中日新聞の「くらしの作文」に「新しい年は」というタイトルで、81歳の男性が投稿されていました。
まばゆいばかりの初日の出で迎えた新年。
今年ほど淋しい正月は初めてだった。
56年連れ添った愛妻が昨年12月6日、たった4日入院しただけで逝ってしまったからだ。
あまりにも突然の死に、何も手につかず、ただ呆然とするばかりだった。
1番困ったのは毎日の食事。
ガスこんろのつけ方も分からず、お茶を入れることさえできない自分が哀しかった。
離れて暮らす2人の息子は、そんな私に気を使って、会社の帰りなどに様子を見に来てくれて、とてもうれしく思っている。
特に葬儀の段取りや、式後のいろいろな手続きなどは、最近少し耳の遠くなった私に付き添って、ほとんどやってくれて助かった。
部屋の祭壇に飾ってある妻の遺影を見ると、自然に涙があふれてくる。
電球ひとつ買うにも2人そろって行ったほどの夫婦だったが、今では何もかも1人でやらなければならない。
初めの頃は悲しんでばかりいたが、少しずつ気を取り直し、前向きに進もうと思っている。
いくら待っても絶対に帰ってこないのは分かっているつもりでも、やはり思い出すと淋しくなる。
これからは何か好きなことを見つけて、元の元気で明るい自分に戻ろうと思う。
亡妻もそんな私を天国から見守ってくれているだろうと信じて・・・。
以上です。
>ガスこんろのつけ方も分からず、お茶を入れることさえできない自分が哀しかった。
81歳、私より5歳ほど年上の方ですが、まさかガスこんろのつけ方が分からないなんて・・・。
>電球ひとつ買うにも2人そろって行ったほどの夫婦だったが、今では何もかも1人でやらなければならない。
こんな買い物一人で行けばいいのに。
ご主人、奥様に甘えすぎだったと思います。
奥様もまさかご自分がご主人より先に逝くと思わずに、ご主人に一人で生きていく教育をされなかったようで。
ただよく出来たお二人のご子息がいらっしゃるので、助けてもらって一人でやっていける知恵を学ばなければいけないですね。
後はご主人も言われていますが、何か好きなものを見つけて生きがいにされた方が良いように思います。
私はかみさんより先に逝くと思っていますが、こればっかりは分かりません。
何事も、一人でやれるようにしなければいけませんね。
舟木一夫 ♪学園広場(昭和38年)