新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

リュックサックが登場した

2015-03-26 09:13:56 | コラム
小宇宙を形成する高校野球に新時代が:

昨25日の午後4時過ぎにリハビリテーションを終えて国際医療センターを出てみると、春一番か何か知らないが物凄い強風が行く手を遮った。その猛威を避けようと身体をひねった途端に何と左胸に軽い痛みが走った。一寸イヤな感があったが、「筋肉痛だろう」と判断して都合良く現れたタクシーを拾って帰宅した。車中でも迷ったが、どう考えても動脈関連乃至は心筋梗塞の前兆とは違うと思いたかった。

帰宅後に着替えもせずに早速血圧を測った。116/55だった。確認のために約30分後にもう一度測ってもほぼ同じで安心して着替えをした次第だった。患部?には「ロキソニン」のジェルと湿布を貼って対応し今朝もこうして生存しているので、昨日の経験豊富な素人?の判断が誤りでなかったと確認出来たのだった。

昨日のリハビリでは20分間のエアロバイク漕ぎの間に、目の前にあったディスプレーでNHKが中継する高校野球で東京代表の二松学舎高が負けてしまうのを見ていた。私は30年以上前から「高校のスポーツの全国大会を止めるべし、就中甲子園の野球」と唱えてきたほどなので、甲子園の野球はどうしても廃止論者の批評家の目でしまう傾向がある。

脇村春夫君が高野連の会長に就任した記念の湘南高校のクラス会では「止めるべし論」を書き物にして手渡して、温厚な彼を仰天させたものだった。止めろいう理由をここに細部にわたって掲載することは避けるが、何度見ても高校野球は我が国の野球の頂点に立っており、その精神・技術・礼儀作法(仕来り)・哲学等々全てが我が国の野球の基本と根本を形設定しており、プロなどを押しのけて既に小宇宙を形成していると痛感するのだ。

今年の選抜を見ていて面白いなと感じた現象は、技術論でも精神論でもなく、用具の変化だったのだった。当方の頭の中には中学や高校の野球部の子供たちと言って真っ先に思い浮かぶのが、あの一見「頭陀袋」(ずだぶくろ)のようなと言うか無駄に大きいのでは言いたい大きなボストンバッグにショルダーストラップがついた道具入れである。しかも学校名が「これでもか」と言わんばかりに入れてあるのだ。いや、あれは一種のステータス・シンボルかも知れないと思わせられるのだが。

だが、今大会ではそのシンボルを避けたのか、試合終了後にリュックサック形式の道具入れを背負ってベンチの前で全員が一礼して引き上げていくのが目立った。即ち、ボストンバッグ式が減少したのだった。しかもよく見ていると、そのリュックサックの基本設計は皆同じで、色彩が違っているだけに見えた。そこでさらに目をこらしていると、一校だけマチの部分に大きく”DESCENTE”(デサント)と書いてあった。

余計なことかも知れないが、当方にはこれがデサントの新マーケティングの手法ではないのかと思わせてくれた。即ち、デサントが頭陀袋時代を打破すべく新形式のリュックサック(これはドイツ語が元で、英語では”backpack”か”knapsack”らしいが)を導入して、生徒たちの興味と関心を引いたのだろうと考えたのだが。私にも見た目では斬新さを感じさせたし、頭陀袋式よりも凝ったデザインが可能だと思わせてくれた。

また、私の個人的好みを言えばユニフォームの胸と帽子の前方に、何故か漢字で校名を入れてある方が好ましく見えて仕方がない。その方が未だに試合開始前とその後にサイレンを鳴らす中学野球時代からの雰囲気と感覚に相応しいという気がするのものでね。


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