新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

種々雑多:

2021-10-28 08:45:31 | コラム
Miscellaneous:

いきなり「種々雑多」に当たる英語の単語を持ち出してみた。昨日までに気が付いた雑多な事柄を採り上げてみようと思う。

*プリンセス・メイコだった:
小室圭氏がニューヨーク州の弁護士会主催の論文のコンペティションで優勝したことは既に取り上げた。その小室氏不在の表彰式で司会者は優勝の他に素晴らしいことが重なったとして「Princess Makoと結婚した」と言った。そのアナウンスを聞いていて「そうだった。そうなってしまうのを忘れていた」と思ったことがあった。それはMakoと書けばアメリカ人の読み方は「メイコ」となる点だった。

現にアメリカでは、ゴルファーの青木功氏のAokiは「エイオキ」となってしまったし、大坂なおみさんのNaomiは「ネイオミ」となってしまったように。アメリカ人の間では“A”が「ア」となることは非常に希なようだとご承知置き願いたい。

*監督が替わると:
昨夜オリックスバファローズが優勝し、その前にヤクルトスワローズも優勝していた。NPBの話である。報道によれば「前年度最下位だった球団が両リーグで揃って優勝したことはプロ野球史上初の出来事」だったそうだ。オリックスの場合は中嶋聡監督は就任1年目であり、高津臣吾監督は2年目だった。1年目と2年目の違いはあるが、共に前任者の最下位から一気に優勝まで持って行った手腕は評価されて良いだろうと思う。指導者を替えればこうなってしまうものかと思わせられた。

両監督と球団がこれから直面する事態はと言えば、クライマックスシリーズ(CSと表記されている)を勝ち抜いて日本シリーズに出て、そこでも優勝しないことには、もしかすると鼎の軽重を問われるかも知れないのだ。パシフィックでは先にマジックナンバーとやらが点灯したロッテが手ぐすねを引いて待っているだろうし、一方ではジャイアンツが負け越しの汚名返上とばかりにぶつかってくるだろう。因みに、MLBではCSと言えばChampion Seriesを表している。

*小池都知事が過度の疲労で入院加療:
昨日まで空調を冷房にしていたかと思えば一夜明けて暖房に切り替え、ユニクロのダウンベストとやらを羽織って外出する涼しさがやって来た。老いたる身には「夜間の頻尿」が襲ってきた。そういう季節の変わり目に、6月の入院に続いてまたもや過労だそうだ。そんな体力ではこの重要な時期に重責を担うには相応しくないと言いたかった。

ところがである、テレビのニュースに登場されたお医者様は「季節の変わり目には自律神経失調症とでも言いたい症状が襲い、疲労するか疲労感に苦しめられるのだ」と指摘しておられ、小池都知事の場合にもそういう傾向があるのではないかと語っておられた。「なるほど」と納得した。と言うのも、当方が悩まされている夜間の頻尿という現象は、毎回その後になって気が付くのだが「季節が変わったのだ」との知らせなのだから。

東京都知事という地位はさぞかし激務なのだろうと思う。そこに「季節の変わり目」と言う抵抗しようがない要因が重なったのかと見ることにした。尤も、そこには「老化現象」もなきにしもあらずかと言えば、未だ60歳台である小池さんに対して失礼に当たるかな。


アメリカにおける生活とは

2021-10-27 09:02:31 | コラム
アメリカの異文化に馴れていかないと:

言うまでもないが、ここに言う文化とは「ある集団かグループにおける言語・風俗・習慣・宗教・思考体系」を指しているのだ。「ある集団かグループにおける」と言ったように、各国には独自の文化があるのだ。小室圭・真子夫妻はこれから間もなくその我が国とは異なる文化の世界に深く入っていくことになる。経験からも「その文化の違いは心得ているつもりで入って行っても『こんな事があったとは知らなかった』や『こんな事までが違うのか』と困惑させられたり、思ってもいなかった失敗も起こり得るものなのだ」と言える。

何を隠そう、このように言う私も何度もそういう異文化に苛まれる目に遭ってきた。それは「英語が話せるとか上手い」などという次元の問題ではないので困るのだ。三浦瑠麗女史(何と光栄にも私と同じ高校の出身だった)は「真子さまは語学が堪能だから」などと書いておられたが、私が言いたいことは「そういう問題ではないのではないか」という点である。

私は無謀にもアメリカ人の世界に1972年8月から単身で入って行ったのだが、勿論事前の知識で「かの国では何事でも夫婦が単位で進んでいくこと」や、“Ladies first”であるくらいは承知していた。ところが、生まれて初めてアメリカに入って、本部の副社長(単独)とマネージャー夫妻とお嬢さんの夕食会となった。かなりの緊張状態で臨んだのだが、副社長に女性に対応する礼儀作法をその場で指導して貰えたので何とかなったが、知らないことばかりで驚かされていた。問題は先方さまは「これくらいは承知しているだろう」との前提であることだ。

その後でも、日本から来た新任の私の歓迎会等が事務所や工場で催されたが、全て私は単身でも出席者は皆夫婦単位だった。その他の会食でも全て奥方が出てこられた。その席でただ黙って食べている訳にも行かず、話題を選んで会話に参加せねばならないのである。それは「英語が堪能であるかないか」という問題ではないのだ。時にはその席での話題が「西洋文化史」とでも言いたいような事柄に及ぶとか、美術やクラシカル音楽等々にも飛んで行ったりするものなのである。その輪には加われず、我と我が身の教養不足を嘆かせられたのだった。

また、我が国に本社から副社長等々が出張してきた際に開催される、外資系の取引先との夕食会などでも、夫婦単位になってしまうのだった。我々も夫婦で本部に招待されたことがあって、家内を大いに悩ませていたものだった。そういう席上では私が通訳をするので、英語など何も解らない家内もニコニコしているだけで何とか切り抜けていた。

ここまで縷々述べてきたが、小室圭・真子夫妻がこれから直面するだろう「夫婦単位」の一部を取り上げれば、こういう事なのだ。それが「英語力だけの問題ではなかった」とご理解願えれば幸甚である。小室真子さんは最早一介の私人ではあるが、日本国の天皇陛下の姪だった方なのである。小室氏の弁護士としての仕事が順調に進み、取引先やそれ以外との交際範囲が広がった場合には、何かにつけて「夫婦単位」となってくることは容易に想像出来る。こういう生活は楽しくもあるだろうし、また心理的には負担にもなりかねないのだ。

私が既に指摘したことだが、これから先にアメリカはニューヨーク州の弁護士としては、小室氏の能力や英語力がどうのというのではなく、アメリカという国独特の生存競争が待ち構えているのだ。私は製造業の世界のことしか知らないので、法曹界にも生存競争があるのではないのかと想像するだけだ。そこを乗り切っても、恐らく直面するだろうアメリカの支配階層とどのように付き合って行くのかだと思っている。その険しいかも知れない異文化という凸凹道の向こうに、「本当の幸せ」があるのではないのだろうか。


10月26日 その2 小室圭・真子夫妻の意見陳述を聞いて

2021-10-26 15:29:31 | コラム
「真実は一つである」のではないと言いたい:

小室圭・真子夫妻が結婚に至るまでの公開されなかった経緯と事実についての見解表明の会のテレビ中継の内容は、興味深いものがあった。私はあの発表会は断じて記者会見ではなかったと受け止めている。

先ず感じたことは「あの結婚に至るまでの経緯を、当事者である小室夫妻が語ればこういうことになるのか」と、あらためて持論である「出来事は一つであり、その出来事を、当事者とは全く異なる立場と視点から外側で見て報じてきたマスメデイアの報道の内容とは、あれほど違ってしまうものだ」と、再認識できたのだった。その点を真子さん(NHKを見ていたので、真子様という言い方を変えたのに準拠した)は「誤った情報が恰も真実のように誤解された報道の仕方に心を痛めつけられた」と指摘されたと解釈した。

敢えて再度言うと「一つの出来事を、異なる立場と視点と先入観念で見ていれば、当事者の予期せざる複数の真実のような報道になってしまうもの」なのであるということだ。夫妻が読み上げた陳述を聞いていると「報道する側が恣意的に流したことが、自分たちが行動してきた実態と異なっているので、悲しい思いになった」と聞こえてきたのだった。即ち、解りやすくしたつもりで言えば、起こったことは一つでも、そこには二つの真実があったようなことになっていたのだった。

小室氏の唐突なアメリカ留学が当時の真子様の提案であったなどとは、我々一般人には知り得る術などなかった。また、小室母子の借金か贈与か知る由もない400数10万円の件(しつこいようだが、私は「トラブル」などというおかしなカタカナ語を認めていない)についても、小室氏が述べた実質というか実態もマスコミ報道とは違っていたように聞こえた。

我々は小室圭・真子夫妻の今日の結婚に至るまでの実態と経緯をマスコミ報道でしか知り得なかったのだ。彼らの語ったことを聞いていると、報道が必ずしも真実ではなかったことに心を痛め付けられたと言いたかったように聞こえた。そう言われれば、そうなのだろう。だが、真子さんも圭氏もその気になれば、中間で「実態は斯く斯く然々である。誤解無きように」と発表できる機会があったのではなかったのかと、一寸残念のような気もするのだ。

あと一つだけ言えば、小室氏が読み上げた中には一言たりとも皇室と秋篠宮様についての言及がなかったのは意外であり、配慮が足りなかったのかと感じた。だが、想像を逞しゅうすれば「一切の皇室の儀式を省くような結婚になったことに対して、何か思うところでもあるのか」と感じ取れたのだった。

アメリカはニューヨークでこれから間もなく始まるであろう小室氏の仕事と真子さんのアメリカの中でも特殊な地域での種々の困難に直面するかも知れない生活が、恙無く進むことを祈念して終わる。


外で飲むことの文化の考察

2021-10-26 08:35:21 | コラム
「矢張りここで飲むと美味い」:

昨日辺りからのマスメディアの報道では、見出しのように「久しぶり」であるとか「1年半振りだ」のように言いながら、老若男女が嬉しそうに楽しそうに飲んでいる光景が強調されていた。身体的にアルコール飲料を受け付けない私には半分くらいは理解できても、半分は疑問に感じてしまう我が国独特の文化である。それを政府も東京都も共に新型コロナウイルス対策で色々な方法で制限してきた。これらの制約は一定以上の効果があったかのようだったので、継続されマスコミ報道では無数の外飲食業者が苦境に立たされるか、廃業に追い込まれたようだ。

私も17年有余お世話になった日本の会社勤務の頃には上司や同僚や仲間と飲み歩いていたし、その楽しさと面白さくらいは心得ているつもりだ。元々会社勤めをするまでは「飲むこと」を殆ど経験していなかったので、仲間たちと「飲みに行く」ようになったのは2年ほど経ってからだった。母親には「この世界を経験してみないことには、如何なる事かが解らないと思って飲み歩くことを理解して欲しい。だが、1年経っても飲み歩きを止めないようであれば、息子を失ったと思っても勘当されても結構」と、大変な決意の下に始めたことだった。そして、1年で止めた。

振り返れば、そのお陰で「皆と飲み、語り合い、笑い、会社の未来を語り、将来の希望を語り、上司の悪口を言い、結婚観を議論する」等々の楽しさを知ったのだった。その中にはなけなしの小遣いを叩いて、身分不相応に銀座に仲間たちと繰り出していったこともあった。当時住んでいた藤沢に帰る終電車の時間を忘れるか、酒に弱い欠陥が出て酔い潰れたためもあって、飲み仲間の親友の洗足池の家には「私用」の布団まで用意されるほどになった。

だから、外に出て飲むことをあのように心から喜んでおられる方々の気持ちは、十分に理解できると思っている。だからこそか、それにも拘わらずか、新型コロナウイルス対策の美名の下に、あそこまで外飲食業界に制限と制約を科したことの具体的な効果のほどが、数字なり何なりで示されていないことには、多少の疑問を感じている。私はアメリカの生活様式と比較した場合に「外で飲むこと」と「その業種の存在」は我が国の文化であると見ているので、そこにあそこまで踏み込んでいったことには、如何なものだったかと感じている。

その文化を尊重し、その楽しみを継続させるためには、一昨日と昨日に東京都の感染者が20人を切った時にこそ、更なる対策の強化は必須であると考えている。全国的にこれほど感染者が減少した原因を可及的速やかに解明して、それに基づいた策を講じて欲しいのだ。既に述べたように感染者の受け入れが不十分な多くの病院の督励も必要ではないのか。報道機関も「また飲めるようになって嬉しい」という類いのニュースだけではなく、追加というか更なる対策の強化の必要性を訴えて出るべき時ではないのか。飲めるようになって嬉しいのは彼らかと、私は疑っている。

終わりに「アルコールが体質に合わない」とはどのようなことかをお知らせしておこう。15年の入院の際に点滴の前に針を刺すところが耐えられないほど痒くなることを看護師さんに訴えたところ、検査されて「アルコールを受け付けない体質」と判明し、ベッドの頭の上の辺りに「禁アルコール」との紙が貼られ、カルテにも記録された。今では注射の前の消毒は「アルコールではない物質」になっている。看護師さんに「お酒は飲めないでしょう」と言われた。現に強制された訳ではなかったが、2000年代に入ってからビールをコップ半分も飲まないうちに失神していた。

現在は何処にでも設置されているアルコールによる手指の消毒で、両手の指があれて痛むので非常に苦しめられている。そこで、殆どの場合に「やった振り」で何とかしているのには、多少後ろめたさを感じている今日この頃である。


10月25日 私が見る小室圭氏

2021-10-25 13:51:18 | コラム
小室圭氏は偉いものだと思っている:

秋篠宮様が「多くの国民が祝福してくれるようでなければ」と仰った、真子様と小室圭氏の結婚が明26日になった。内定と報じられてから3年半も経っていると聞くが、真子様が初志を貫徹されたのか、小室氏も揺るがなかったのか、あるいは両方だったのか知る由もない。私はこの間のマスメディアの毀誉褒貶相半ばするかのような報道からでしか、ここまでに至った経過を知る術がないのだが、偽らざる所を言えば「小室圭氏は偉い人だな」と寧ろ感心しているのだ。

彼は幼くして父親を失い(余計なことだが、私は4歳で失った)所謂女手一つで育てられたのだそうだ。そういう暮らしの中でインターナショナルスクールから駐留軍の遺産である私立大学の雄、国際基督教大学からアメリカのUCLAにも進まれ、近くは年間の学費が優に1,000万円を超えるアメリカのイエズス会系のフォーダム大学のロースクールにも第三者の援助の下に学ばれ、しかも優秀な成績で卒業され、更に恐らく弁護士試験にも合格される見通しであるかと思えば、NY州の学生の論文コンペティションでも優勝されたというではないか。

私はアメリカの大学で勉強するときの大変さを、往年の上智大学の厳格さでイヤと言うほど経験したし、我が国の大学との勉強との違いを多少以上承知している。それ故に小室氏が成し遂げた事の内容が良く分かるので、偽らざる所を言えば、尊敬まではしないが偉いものだと思うのだ。

それだけの学歴と社会人経験を引っ提げて皇室の内親王様、真子様との結婚にまで至ったのである。とても常人が為し得る技ではないと思う。しかも、国内外での学費を貸与して貰えた方の主張に反して「あれは贈与であった」と断言する弁明書まで公開されたのだ。しかし、別に公平に見て言う訳ではないが、マスメディアの報道は決して小室氏には好意的とは思えないし、有利な点はなかった。だが、彼は決して真っ向から反論することもなく沈黙を守り、24枚だったかの持論を発表しただけで過ごしてきた。私は大した度胸だし、徹底した沈黙には凄みすら感じている。

その小室氏は明日には正式に真子様と結婚されて、間もなく言語・風俗・習慣・仕事の進め方、生活様式等々全てが全く我が国とは違うだろうアメリカの法曹業界の荒波の中に入って行こうというのだ。私は日本のビジネスの世界で17年以上を過ごした経験の下に、多少以上だと思う英語能力を以てアメリカの企業社会に単独で入って行き、22年以上を何とかリタイアするまで過ごせた。だが、何度か回顧したように「アメリカの会社がそういうものだと事前に承知していたら、先ず絶対と言って良いほど移っていこうとは思わなかっただろう」という異文化の世界なのだ。

そこに真子様と二人で乗り込んでいこうというのは「偉いし、凄いと思う」のである。我が国では弁護士というとテレビドラマに出てくるような刑事物の法廷弁護士ばかりだが、そもそも“attorney at law”とは「代理人」という意味であり、誰かの代理で企業や法律の世界で活動する人のことである。その世界でも恐らく周囲にいる者の助けを期待できない世界に進出される決意と度胸は凄いと思う。

アメリカという社会では散々言われているような格差があるので、十分な収入というか資産があれば悠々と暮らせるし、職と住の選択次第では仕事は大変であったも、容易に楽しく生活できるだろうと思う。その世界にマスコミ報道によれば、隣のニュージャージー州に住まわれて、NYの事務所に通われるのであれば、前途には容易ならざるものがあるように思えてならない。小室氏はこれをも乗り切る算段があるのだろうか。

与論調査とやらでは真子様のご結婚を50%程が「良かった」と祝福している。私が滅多にない機会で若い女性に尋ねたところでも、祝福派ばかりだった。その昔に入社したばかりの会社のお局様に「若い女性は美しい恋愛結婚を夢見ているものだ。十分に注意して接しなさい」と諭されたのを思い出した。真子様のお幸せを祈って終わる。