新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

思い出のメロディー

2014-08-10 14:18:39 | コラム
NHKの歌番組を聞いて:

9日夜は徒然なるままにNHKの「懐かしの名曲パレード」とやらを寝転んで聞いていた。ふと気が付くと86歳になったという菅原都々子が出ていた。勿論、歌ったのは「月がとっても青いから」だった。懐かしかったかと聞かれれば「懐かしい」と言うかも知れない。だが、あの歌が流行った頃は決して好きではなかったが、あの演歌の極致とでも形容したい歌い方には何故か否定しきれない日本人としては否定しけきれない好ましさがあった。

同様に日本人として否定しないものには藤本二三吉の「木遣り崩し」があり、子供のくせに聞き惚れていた。広沢虎造だって喜んで聴いていた。

換言すれば流行歌と言うか当時の歌謡曲としての何とも言えない「良さ」があった。彼女の歌を聴いて年齢にしては衰えていないなと思いながら、色々と往年の歌謡曲について考えていた。

その後も何となく他の歌手が歌うのもも9時近くまで聞いていた。当方は嘗てはジャズのLPを2,000枚も持っていて、決して流行歌のファンではないが、あの頃の流行歌は現在の訳の解らないシンガーソングライターとやら自称する連中の滅茶苦茶な歌詞と、どの曲を聞かされても皆同じ狭い幅の中に限定されたメロディーで聞くに(見るに)耐えない歌とは、品格が違うのである。

特に、あの連中が暇さえあれば、全く意味を為さないアルファベットで綴った文句(英語の積もりなのだろうが)を入れるのは胸が悪くなる。話しは外れるが、今かけているCDはパヴァロッティー歌うところの「カンツォーネ」である。

そこで、あらためて古き良き時代の歌手たちがお行儀良く歌う歌謡曲を聴きながら、今風と何が違うのだろうかお、私なりに分析していた。見えてきたことは「昔の歌の歌詞には聞いているとその裏に描かれたのだろう絵が思い浮かんでくる力]があった。また、じっと聞けば作詞者が「語ろうと意図した筋が読めてくるのだ、仮令それが絵空事であっても聞き手を空想の世界に浸らせて貰える詩がある」のだった。

林家木久扇が得意?とする「ミネソタの卵売り]は願い下げにしたいが、歌を聴くと歌手と、作曲家と作詞家が聞かせようとした世界と、我々聞き手の世界に導いてくれたのだった。あの頃は確かに「憧れのハワイ航路」の時代だっただろうし、一般人には容易に手が届かない(多分)美しいのだろうハワイの景色を想像させてくれる何かがあったのだと考えていた。

何となく屁理屈を言ってしまったが、そんな小難しいことを考えなくても往年の歌謡曲には整然としたものがあった。歌い手にも正規の発声法を勉強したと思わせる者が多かったし、今の人気者たちのように踊ったり跳ねたりもせず、奇妙な服装をしていないだけでも気分が良くなる。あの頃から「口パク」があったかどうかは知らぬが、集団で踊り狂う連中にも少しは古き良き時代の歌手を見習って貰いたいなとすら考えていた一時だった。


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