新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月21日 その2 NPBの無観客試合に思う

2020-06-21 12:06:38 | コラム
冷静なる評論家が思うには:

新型コロナウイルスの襲来以来、ほとんどあらゆるスポーツの試合や、言わば歌舞音曲等の催し物(「イベント」等という愚かなカタカナ語は使わない)は無観客での開催になってしまった。開催が3ヶ月も遅らせられたNPBの野球も例外ではなかった。私は選手たちがどのように捉えているかは察しがつかないが、少なくとも鉦や太鼓等の鳴り物入りの応援がないことは大歓迎である。一部には打球音を楽しめとか、ベンチの声が聞こえるのは云々という意見もあるが、野球という競技は「声を出す」という行為が重んじられている、うるさいものだと認識しているので、気にはならない。

そこで「応援」乃至は「応援団」または「応援指導部」という我が国独得の「文化」を考えて見ようと思う。大方の意見では応援に対して好意的だし、都市対抗の野球などで見える会社員を動員する応援なども高く評価している方が多いと思う。私はこれらの応援の在り方は指揮者か指導者が観客席の一番下から上を仰ぎ見て、大きな動作で手や足を動かしているのであり、基本的に野球の為にあったものが極限まで昇華されたのだと、勝手に解釈している。換言すれば、他の競技種目向けではないのだとすら考えている。

しかも、NPBの場合には嘗ては一度か二度鳴り物入りはお控え願いたいとのリーグ側だったかから要望された。だが、結局は有耶無耶になってトランペットかコルネットか知らないが、高音を出す楽器が持ち込まれただけではなく、多くの選手毎に応援歌までが作られる次元にまで行ってしまった。それらの行為は「自分たちの好みの球団を応援するのだから、どうぞご随意に」ということかと解釈している。しかし、私のように静かに選手たちの技術や各テイームの作戦等を楽しみにして見ている方にとっては、応援は雑音でしかないのが残念なのだ。

Jリーグのサッカーについても私は似たようなことを危惧している。それはあの「サポーター」と呼ばれている人たちは自分たちが応援するご贔屓のテイームの士気を鼓舞する為にだけに観客席に来ているのであって、サッカーそのものの面白さ、楽しさ、難しさ、技巧(スキルでも良いか)、危険さ、点を取るまでの組み立ての良し悪しを批判する等の楽しみを、一切放棄しているとしか見えないのだ。それとも、大声で応援し、もしかして蓄積されていた日頃のフラストレーションを発散する為にでも来ているのかと疑うときすらある。

NHKのBSで確か週に一度「球辞苑」という野球を色々な角度から分析して見せている番組がある。そこでつい先頃この「応援」が採り上げられ、各選手毎の応援歌までが応援団員によって披露された、その場には選手側の代表者として元ロッテの里崎智也が出ていた。彼は何とアッサリと「試合中にはその応援歌は全く聞こえていない」と断言したのだった。彼は無関心だというのではなく、試合に全神経を集中していれば、スタンドの声は聞こえないという意味だと解説した。尤もだと思う。

かく申す私は昭和20(1945年)年4月に湘南中学の蹴球部に入部して、3年生の時には県下の少年部の大会で優勝した経験を手始めに、2005年一杯まで数え切れないほどのサッカーの試合に出てきた。だが、技量が拙劣で余裕がなかった為か、集中していた為か不詳だが、外からというかベンチというのか解らないが、誰かが何か指示をするとか何かの声は、ほとんど聞こえていた記憶がないのだ。尤も、最晩年はフットサルになっていたし、全員が70歳以上だったので勝手に交代していていたから「替われ」と言われれば、間違いなく聞こえていたが。

愚息たちも高校から大学までフットボールをやっていたので尋ねてみれば「ベンチから何らかの指示があっても、スタンドやサイドラインの外から何か声をかけられても、先ず聞こえないし、そんな余裕はない」と答えていた。サッカーをやっていた者としては十分に理解できる。ということは「NPB等における野球の試合での応援という選手たちの士気を鼓舞する為の『エール」』これも理解不能なカタカナ語だが)にしても、楽器を鳴らし、応援歌を歌っても、それは応援してい人たちの中での自己満足のショーに終わってしまっているのではないか」と思われるのだ。

そこで、例によって「アメリかでは」を考えて見よう。アメリかではMLBの試合はかなりの数を見てきた。勿論と言うべきか何と言えば良いのか、応援団などいないし、鳴り物は入らない。声援は飽くまでも個人によるものだが、アメリかでは我が国の阪神タイガースの地元の熱烈な応援以上にフランチャイズというのか地元の人たちが偏っているのではと思うほど、地元の球団の肩入れしている。阪神とは言ったが、その肩入れの仕方は広島という方が適切かも知れない。

ビジターのテイームが現れれば、一斉にブーイングをする。ヤジもきついが、彼等はそう教育されてきた為か、野球でもフットボールでも良く理解しているので「なるほど」と感心するようなことを怒鳴っている者が多い。彼等が語り合っているのを聞いていれば「下手な解説者より余程微に入り細を穿つ」であり、謹聴させられた。我が事業部のCustomer serviceのマネージャーだった女性の夫などはチャンとグラブ持参できているし、佐々木主浩のフォークボールは「投手有利のカウントに持ち込めないと通用しない」と初見で断言した途端にホームランを打たれたほど野球に精通していた。

この辺りに我が国とアメリカのスポーツ観戦の仕方というか応援の違いがあると思っている。アメリカ人は圧倒的に地元のテイームを贔屓にしているが、応援の仕方は各人の好みに任せているのであり、私が経験したMLBでもNFLでもNBAでも観客席には鳴り物等は一切なく、ヤジか「しっかりしろ」とか「やっつけろ」という類いの声援だけだ。換言すれば「皆で一緒に応援しよう」という我が国のような「一丸となって」という精神は、ここでも極めて希薄なのである。結局は「文化比較論」になってしまったか。



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