新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

W杯サッカーの3位決定戦

2014-07-13 08:27:02 | コラム
ブラジルは壊れていた:

13日朝は矢張りこの3位決定戦に間に合うように目が覚めてしまった。それは、唯一の興味が「あのブラジルが何処まで壊れてしまっているのか、それともいくらかでも立ち直れているか」だったからだ。結果を先に言えば「壊れ果てていた」と言うべきかマスコミが言う「サッカー王国」が果たして実態だったかと言いたいほど無残な負け方で、2試合で10点も失っていたのだった。

私は微かながらドイツに7点も取られて負けた後では「負ける時はこんなもので、恐らくブラジルの全員が我を失っていて何をやっていたか解らないうちにやられたので、もしかすると3位決定戦では立ち直っているかも知れない」とは予想はしていたのだった。

しかし、とんだ見込み違いだった。試合開始2分で今回のW杯サッカーの開幕第一戦でレフェリーだった西村雄一氏が設定してしまった「手を使って守ることに対する厳格な反則を取る基準」を承知のはずのブラジルのキャプテンで準決勝戦をイエローカードの累積で欠場させられていたチアゴシウバが、その反則を犯して致命的とも思ったPKをオランダに与えてしまった。実は、試合は実質的にここで終わったのだった。だが、最後まで見てしまった。

残念ながらブラジルは解説の清水氏が指摘したように「ここぞという時にボールを持っていない連中がノソノソと歩いていたし、全く集中力を欠いたサッカーをやっているだけ」で、遂に3点も取られて負けてしまった。そのうちの2点はゴール前でシュートをするオランダの選手を全くフリーにしてしまってという気の抜け方だった。

私はブラジルは恐らく世界最高水準にある個人技というか、優れた球扱いと正確なパス回しと体の使い方等で今日あると思っていた。しかし、個人の技術で相手を振り切って攻め込む時に特に理論ないしは決められたフォーメーションないしはシステムがあるとは見えず、世界最高の個人技依存集団かと思っていた。即ち、彼等以上の技術(個人技)も持ち合わせか理論に支えられた戦術がなければ、ブラジルには勝てないということだ。

そこに、高い個人技と整然たる理論に裏付けられた、ブラジルとは対極にあるサッカーを展開するドイツが立ちはだかって出鼻を挫き、後はその悪い流れを断ち切る精神力を失ったあの惨敗となったのだったと思う。私はそこから立ち直っているか否かが鍵を握ると思っていた。だが、そこに僅か2分でPKでは悪夢の再現だったし、彼等も「またか」と成り行き次第では取り戻せたかも知れない自信を打ち砕かれたのだと思って見ていた。

何時だったか14歳だったかで「ブラジルでサッカーを学ぼう、世界的な選手になろう」という夢を持ってブラジルに渡った日本の少年が、実際に現地に行ってみて驚き且つ落胆したと回顧している物語を読んだ。それは「ブラジルでは最下層の者たちでもサッカーで身を立てて見せようと、皆で集まって裸足で何らか材料をボールにして野原同前のところでサッカーをやって鍛え合っているのであり、、理論的に基礎を教えてくれる指導者は少なかった」という筋だった。

私はこの話を読んで納得した。それはブラジル人たちは早くから球に慣れ親しんでいるし、グラウンドの条件が悪いことなど意に介さない技術を身に付けていたということの証明だったからだ。今日の世界を支配しているサッカーでは、我々(私?)が1945年の学んだ基礎である球扱いとは全く異なる足技が主流なのであるから。

それは「トラッピング」や「ストッピング」や「右から見たパスは右足で左から来れば左足で」という古き良き時代の原則を無視しても難なくこなしてしまう個人的な技の水準の高さであると思っている。この点はこれまでに何度か指摘したが、左から来たパスを右足で蹴ろうと思えば、左足の前を通過した球を目にもとまらない早業で正確に右足で蹴らなければならないという意味で、物理的には本当に難しいのだ。そういう技を南米の選手たちは軽々とやってのけるのだ。私はこれぞ年月をかけて鍛えた「球馴れ」の成果であると思っている。

ブラジルはそういう球慣れを基礎に置いた個人技集団である。そこを理路整然派のドイツの破られてしまったのだと思っている。その余波が収まらず、準理路整然派のオランダに押し切られた試合だったと見るのだが。これから先にブラジルは苦難の道を歩んで再建せねばならないのかという気がする。だが、あれだけの個人技があれば、そこに理論を導入すればと思うが、その線の選択はしないだろう。それではフラジルではなくなってしまうから。


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