新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月3日 その2 TPPに思う

2015-08-03 15:09:52 | コラム
対日輸出を回顧すれば:

今回の12ヶ国、中でもニュージーランドが強硬に自己主張をしてTPP交渉が纏まらずに終わったことで、畏友尾形氏と色々と意見交換をした中からその言わば纏めを試みました。私は基本的にはTPPを支持する側ですが、アメリカ、特に民主党政権の対日政策と保護貿易の姿勢はとても支持できません。

私がW社で19年半も何を主に我が国に輸出していたかと言えば、英語の直訳では「液体容器用原紙」でした。その俗称は「ミルクカートン原紙」ですが、ジュースやお酒やワインにも使われています。但し、アメリカではお酒やワインのパックには紙は使えないというのが定説でしたが、我が国はその優れた技術であっさりとこの障壁を乗り越えて見せました。この製品の担当だった私は幸運だったと思っております。

この原紙は1990年代の最好調時でも年間25万 ton ほどでした。ざっと言って40フィートのコンテイナーが月間1000本程度です。この紙は我が国ほど優れた技術を持つ製紙国では経済性の面もあって(カタカナ語にすればスケールメリットに問題があって)1 ton も生産されていないのです。この説明は長くなるので省略します。

アメリカからの輸出で問題だったのは輸入でコンテイナーは入ってくるが、その中から輸出に適確なものを探すのが困難だった点でした。特に食品関連の荷物では前荷の臭気が残って紙やポテトに吸着するので、我が国では消費者に屡々忌避された事件が起きたのです。こういう細かい厳しさは我が国独特のもので、アメリカ側を悩ませる条件の一つでした。

我が社のワシントン州の本社にも東京事務所にも常に日米の大手海運会社が担当部署を訪れて、沢山積んでくれるようセールスに来ていました。当時の大手とは我が国ではNYK、Kライン、商船三井、昭和海運、ジャパンライン等で、米船社はSeaLandにAPLだったでしょうか。現在これらの海運会社が何社残っているでしょうか。時代の変化は怖いものです。

何故それほど液体容器原紙に人気があったのかと言えば「アメリカ西海岸から対日輸出される三大品目がアイダホー州からのフレンチフライのポテトの原材料、動物の飼料用の干し草(hay cube)と、我が社他1社からの液体容器原紙だったのです。船社としてはこの紙を積んで貰えないとアメリカから日本まで空コンテイナーを運ばざるを得ないような事態すらあったとかです。干し草を積んだ箱は臭気が残ってしまうので、絶対に食品関係には当分の間使えないのです。どうしてもとなれば、蒸気を使って徹底的に洗浄するしかありません。

驚いて頂きたいのは、アメリカ西海岸からの輸出品目が貧弱な点です。多くは一次産品か同等ではありませんか。それを積む以外ないのですが、船社が言う”east bound”の荷物(=輸出)は沢山あるのです。だが、”west bound”が少ないので、何としても空コンの輸送を避けたかったのです。これがアメリカ西海岸からの対日輸出の実態でした。ボーイングはシアトルから出荷されますが、飛行機は自分で飛んでいきます。当たり前か。

これが20年前までのアメリカの輸出の実態です。1990年代初頭の統計を見ると、対日輸出の会社別ではボーイングがダントツなのは当然として我が社が1,500~1,600億円程度/年で何と第2位でした。この当時では我が社が紙パルプだけでを採れば、我が国の輸入の50%を超えた年があったほどで、上智大学経済学部の緒田原教授(当時)に「それではアメリカの対日輸出は植民地からの如き状態だ」と揶揄されました。

その紙パルプ類が日米のICT化の進捗で印刷媒体が衰退し、為替の円安傾向にも災いされて、今や衰亡の一途です。ここで、アメリカが牛肉を買えと迫った頃のことを思い出して下さい。我が国が厳しく求めた全頭検査すら満足に出来なかった労働力を抱えて、今度は関税撤廃を叫んでいるのです。しかも片手では中国とインドネシアとドイツからの輸入紙を反ダンピング関税等で閉め出しているのです。自己矛盾でしょう。

カーラ・ヒルズ大使が1994年に認めた初等教育の充実と識字率の改善は焦眉の急でしょう。さもなければ、同盟国が如何にその関係を尊重したくても、我が国の需要と受け入れ水準を満たせないことになってしまいます。しかも、何時まで円安が続くのか知りませんが、円安は海上運賃の高騰を意味します。ドル高を創り出したのはアメリカ自身ですが、オバマ大統領殿。



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