
遺影の大切さをしみじみと感じた私は、自分たちの遺影のことを考えるようになった。
私たち夫婦も60歳を過ぎ、今は2人に1人が癌になる時代、遺影など遠い先のことと油断してはいられない。
元気な時の顔の写真の方がよいではないか。
私は、いつも写真を撮ってもらうときに笑顔を心がけているので、きっと娘がとっておきの1枚を選んでくれるだろう。
問題は主人だ。
歳とともに頑固になりつつある最近の写真は、どれも渋い顔である。
これは何とかせねばと、写真を撮るたびに「はい、笑って|、にっこりね|」と声をかけるこの頃である。
以上です。
父が亡くなった時、遺影写真を作るため葬儀屋さんから依頼を受けました。
「早く下さい」と督促されますので、アルバムから探しますが適当な写真が見つかりません。やむなく40台と思えるような若い写真を出しました。
今思っても後悔ばかりです。
遺影写真で心に残っているのは、ドリフターズのいかりや長介さんの遺影写真です。
カッコ良い遺影写真でした。
私は芸能人でないのでそんなカッコ良い写真は見当たりませんが、カメラを意識していない写真を遺影写真にしたいと思っています。
今は写真の加工技術も進歩しているので、葬儀屋さんが上手く加工してくれると助かるのですが。
エンディング・ノートに現時点気に入っている遺影写真を残しておけば、息子たちも困らないのでは。
3年に1度は、更新しないとまずいと思うのですが。
舟木一夫さん 北国の街 97年