新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

重機整備士様のコメントに

2019-08-05 08:12:41 | コラム
重機整備士様

コメントを頂戴致しまして、誠に有り難う御座いました。

ご指摘の「難しい表現や日本の学校で習うような文法偏重英語は役に立たぬと常々感じていました。職場での英語など意思疎通の道具に過ぎないのですから。」は将にその通りだと賛意を表します。誰が言った事か最早記憶は定かではありませんが「言葉は単に自分の意志を相互に表現して理解し合う為の記号に過ぎない。そういうものに就いてあれこれと理屈をいって恰も科学か学問のように扱うのは誤りである」との説を私も信じております。従って、私はずっと以前から「語学」という表現を否定してきました。

更に言えば、「我が国の学校教育の英語では英語を科学として数学のように教えているのであって、文化も思考体系も異なる日本語の世界で育った来た生徒や児童たちには極めて解り難い教科になってしまったと見ております。それを6年乃至は8年学んでも話せるようにならないのは当然であり、既に採り上げた女性の英語の先生が「話せるようになる為に教えていない」と言われたのもその通りだと思っております。

しかし、我が国の英語教育ではアメリカやUKに行けば文法や綴りを誤るようでは非インテリ階級と看做されるという重要な点を教えていないも困った事だと思います。しかも、何故か我が国の教育で育ってきた方には文法的には不正確な英語しか話せず、書けずという人が多すぎるのです。それに以前にも指摘した事ですが、高校3年の英語の教科書を読んだアメリカの技術者が「日本では英文学者でも育てる気なのか。アメリかではこんな難しい文学作品が載っている教科書などない」という驚きの感想を述べました。

なお、念の為に申し上げておきますと、私は確かに経験に基づいた英語論と言うか英語での表現等々を語って来ましたが、実際には極めて学問的に英語を分析してきましたし、高校では「文法に強い事」を売り物にしておりました。アメリカ人には「君は(英語)学者だから」とも言われました。その文法の知識も矢張り「音読・暗記・暗唱」を繰り返してきた事の産物で、後付けで文法が追いかけてきたと言えると思います。であればこそ、“Me, too.”は駄目だというのです。

真一文字拝



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