新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

"Better late than never.”だ

2020-02-28 08:09:16 | コラム
安倍総理が「小・中・高の一斉休校」を要請:

今回は初めての試みで「誰の言葉かを引用する」のを明らかにしていこうと思う。

私はこの度の新型コロナウイルスの感染が始まった頃に、橋下徹氏の「小・中・高の一斉休校のような思い切った手もあるのではないか。橋下氏は我が国は民主主義国家なので、大阪でこの件を言いだした際には、方々で反対の声が上がったので対応が大変だった」を引用して、「難しい事態が生じることが予想されるので、例えば一斉休校やある地域の封鎖のような思い切った手でも打つ必要があるのでは」と指摘していた。

大阪の場合と我が国全体とを同一に論じるなと言われそうだそうだ。だが、今回のような事態に立ち至れば政府は「やるか、やらないか」の二者択一のような決定を強いられるのではないかと私は考えている。目下当面している新型コロナウイルスによる感染の蔓延の事態に際して、厚生労働省と加藤勝信厚生労働大臣は余りにも決断力に乏しく、何らの効果ある決定を下せずに、ただひたすら逃げまくっていただけだったのは非常に遺憾だ。特に酷いのは「検査を多くの機関で行えば患者が殺到して大混乱を生じる」などとの逃げ口上で、これなどは国民を無視した逃げ口上の最たるものだ。

私は、昨日何故安倍総理が正面から登場されずに三百代言にも劣る加藤勝信厚生労働大臣だけに対処させ且つ語らせるのかと不満を述べたばかりだ。そして、遂に総理が矢面に立たれて「イベントとやらの自粛要請」に加えて「小・中・高の一斉休校」をも要請された。私流に言えば、まさしく“Better late than never”の決断であり、要請だった。果たせるかな、テレビも新聞も橋下氏の場合のように反対の声が方々で上がっていると報じた。なるほど、橋下氏はこういうことを経験されたのかと思って眺めている。

私は上記のように、現在具体化しつつある有事(ではないのかな)に際しては、思い切った二者択一というか二進法的な考え方で臨まないことには、後になって「あの冒険としか思えない手段が有効だったので、事態を素早く終息出来た」といえるような手を打ってみる事が肝要だと思っている。それを実行する為に多少の反対に遭うとか、火の粉を浴びるのが政府の役目だろうと考えている。その催し物(「イベント」なんていうカタカナ語は使わないよ)を中止した為に興行界に損失を生じるのも、後難を恐れて言えば「大事の前の小事」ではないのか。要点は「国民の生命に重きを置いて何処が悪いのか」だ。

しかすると、今回の総理の要請で法人や個人に経済的な損害が生じる場合があるだろう。そのような事態が生じたら、大前研一氏が述べていたように「新型コロナウイルス問題が収束した後に恐れながらと訴えて出れば良い」という考え方を当て嵌めれば十分だと思っている。この辺りが、私が最初に言いだした「思い切った手を打つこと」なのである。私には「一斉休校」がどれほどの効果を発揮するか否かなどは予測できる訳がないが“Better late than never”で踏み切られたのは結構なことだと思うのだ。。

だが、このまま無為無策で検査機関も増やさず、保健所に検査を拒否させ続ける態勢も、可及的速やかに改善すべきだ。それが加藤厚労相に出来るかは極めて疑問だと思わずにはいられない。この際、加藤厚労相は少しは決断力を発揮して、速やかに総理に「この際検査の基準を改めるべきでしょうか」と伺って見ればどうだろう。それも出来ないのならば、出処進退を考えて貰いたくなるのだ。それが大臣の役目ではないのか。


意を決してジムに行って来た

2020-02-27 14:28:22 | コラム
ジムはガラガラだった:

22日(土)以来のことで、COVID-19に対する目に見えない恐ろしさもあったし、多少体調に芳しくない感もあったので、ジムに行くのを見送っていた。だが、余り長い期間空けておくのも良くあるまいとばかりに、本日は意を決して出掛けて見た。往路はジム内でのウオーキング代わりに約900 mを北風に逆らって多少の寒さに耐えて歩いて行った。

ジムのチェックインの機械の前には、消毒用のアルコールが置いてあったのが珍しかった変化だった。午前9時10分過ぎに上がっていけば、何時もは満員である8台のマッサージチェアは誰も使っておらず、マシン類にも人影もまばらだったし、馴染みの顔も2人だけしか見当たらなかった。

矢張り、市川市だったかのジムのウエイトトレーニングの機械を使ったらしい方が、ウイルスに感染したとの報道が影響したのかなと思わずにはいられなかった。我が高田馬場のジムでも感染を恐れた会員が多いのかなと思いつつ、悠々とマッサージチェアで2回も硬くなっていた身体をほぐすことが出来た。そこには何時も聞こえてくるご婦人方のけたたましいばかりの会話の声も聞こえてくることがなかったので、静かな静かな雰囲気も楽しめた。

何時も何処かのマラソンの“Finisher”というTシャツを着ておられる滅多に会話をすることもない方が、「この時期にあって入り口だけにアルコール消毒用の瓶を置いているだけではもう一つや」と関西弁で不満を述べておられた。ジムのウエイトトレーニングの機械の傍らにこそ置いておくべきだと言いたかったのだそうで、それは極めて尤もなご不満であると賛意を表しておいた。私は2006年の心筋梗塞発症以来、心臓に一気に負担がかかる種類のマシンを使ったトレーニングはしないので、ストレッチを終えて風呂に向かった次第だ。

本日の決意の上でのジム通いが「凶と出るか問題なしと出るか」は、政府乃至は厚労省が言う12.5か14日後にならないと判明しないのかも知れない。だが、目下悩んでいることは来週になってからジムに再び行くべきかどうかだ。少なくとも、本日は何処でも咳やくしゃみをしている会員には出会わなかったし、帰路のバスにもそういう人はいなかった。だが、街中では相変わらず北京語と思しき言葉は聞こえた。この方がよっぽど悩ましい。政府は何故未だに湖北省と浙江省だけに限っているのだろう。

私は安倍総理がこのウイルス問題が進行している状況の中で、一向に公式に記者会見の場にも現れず、逃げているだけで一向に責任を持つようなことを言わない(言えないのか)加藤厚労相だけに無味乾燥なことを言わせ続けておられたのが不可解だった。これは、もしかして総理ご本人に何らかの健康上の問題でもあったのかとすら考えていた。もう好い加減にあの逃げ口上ばかりの加藤大臣を報道官的にお使いになるのを避けて、総理自身の言葉で「この危機を乗り切ってみせる」と言って頂きたいものだ。そうなれば、意を決することなどなくジムにも通えるのだが。



「テレワーク」って何のこと

2020-02-27 07:58:52 | コラム
何故「在宅勤務」ではないのかな:

新型コロナウイルスの感染が拡大するに及んで総理が遂に現れて「イベント(何で一国の総理大臣ともあろうお方が率先してカタカナ語をお使いになるのか)の自粛を要請されると共に、テレワークも推奨された」ようだった。私にはこの「テレワーク」(=teleworkingのことなのだろう)というのは、例によってカタカナ語製造業者が急遽編み出した新語かと思った。「在宅勤務」ならば“to work from home”か“to work out of home”と言われていた気がするので、取り敢えず検索してみた。意外にも歴とした英語のようだった。何でも Nilles という方が言いだした言葉だそうだ。

本来ならば“to work from home”で良かったようだが、ICT化が進んだ現在では自宅でPCを使うので、teleworking となったらしい。それならそれで結構だが、ここは日本であるのだから何も敢えて格好を付けて「テレワーク」という必要があるのかなと、カタカタ語排斥論者は考えた次第だ。「在宅勤務」の方が解り良くないのかなと疑っている。

なお、Weblioなどによれば、“telecommunicating などとも言うようだし、正確には”teleworking“という動名詞の形になっていた。「理屈ばかり言うな」と言われそうだが、矢張り文法は正確に守るべきだと思うし、何で「在宅勤務」と解りやすく言わないのかが不思議だと思ったのだ。


2月26日 その2 私が新型コロナウイルスに思うこと

2020-02-26 10:25:34 | コラム
これは厚生労働省マターなのか:

私の印象では、この大問題が発生して以来安倍内閣の報道官の役割を担っているのが、加藤厚労相であるようだ。それは確かにウイルスによる感染症であるのだから、厚生労働省が担当するのは当然かも知れない。しかしながら、事がここまで悪い方向に進み、加藤厚労相がいみじくも昨日言ってしまったように「全国民が一丸となって蔓延を防がねばならない」のだろう。だが、それを国民に望むならば、逃げ口上ばかりで何ら具体的なことというか、所信を述べない臨時報道官ではなく、安倍総理ご自身が登場されて語るべきことではなかったかと思うのだ。


私は最早、到底加藤厚労相や厚生労働省に任せておくべき次元は過ぎたと思っている。中国ですらあの習近平主席がマスクを着用に及んで武漢だったかの現場に出向いて関係者を叱咤激励していたし(したのだろう)、文在寅大統領も危機的な状況に陥った大邱に自動車で乗り込んで「終息させる」との固い(のだろう)決意を表明していたではないか。我が国は余りにも方々で感染者が出ている状況下では、総理が何処か一箇所を選んで赴かれがたいのだろうが、少なくとも陣頭指揮の意気込み程度を示されても失うものはなかったと思うのだ。私には真剣さが見えてこないのが残念だ。

連日のように各テレビ局が多くの専門の医師の方々を招いて「対策はかくあるべきだ」とか「政府のやり方には理解不能な点が多過ぎる」とか「基本方針も具体性が乏しく、自己矛盾的なことばかり盛り込まれている」と厳しく批判されている。そこには素人の私が聞いても有効だろうと思う提言が為されている。その中でもPCR検査だったかについての政府(厚労省?)の方針についての批判は厳しいし、こうあるべきだという要望も出ている。

だが、政府は一向にその現場に立っておられる医師の意見を採用する気配がないのも面白過ぎると思う。あの検査態勢では既に指摘したが、私がもし感染したら「死ね」というにも等しい無慈悲さだと思う。私は縦割り行政の為に厚生労働省は意地になって、現場からの意見を聞く気がないのかと思わせられている。加藤厚労相は記者に「検査の数を増やす予定は」と訊かれて「検討中」と答えた。これは彼の大蔵官僚時代に習い覚えた言語では「やらない」と言いたいのだと思って聞いた。安倍総理はそろそろこの責任逃れ一辺倒の答弁を禁じて、総理直轄としてご自身の言葉で語って頂きたいと、心から願うのだ。