新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月22日 その2 カタカナ語には独得の面白さがある

2021-10-22 14:23:54 | コラム
どうしてカタカナ語にするとこうなるのだろう:

「また、揚げ足取りか」などと嫌われそうだが、「カタカナ語にはこういう見方もできるのか」と思って、関心を持ってお読み頂ければ有り難いと思っている。

ディズニーランドとデジタル:
今朝ほどのニュースでディズニーランド(Disney Land)の開園時間を云々とやっていた。そこでふと思い当たったことが、同じような綴りであるdigitalは一般的に「デジタル」であり、新設の官庁も「デジタル庁」であることだ。恐らく「デイジタル」と表記しているのは私だけではないかと、孤独感を味わっている。毎度引用しているOxfordの発音記号でもチャンと「デイジトウル」のようになっている。

ジーニアス英和には、そもそも「アラビア数字《0から9まで;時に0を除く》の意味であるdigitのカタカナ語の表記はデイジット」となっている。それなのに、digitalは「デジタル」になってしまったのも不思議だし、先発だったと思うDisney Landが「ディズニーランド」だったことには、気が付かなかったのだろうか。

「ストライク」と「ストライキ」:
この二つの全く意味が異なる二つのカタカナ語の英語の綴りはstrikeである。この単語は動詞として使われるときには沢山の意味があるが、名詞であれば野球の「ストライク」となり、「ストライキ」だと難しく言えば「同盟罷業」即ちストライキを意味するのだ。

似たような例にしばしば踏み間違えられるbrakeがある。このカタカナ表記は「ブレーキ」なのだ。また、何時頃始まったか定かではないが「芸人たちが売れ出すこと」を「ブレイクする」と表現するようになった。その初期に故岡田眞澄が悲しそうな顔をして「なんでそんな言葉を使うの。それって壊れるという意味なのに」と嘆いていたのが忘れられない。このbreakも「ブレーキ」のbrakeも発音記号は同じ「ブレイク」なのだ。何故、「キ」と「ク」に別れて表記されるようになったのだろうか。

「ラウンドリポート」と「食レポ」:
ここではreportが場合によって「リポート」や「レポ」即ち「レポート」になっていることを言いたいのだ。どの辞書を見てもreportはカタカナ書きすれば「リポート」となるようになっている。恐らく、テレビ局ではreportのreをローマ字読みしたのだろうが、「食リポ」ではいけないのだろうか。ゴルフの「ラウンドリポート」はプロの選手たちについて歩いて状況を伝える仕事をする人の報告のことで、ラウンドリポーターと言っている場合もある。

「アパート」と「デパート」:
“apart”という単語のようなのだが、カタカナ語としては誰しもが「アパートメント・ハウス」(=apartment house)略して「アパート」のことだと思うだろう。英語本来の「バラバラな」とは思う人はいないと信じている。同様なカタカナ語に「デパート」がある。“depart”とは「出発するということで、特に旅立ちのようなことをいう」とOxfordにはある。だが、これは誰がどう考えても「百貨店」のことだ。尤も、departの発音は「デイパート」なのだが。


優勝するためには

2021-10-22 09:06:52 | コラム
「勝ち方を知るべき」なのだ:

目下の所、NPBでセントラルリーグではスワローズとタイガースが、パシフィックリーグではバッファローズとマリーンズが僅差で優勝を争っている。だが、4球団共に足踏みしているような状況で、中々競合するする相手を振り切れていない。この様子を見て「勝ち方を知らない」という、湘南中学の蹴球部のOBの教えを思い出した。

私が中学2年生だった昭和21年に、湘南中学の蹴球部は第1回の国民体育大会で、神戸一中(現神戸高校)を破って優勝した。この頃は旧制中学の時代で最高学年は5年生だった。その5年生だった方々は皆関東大学1部リーグを代表するような選手になっておられた。そのOBの方々と神奈川県の他の高校の試合を見る機会があった。すると、リードを守り切れずに逆転で負けた学校を評してOBの1人が言われたことが「勝ち方を知らないと、こういうことになる」だった。また「彼らは学がない」と言われた方もあったが、これはまた別な問題。

この「勝ち方」という点を日本大学フェニックスの前監督橋詰功氏は「勝ったこと(優勝したこと)がない監督やコーチが指導しているテイームには優勝はできない」と言っておられたと聞く。同じ事を別な言葉で表現されたと解釈している。

私は「優勝が懸かったような大試合では、何時もの練習をするのと同じような平常心でグラウンドにで行けるかどうかが重要だ」と思っているし、更に「試合中のここ一番という最も難しい局面では、打つべき手は何通りもあるもの。その中から何も考えずに瞬間の閃きで選んだ手が最高のものになるように、普段から十分に練習を積み精神を鍛えておくべし」とも言ってきた。

要するに上記の4球団の選手たちの中には優勝経験がある者はごく少数であり、矢野、高津、中嶋、井口の監督たちも監督として優勝争いは初めての経験だったと思う。また、スワローズとバッファローズは昨年には共にリーグの最下位だった。即ち、「勝ち方を知らない選手たち」と「勝った経験がなかった監督」による優勝争いだということ。私は「だから、もたついているのだ」と見ているし、4球団の試合振りにも相当以上の緊張感が見えてくるのは、平常心で試合に臨んでいないのだ。昨日のスワローズの塩見の後逸などは、その典型的な例だとみた。

そこに見えてきたことは「緊張感による圧迫」または「気持ちがピント張り詰めた状態」だったのだろう。英語ではtensionであるが、張り詰めたために切れてしまったのではと思っていた。即ち、優勝しなければという緊張感に圧されて平常心で捕球できなかったのだろう。こういう経験を積み重ねて優勝できて、初めて「勝ち方を知ること」ができるのだろう。余談だが、近頃若者や芸人が使う「テンション」は「気分が高揚する」ということのようだが、英語のtensionにはそんな意味はない。

このようなことはビジネスの場に於いても当て嵌まると思っている。即ち、「勝ち方を知ること」即ち「大きな仕事の成し遂げ方を知るため」には、「平常心で交渉の場や最終の詰めの場に臨めるよう」に精神統一をして、経験を積んで置くことは必須だと思っている。自信がなかったり平常心でなければ、交渉相手側に読まれてしまうものだと経験上も言えると思う。