新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月29日 その2 「MLBでは・・」の訂正です

2021-10-29 09:32:33 | コラム
我が国とアメリカとは違うのだ:

このところ、午前中はNHKのBSで中継されていたMLBのプレーオフという、リーグ優勝にもって行くDS(とあったと思うが)とCSの試合に加えて、World Seriesも2試合見てきた。そうする理由は、北村維康氏も指摘しておられたような「眼前にある現象的なくだらない ニュースばかり追ひ求める。」こととか、ニュースショーなどよりも野球の方が無難だと思っているからだ。その少し前までは、NPBの両リーグでの優勝を目指して懸命に努力していたスワローズとバッファローズの野球も見ていた。

MLBの野球の質というか根底に流れている要素を文化比較論的に言えば「個人の能力と主体性に立脚した競技である」なのだが、それは見方を変えれば「個人事業者の集団が争っている面白さ」と言えると思う。そこに見えてくることは「我が国との野球だけのことではない根本的な文化の違い」が、これでもかと言うほど現れていた。

即ちNPBの野球を見ているとテイームの全員が優勝という一つの目標に向かって懸命にプレーしている直向きさというのか「全体のために」プレーしている様子が、痛いほど伝わってくるのだった。これこそが岸田総理が就任の時に掲げられた「全員野球」のように、全員が一丸となって目標達成に向かって突き進もうという我が国の精神的な美徳であると思う。

一方のMLBを見ていると、1980年代の在職中から現地で見ていて「何かが違うな」と感じさせてくれていた要素だと思う。即ち、彼ら北と南のアメリカ人たちがやっている野球は「各人が自分の為に投・攻・守・走の何れかの面で『目に物見せてやろう』とばかりに全力で野球をやっている」のであって、「全体(テイーム)のため」とか「皆のため」とか「球団のため」のような要素を余り感じさせてはくれないのである。

以前から指摘して来たことで、我が国の野球界の言葉でいう「テイームバッテイング」などの努力は見かけないし、我が国ではマスメディアも尊んでいる「自己を犠牲にしてテイームに尽くす」との美しい精神の発露である「サクリファイスバント」などは滅多に見ることが出来ない。そんなことをしたら「個人事業者は誰にも目に物見せられなくなるからだろう」と、私は解釈している。MLBの選手たちは「球団」という場を借りて自分の店を出し、そこでどれだけ成績を挙げ収入を増やすかに全力を挙げているのだと見ている。

その為には自分の能力を最大限に発揮できる場を自ら選ぶか、他球団から勧誘されるかで移動を続けているのだろうと思う。それが証拠にテレビの画面に出てくる経歴を見ていれば複数の球団を渡り歩いてきていると解る。NPBのように「その球団一筋に20年」などとマスコミに賞賛(しているのだろう)されている例は希だ。「アレッ」と感じさせられるほど「確かここでCSを戦っている球団の所属ではなかった」と思わせられたのが、大谷翔平君のAngelsにいた思った大選手のPujols(プホルス)がDodgersで出ていたりするのだ。

回りくどい言い方をしてしまったが、要するに「アメリカの個人事業主たちはしばしば最善の環境を求めて移動し続けていく」のだと言いたいのだ。即ち、「移動するため、移動できるためには他球団か他社から勧誘されるような能力というか腕を磨いておかねばならない世界である」ということなのである。ここまではMLBの野球界でのことを取り上げて語って来たが、ビジネスの世界こそがそのような個人事業者たちが最善の場を求めて次なる場に移転していくのである。

以前から指摘し続けてきたことで、製造業の世界では4年制の大学の新規卒業者を我が国の文化であるように定期採用なしないのである。故に、大企業を狙うためには中小企業で実力を付けるか腕を磨いて勧誘されるのを待つか、自分で目指す会社の特定の事業部を選んで売り込んでいく手段を採ることになる。言い換えればMinor leagueで懸命に練習をしておくとでもなるだろう。それ以外の方法は4年間の実務経験が応募の条件とされている、可能ならば有名私立大学のビジネススクールで2年間勉強して、MBAとして採用されることを狙うというものがある。

さらに、希望していた会社に即戦力として中途採用されても、その会社に長期間勤務し続けているようでは「能なし」と看做されてしまうのがアメリカなのだ。それは同業界であろうと他の業界であろうと、2社も3社も移動してきた経歴が能力の証しとなる世界なのだ。その辺りを「常に2~3社からの勧誘(“job offer”というが「ジャブ・オファー」である)を受けていて一人前だ」などと言われている。現に、不肖私でさえジャパンの社長に「ジャブ・オファーを持っていないか」と詰問されたことがあった。

この辺りの文化の違いを、私は「彼らは現在勤務している会社に対する忠誠心は極めて希薄であるし、会社側もそれを期待していないのだから、そんな連中のための福利厚生設備など用意しない」と述べてきたのだった。それだから、彼らは我が国の製紙工場の訪問して、その周囲にある社宅群や豪華な管理職向けの社宅アパートに驚くのだった。これなどは単なる文化も違いなのだが、それを知らずにお互いに相手国を訪れて驚くのだということ。

今回は文化比較論を述べてきたつもりなので、敢えて最後に持ってきたが、これを言いたくて縷々述べてきた訳ではないが「我が国の報道機関の連中や有識者の方々はこのような基本的な文化の相違点を何処まで理解し、認識ているのだろうか」と思っているのだ。いや、マスメディアに何処まで心得て報道しているのかと問いかけたいのだ。

彼らは小室圭氏がニューヨークの(中堅級と報じられていたが)法律事務所に高額な初任給で採用されて良かったと騒ぐが、それが彼が目指す最終到達点ではあるまい。一般論で考えれば、そのLSという事務所で新卒の弁護士が一生勤務し続ける訳ではないと思う。そこから個人事業者としての将来は、自分の能力と実務の場で鍛え上げた実力で切り開いていくものなのだ。


MLBでは個人事業者の集団が野球をやっていた

2021-10-29 09:20:19 | コラム
我が国とアメリカとは違うのだ:

このところ、午前中はNHKのBSで中継されていたMLBのプレーオフという、リーグ優勝にもって行くDS(とあったと思うが)とCSの試合に加えて、World Seriesも2試合見てきた。そうする理由は、北村維康氏も指摘しておられたような「眼前にある現象的なくだらない ニュースばかり追ひ求める。」ことの方が、ニュースショーなどよりも野球の方が無難だと思っているからだ。その少し前までは、NPBの両リーグでの優勝を目指して懸命に努力していたスワローズとバッファローズの野球も見ていた。

MLBの野球の質というか根底に流れている要素を文化比較論的に言えば「個人の能力と主体性に立脚した競技である」なのだが、それは見方を変えれば「個人事業者の集団が争っている面白さ」と言えると思う。そこに見えてくることは「我が国との野球だけのことではない根本的な文化の違い」が、これでもかと言うほど現れていた。

即ちNPBの野球を見ているとテイームの全員が優勝という一つの目標に向かって懸命にプレーしている直向きさというのか「全体のために」プレーしている様子が、痛いほど伝わってくるのだった。これこそが岸田総理が就任の時に掲げられた「全員野球」のように、全員が一丸となって目標達成に向かって突き進もうという我が国の精神的な美徳であると思う。

一方のMLBを見ていると、1980年代の在職中から現地で見ていて「何かが違うな」と感じさせてくれていた要素だと思う。即ち、彼ら北と南のアメリカ人たちがやっている野球は「各人が自分の為に投・攻・守・走の何れかの面で『目に物見せてやろう』とばかりに全力で野球をやっている」のであって、「全体(テイーム)のため」とか「皆のため」とか「球団のため」のような要素を余り感じさせてはくれないのである。

以前から指摘して来たことで、我が国の野球界の言葉でいう「テイームバッテイング」などの努力は見かけないし、我が国ではマスメディアも尊んでいる「自己を犠牲にしてテイームに尽くす」との美しい精神の発露である「サクリファイスバント」などは滅多に見ることが出来ない。そんなことをしたら「個人事業者は誰にも目に物見せられなくなるからだろう」と、私は解釈している。MLBの選手たちは「球団」という場を借りて自分の店を出し、そこでどれだけ成績を挙げ収入を増やすかに全力を挙げているのだと見ている。

その為には自分の能力を最大限に発揮できる場を自ら選ぶか、他球団から勧誘されるかで移動を続けているのだろうと思う。それが証拠にテレビの画面に出てくる経歴を見ていれば複数の球団を渡り歩いてきていると解る。NPBのように「その球団一筋に20年」などとマスコミに賞賛(しているのだろう)されている例は希だ。「アレッ」と感じさせられるほど「確かここでCSを戦っている球団の所属ではなかった」と思わせられたのが、大谷翔平君のAngelsにいた思った大選手のPujols(プホルス)がDodgersで出ていたりするのだ。

回りくどい言い方をしてしまったが、要するに「アメリカの個人事業主たちはしばしば最善の環境を求めて移動し続けていく」のだと言いたいのだ。即ち、「移動するため、移動できるためには他球団か他社から勧誘されるような能力というか腕を磨いておかねばならない世界である」ということなのである。ここまではMLBの野球界でのことを取り上げて語って来たが、ビジネスの世界こそがそのような個人事業者たちが最善の場を求めて次なる場に移転していくのである。

以前から指摘し続けてきたことで、製造業の世界では4年制の大学の新規卒業者を我が国の文化であるように定期採用なしないのである。故に、大企業を狙うためには中小企業で実力を付けるか腕を磨いて勧誘されるのを待つか、自分で目指す会社の特定の事業部を選んで売り込んでいく手段を採ることになる。言い換えればMinor leagueで懸命に練習をしておくとでもなるだろう。それ以外の方法は4年間の実務経験が応募の条件とされている、可能ならば有名私立大学のビジネススクールで2年間勉強して、MBAとして採用されることを狙うというものがある。

さらに、希望していた会社に即戦力として中途採用されても、その会社に長期間勤務し続けているようでは「能なし」と看做されてしまうのがアメリカなのだ。それは同業界であろうと他の業界であろうと、2社も3社も移動してきた経歴が能力の証しとなる世界なのだ。その辺りを「常に2~3社からの勧誘(“job offer”というが「ジャブ・オファー」である)を受けていて一人前だ」などと言われている。現に、不肖私でさえジャパンの社長に「ジャブ・オファーを持っていないか」と詰問されたことがあった。

この辺りの文化の違いを、私は「彼らは現在勤務している会社に対する忠誠心は極めて希薄であるし、会社側もそれを期待していないのだから、そんな連中のための福利厚生設備など用意しない」と述べてきたのだった。それだから、彼らは我が国の製紙工場の訪問して、その周囲にある社宅群や豪華な管理職向けの社宅アパートに驚くのだった。これなどは単なる文化も違いなのだが、それを知らずにお互いに相手国を訪れて驚くのだということ。

今回は文化比較論を述べてきたつもりなので、敢えて最後に持ってきたが、これを言いたくて縷々述べてきた訳ではないが「我が国の報道機関の連中や有識者の方々はこのような基本的な文化の相違点を何処まで理解し、認識ているのだろうか」と思っているのだ。いや、マスメディアに何処まで心得て報道しているのかと問いかけたいのだ。

彼らは小室圭氏がニューヨークの(中堅級と報じられていたが)法律事務所に高額な初任給で採用されて良かったと騒ぐが、それが彼が目指す最終到達点ではあるまい。一般論で考えれば、そのLSという事務所で新卒の弁護士が一生勤務し続ける訳ではないと思う。そこから個人事業者としての将来は、自分の能力と実務の場で鍛え上げた実力で切り開いていくものなのだ。