新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

甲子園野球改革論

2014-08-11 12:46:38 | コラム
高野連と朝日新聞に再考を促す:

台風11号で開始が2日も延期されたとは言え、今年も甲子園野球が始まった。私は30年以上も前から少なくとも大会の運営の仕方を大きく変えるか、さもなくば廃止せよと頑なに主張して、大凡の賛同を得ていないのは極めて遺憾である。高野連の前会長・脇村春夫君にはクラス会の席上で書面を渡して廃止論を述べて唖然とさせた。

私は、だからといってあの大会の意義を真っ向から否定するものではない。だが、戦前の学校の数が少なかった頃と、戦後の国民全体に受け入れられるような娯楽、で悪かったら健全なスポーツの大会として意義があったトーナメント方式の全国大会は、時代遅れであると言いたいのだ。しかも、朝日以外の新聞も甲子園球場を高校の野球部の子供たちの聖地として崇め、そこへの出場を夢としたのは結構だが、時代の変化の意識が欠乏している。

世の中の価値の基準は大きく変動し、サッカーではW杯に5回連続出場する時代となった。羽生君が男子のフィギュアースケートで優勝してしまったではないか。浅田真央にあれだけの高い人気があるではないか。高梨沙羅のような凄い少女が出たではないか。

先ず、主宰者である朝日の不見識を非難したい。現在のように多くの競技か科学的にも進歩し、指導法も戦術も多岐にわたってきた時代に、ベンチには監督のみしか入れず、選手の数も地方予選よりも少ない18人だったかに制限している感覚は度しがたいものがある。朝日は旅費や宿泊費を負担しているやに聞くが、もしもその経費節減のために人数を制限しているのならば、その誤った感覚は最早犯罪的である。

指導者の人数だが、近代の野球での指導法というか、コーチの教え方の進歩と変化を見れば解ることで、プロ野球のメンバー表に監督以外に何名いるかを見てみれば良い。朝日は監督を全知全能だとでも思っているのか。最低でもコーチを投・打・守と3人は入れさせるべきではないか。望むらくはヘッド・コーチも入れたい。

何と言っても問題はベンチに入れられる子供たちの人数だ。マスコミが「何連投」だの「何百球も投げた」だのと健康面というか、高校生の体力に全く配慮しない報道をして讃えるのを良いことにして、プロ野球のベンチ入りよりも7人も少ない規制は道徳的にも問題だ。投手は少なくとも5人は入れて、二連投の禁止や投球数の細かい制限も設けるべきだ。MLBがあの優れた身体能力のある大男を、100球で制限しているではないか。現在の人数制限は論外なのは言うまでもないこと。

さらに、甲子園の聖地化を考え直せと言いたい。高校サッカーを見よ。マスコミは(最早使えなくなったが)国立競技場を聖地化してはいるが、サッカー協会は野球よりも少しはものを思う人たちが多いようで、国立では準々決勝?だったかからしか試合をさせていない。それまでは都内か近郊のサッカー場(と言ってもW杯をやったお陰で国際試合が出来る立派なサッカー場が沢山あるので)に分散させている。私は良い考えだと思う。

残るは近年の異常気象だ。いえ、関西地方のあの猛烈な暑さと湿度の高さだ。当方は甲子園の近くに約3年住んだことがあり、関東では到底解らない猛暑と高湿度を経験している。それだけではない近年の猛暑の中で体力が成熟していない高校生に朝は8時から夕方まで試合をさせるのも犯罪的だ。

何度も言ってきた来たことだが、あの猛将・故篠竹監督率いる日本大学フェニックスの黄金時代でも、都内での夏合宿中は正午から午後3時までは練習を休んでいた。その時間帯に兵庫県で午後3時でも高校生に試合をさせるのは如何なものか。それが彼等が標榜する「教育の一環」なのか。甲子園にはナイトゲームの設備があるではないか。

要するに、試合会場、試合開催時間帯、ベンチ入りの人数等を再検討すべきだとの主張である。廃止すべきか否かは別次元であるから、ここでは一先ず措くとする。私の考えを支持して、朝日と高野連を批判して下さる方が沢山おられることを切に希望して終わる。


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