新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月27日 その2 日本語と英語に見る文化の違い

2017-10-27 16:12:40 | コラム
君自身の意見を聞きに来た:

以前に採り上げて論じたことがあることで、アメリカのビジネスマンたちは "first-hand" 即ち、自分で調査したかあるいは何処からか聞き出して自分の意見として練り上げた情報を評価するが、 "secondhand" と言うか「伝聞」を伝えても多とはしないのだ。

それ即ち見出しのように「私は君の意見か見解を聞きに来たのであって、誰かから仕入れた伝聞やマスコミの情報などは聞きたくない」となるのだ。彼らの世界では第三者からの伝聞の情報が如何に有益であっても、それでは評価の対象とはならないのである。ここで認識して頂きたいことは「アメリカの企業社会では、各自の意見を尊重する文化がある」という点だ。

そこで、英語の解説に入っていこう。私は個人の意見を尊重するとの文化と思考体系の違いも重要な問題だとは思うが、我が国の学校教育における英語の教え方にも問題があると思っている。それは、「It ~ that ~.」 の構文というのか、先ず "It" を先行させて "that" 以下の "clause" 何かを表すことや、"They say ~." や、"I was told that ~." のような形で文章を作っていくと教えられているようなことを指しているのだ。

これでは他人の意見を伝えることを先ず教えていることになってしまうのではないか。私がW社で日系人のワシントン大学のMBAだったJ氏に厳しく指導されたのはこの点だった。それは「そういう言い方ではなく、飽くまでも貴方の意見を I think that ~. のような表現で「自分」を前面に出しなさい。さもなければ上司は評価しない」ということだった。

「教しえられているような」としたのは、自分自身が最早学校で教えられる機会もなく、中学や高校の英語を教えている現場に立ち会った訳ではなく、22年半も対日輸出をして多くの同胞の英語に接してきた間に、このような第三者からの伝聞を伝える英語がごく普通に使われていたので、そのように推理したまでのことだ。

彼等アメリカのビジネスマンはこのような伝聞を伝える文章が、仮令文法的に正しくても「伝聞では意味がない」と批判するだけでなく、有り難がることは先ずないのだ。私自身も何度か「君自身の意見を具申せよ。第三者が如何に良い意見を出しているかを聞きに来たのではない」と窘められた経験があった。

しかし、中学校の英語教育ではこのような文化比較論にまで触れる必要もないだろう。だが、何時か何処かの段階でこの辺りにまで触れておかないと、折角良い情報だと思って報告しても、「日本人は伝聞をさも有益な情報だと思って語るのは困ったものだ」という意外な結果になってしまうものだ。故に、私は遅くとも高校の3年辺りか大学の教養課程では文化比較論まで教える必要があると考えている。

しかし、このような“first-hand information”尊重の文化比較論は、一般的な所謂「日常会話」の中で問題にされることがないのは言うまでもないので、万人にまで教える必要はないと認識している。

視点を変えれば、アメリカでは「個人の主体性」がどれほど重要で、どれほど尊重されるかは大いなる我が国との文化の違いであることは教えておくべきだということ。また、彼らには「皆が一丸となって」であるとか、「テイーム全体が一塊になって」とか「全員野球で」といったような思想は先ずないと思っていて誤りではないということでもある。因みに、我が生涯最高の上司だった副社長兼事業部長は “team effort”とは言ったが、「テイ―ムワーク」にはついぞ触れたことはなかった。


26日のその3 プロ野球のドラフト会議 #2 をお詫びして訂正します

2017-10-27 06:40:11 | コラム
私の不注意で見落としていました:

昨26日「東大の宮台投手に指名なし」としたのは、うっかり者の私の見落としでした。何と日本ハムが第7位で指名していました。ここにお詫びして取り消します。失礼いたしました。

でも、彼がプロの野球などに行くべきではないと言う主張は変えません。あそこは彼がこれまでに住んでいた世界とは違うところです。無謀だと言います。

10月26日 その3 プロ野球のドラフト会議 #2

2017-10-26 19:14:34 | コラム
東大の宮台投手に指名なし:

他にもう一つ良かったことがあった。それは湘南高校→東大の宮台投手はプロ志望と言っていたにも拘わらず指名がなかったこと。既に指摘して置いたことで、私の出身校である湘南などはプロ野球などには絶対と言って良いほど不向きな学校だ。彼が湘南と東大で経験した運動部と言おうか体育会などは、およそ一般的なスポーツの強豪高校や大学の一部リーグのそれとは別世界なのだ。

あの程度の体格と投手としての実績でプロに行こうなどとは、大間違いか自己過信であると断言する。何処も指名しなくて本当に良かった。

10月26日 その2 プロ野球ドラフト会議

2017-10-26 19:03:13 | コラム
清宮幸太郎が日本ハムに:

何となくチャンネルが合っていたTBSでは、毎年のことかも知れないが、夕方のニュースの時間にご丁寧に実況中継してくれていたので、一巡指名までは見ていた。かの清宮幸太郎には7球団の指名が入ったと、アナウンサーの初田が興奮気味だったのは笑えた。

何を差し置いても良かったことは、日本ハムが抽選の結果で清宮幸太郎の指名に成功したこと。それは高校から入ってきた将来有望だった子供を育てるという意味では、12球団最低のコーチたちを揃えている読売巨人軍に行かないで済んだことが良かったと言っているのだ。と同時に、嫌いな球団はあっても贔屓にしているところもない私が、NYヤンキースと共に最も嫌いな球団が読売なので、その点でも気分が良かったという意味でもある。

更に言えば、我が国のプロ野球界の将来の為にも、読売以外であったのが良かった。しかし、日本ハムも大谷翔平は妙な使い方をしても、当人の素質が図抜けていた為にあそこまで伸びたとは言える。だが、この球団では「他に誰を育てたか?」という疑問が付く。中田翔を見て見よ。未だあの始末だ。今年はホームランだって少なかった。そういう意味では、清宮幸太郎の為にはやや気懸かりな籤運になってしまったか。

それにしても、テレビ局は騒ぎすぎだ。抽選が終わった後に清宮幸太郎を長々とインタビューするのを、これまた中継放送したのだ。如何に何でも、未だ高校も終えていない18歳の子供をあそこまで持ち上げる必要などない。大体、何度も指摘してきたことで、彼らに持て囃されすぎた者たちが、意識したか否かは別にして、大成した例が少なく、且つまた、のぼせ上がって高慢ちきになった例も多いのだ。

如何に高校3年間で沢山ホームランを打ったからと言って、余り上等ではない都立高校の投手を相手に打ったのでは、どれほどの価値があのか、評価すべきかは疑問だと、私は思っている。これは、彼の素材としての良し悪しを論じているのではない。厳しい試合を重ねて打ったのとは質が違うだろうという意味だ。


英語のこぼれ話

2017-10-26 16:50:47 | コラム
英語ではこのように言う:

小池百合子さん批判にも神戸製鋼所の話題にも飽きてきたので、一寸方向転換を。

さようなら→ See you.
解説)日本語では「サヨナラ」でも良いらしい。原形は「左様なら」のようだ。私はアメリカ人が普通に使うのが、この See you. だったような印象がある。初めて See you later. と言われた時には奇異の感に打たれた。と言うのは、その人とは当分の間に再会することはあり得ないと思っていたからだ。だが、後になって解ったことは、これもごく普通な「サヨナラ」の表現だったということ。これがスラスラと出てくるようだったら、貴方もかなり英語に慣れてきたという証になるだろうと思う

この「さようなら」には言い方が沢山あるのも英語の特徴かと思う。思い出すままに並べてみれば “Will see you.”、“See you again.“、”See you, tomorrow.”、“Take care.”、“Bye now.”、“Good bye.”、”Ciao.”等々とある。因みに、Ciao. はイタリア語だが割りに頻繁に出てくると思う。因みに、Good bye(Good-bye)は 「God be with you. の縮約形」とジーニアス英和には出ていいる。

“Have a good day.”などとホテルのレストランを朝食事を終えて出る時に言われたことが多かったが、綺麗な表現かなと思ったものだった。普通の人にこう言われたら “The same to you.”などと返せば洒落ているかと思う。1998年だったかに上海の地下鉄で語りかけてきた中国の青年は別れ際に “See you, later.”と言ったが、これは「良く英語を知っているな」と思わせられて印象的だった。

ところで、我が国では何故「バイ、バイ」という奇妙な挨拶があれほど普及したのだろうか。あれはカタカナ語であるかも知れないが、あんな英語はないのだが。

ちんぷんかんぷん→ It’s all Greek to me.
解説)これはジーニアス英和には「それは私にはサッパリ解らない」という例文で出てくる。私にはギリシャ語というものがそれほど解りにくいものなのかどうかは「サッパリ解らない」が、このような表現があるのだ。

ゴーサイン→ Green light
解説)我が国では「青信号」と言うようだが、あれはどう見ても「緑信号」だと思う。英語では green light である。近頃、圧倒的に増えた LED (なのだろう)の信号は「青色」に見える気がするが。「ゴーサイン」というのは立派なカタカナ語で、英語では green light である。Oxfordにある例文を借用すれば The government has decided to give the green light to the plan. となっている。ジーニアス英和には His project was green lighted. と、受け身での使い方が例文になっている。

交通信号は我が国では traffic light (signal)と言うことが多いが、アメリカではアッサリと stop light などという人が多い。止められるのが嫌いなのかななどと思って聞いていた。

アンツーカー→ en-tous-cas
解説)気分転換のつもりで採り上げた。一目見てお解りと思うが、これはフランス語である。厳密にカタカナひぃうきすれば「アン・トウ・カ」のような気もする。英語の two を「ツー」と書いたり発音するのと同じような現象だと思うので、敢えて採り上げてみた。広辞苑には「(「いつでも」の意)水はけをよくするため、陸上競技のトラックに使用する人工土。花崗岩を高熱で焼いて造り、テニスコートなどにも使用」とある。英語にすれば all weather 辺りで良いかなと思う。

折り畳み傘→ folding umbrella
解説)これを英語で言おうと試みた時に一瞬迷った記憶がある。即ち、携帯用の傘かと考えたが、傘は普通は携帯するものなので、portable umbrella と言うのは思い止まった。どうやら、ここに掲げた言い方でも良いようだが、プログレッシブ和英には collapsible (fold-up) umbrella などという難しい単語を使った例が出てくる。ここにあるは fold-up を正確に発音しないと「ホールド・アップ」と「手を挙げろ傘」になってしまいはしないかと気になってしまった。