新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月21日 その3 内閣の対策本部の重みは

2020-02-21 13:55:56 | コラム
東国原英夫の発言が気になった:

先ほど何気なく見ていたフジテレビのバイキングで、東国原英夫が野党が追及する「小泉環境大臣がこの閣僚会議を欠席し政務官を代理出席させた件」について「この会議は10回目(だったか)だが、前回だったかでは総理は8分で退席された。欠席したのは小泉環境大臣の他に2人の閣僚がいたということは、大臣たちが自分たちがいなくてもどうと言うことがない程度の会議と見た軽いものかも知れない。もしも、彼等がそのように軽く考えたのならば、この重大事が発生している時にとんでもないことだ」と指摘していた。


この県知事を一期務めた人物の芸人の頃の不行跡を捉えて、評価しない方もおられるが、私はテレビ局が好んで使っては政治や時事問題について語らせている芸人の中では、彼は傾聴に値することを言っている場合があると思って見ている。バイキングでは決しておちゃらけたことは言っていないと見ても良いと思っている。私が寧ろ深刻な問題かと思ったのは、これほど事態が急を告げているウイルス問題の対策会議の存在意義が、それほど軽いのであれば、我々国民は堪ったものではないという点だ。

それでなくともこの案件では失態ばかりを演じている内閣は、格好を付ける為に会議をしているのかと疑いたくなってしまった。特に、小泉環境大臣は野党に責め立てられた際の答弁を見ていても、欠席した翌日に育児休暇を取っているようでは、誤魔化しの答弁をしている暇があれば、この際は大臣を辞任せよとでも言いたくなる。閣僚がキチンと事態に対応してくれないから、私のような持病を抱えた高齢者は、迂闊にウイルスに感染したら生命の危機に瀕するような検査の規定を設けてしまうのだ。安倍さん、この事態は貴方様の責任ですよ。



2月21日 その2 マスコミの持ち上げ過ぎが災いしたか

2020-02-21 08:20:47 | コラム
小泉進次郎環境大臣に思うこと:

このところ、将来の総理大臣の有力候補だとマスコミが持ち上げてきた小泉進次郎環境大臣の失態が目立つのは、「何ともはや」の思いで眺めている。私はずっと以前からスポーツ選手などの場合に「将来有望などと過剰にマスコミに褒め称えられた多くの有望新人が、その持ち上げられ過ぎの為に崩れていく」という持論を展開してきた。そして、気の毒にもその通りになってしまった例が多いのだった。特にプロの世界に入ればそう簡単にものになるのではないのは明らかでも、マスコミは持ち上げるのだ。

私はこの理屈が政界にまで適用できるとは考えてもいなかった。小泉進次郎氏は父親の小泉純一郎元総理が「進次郎の方が政治家に向いている」と自慢の二男を政界に送り込んだのだった。そして、進次郎氏は最初からその期待に応えて、華麗な演説の技法を駆使して華々しく登場し、見事にマスコミ受けしたのだった。事実、選挙の応援演説などは新人離れした巧みさで聴衆を魅了した。四方八方から大喝采を浴びた。将に将来の総理候補かと思わせる持て囃し方だった。

私は「彼が何時の日にか総理大臣になるとしても、私の存命中ではあるまい」と思っていたので、余り関心もなく、批判することも褒める気にもなっていなかった。だが、安倍総理は先頃の内閣改造で38歳の彼を環境大臣に抜擢した。その意図が「この機会を与えて育んでいくのか、君は未だ修行が足りない」と思い知らせる為かなどは解らなかった。安倍総理は中々後継者の選択を明らかにしていないが、どうやら進次郎氏の場合は第一次試験(試練?)の場であったようだ。そして、気の毒なほどに進次郎氏は「未熟振り」を見せてしまった。

私はマスコミの過剰な持て囃しは「慢心」か「自惚れ」か「自信過剰」をもたらすと思っている。この場合は持ち上げられた当人が「これはおかしい。俺は未だそこまでの器ではなない」と自らを引き締めて、持て囃しに対して聞く耳持たずか、新聞も読まず、テレビも見ないような心がけがないと、ついつい嬉しくなってしまうのが普通の人だと思っている。人は誰でも褒められれば嬉しくなるもの。そこをジッと耐えて、自惚れしないようにすることが肝腎なのだが、難しいようだ。これまでに、プロ野球なのでどれほどの有望新人が潰れたか。

小泉進次郎氏には少なくとも「その例外」にはなって欲しかった。潰れていくのは本人かマスコミの何れの責任か。私は結論は明らかだと思う。どうも現時点まででは進次郎氏の場合には、褒められすぎが災いしているように思えてならない。自戒すべきだったのだろうが、本人がどう思っているかの問題だろう。


明らかに人災だ

2020-02-21 07:36:30 | コラム
人災というよりも「政府災」ではないか:

昨日も論じたが、未だに中国からの入国を全面的に拒否していなければ、感染経路が不明とかいう感染者が出る訳だ。この街には今でも北京語を話していると聞こえる老若男女が溢れている。この点だけを考えても、COVID-19の感染が止まらないのは「政府災」と言えるだろう。その優柔不断というか責任逃れも酷いと思う。加藤勝信厚生労働大臣は不要不急のイベントを自粛しろとは強制しないというようなことを言っていた。「不要不急」の基準は示さなかった。要するに「何か開催して問題が生じれば、開催した方の責任だ」と言いたいようだ。狡いなと思って聞いた。

内閣の総意なのか、厚生労働省が決めているのか知らないが、全てが中途半端でその典型的な例がダイアモンド・プリンセス号の取り扱いだ。既に諸外国のメデイアに非難されているではないか。この私にだって「船という閉鎖空間に閉じ込めて隔離としたら、如何なる結果を生じるか」とやる前から見えていたことをやったのだから、どうにもならない。この有様だから、WHOに「中国は良くやっている」と言わせてしまうのだ。あの中国の一見出鱈目のような封鎖一点張りでも、我が国の中途半端な対策と比較すれば「良くやっている」に見えてしまうのだろう。政府災だ。

お仕舞いに「カタカナ語使用」の批判を。加藤勝信厚生労働大臣は「イベント」という言葉を使って自粛論を語った。この“event“という単語には確かに「(年中の)行事、催し」という使い方はあるが、ジーニアス英和辞典では最初に出てくるのは「(重要な)出来事、(注目すべき)(大)事件」が出てくる。Oxfordでも最初に出てくるのは“a thing that happens, especially ~ important”となっていて、2番目に“a planned public or special occasion“が出てくる。この言葉を「催し物」を意味するカタカナ語にしたのはおかしいと思う。それを平気で使う大臣は当てに出来ない。