新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月5日 その2 オリンピック雑感

2021-08-05 16:01:12 | コラム
オリンピックには色々な発見や楽しみ方がある:

国際化なのか:

昨4日夜の韓国との野球では、韓国の先発投手に氏名はYP Koと表記されていた。後で新聞を見れば高永表さんだった。即ち、高という字の韓国語読みはKoだったと初めて気が付いたのだった。1960年代の末に知り合った財閥の御曹司は確か「サンホウ」さんだったが、漢字では「サン」は「聖」で「ホウ」は「金偏」に「高」だったので、てっきり「高」も「ホウ」だと思っていた。ところが「Ko」だったのだ。「なるほど、勉強になった」というところ。

すると、昨日から始まった女子のゴルフにニュージーランドからかなり強いゴルファーで、Lydia Koという人が出てきていた。この人の存在を知った頃には「Koとは面白い名字だな」程度にしか感じていなかったが、昨夜の野球の高投手のことを知って、急遽Googleに訊いてみた。すると、矢張りソウル生まれで、ニュージーランドに移住した人だったと判明した。

ここまでで何を感じたかといえば「オリンピックのように、世界の各国から多くの選手が集まってきて初めて確認できたことで、世界には中国や韓国を始めとして色々な分野で移民して帰化した人たちが多い」という事実だった。しかも、その移民というか帰化した人たちの中には、スポーツの分野に進出してその國の代表選手にまで成長している者たちもいるのだった。

Lydia Koはゴルフだが、フィギュアスケートなどには我が羽生結弦君の強敵となる男子の中国系のスケーターが、カナダにもアメリカにもいるではないか。既に採り上げたが、モンゴルに柔道にはイランからの帰化人がいたという具合。他にも陸上のトラック種目などには、アフリカの諸国からの国籍変更の選手は数多くいたと思うが、一々記録を取っている訳でもない。

我が国の代表選手にも男子のバスケットボールアメリカから帰化したエドワーズ選手がいる。私はこのような流れを国際化とするのか、自国のスポーツ界の強化策と見るかは、俄に決めかねるが、世の中の流れは変わってきたのだなと感じ入っている。

我が国の選手たちの体格に思う:
昨日の女子のバスケットボール代表テイームが、見事にベルギーを最後の15秒の3ポイントシュートで退けた後のインタビューで、キャプテンの高田さんが準決勝戦の抱負を聞かれて「身長が低い我々でも、一生懸命に自分たちのバスケットボールをやれば」と語っていたのを聞いて、正直に言って隔世の感にとらわれていた。というのも、身長が低いと言った彼女の身長はスクリーン上に185 cmと表示されていたのだったから。如何に日本人の体格が向上したとは言え、185 cmの女性にそう言われては、老化して無慮155 cmほど縮んだ私は立つ瀬が無いではないか。

このように、多くの種目で身長という面では我が国からもヨーロッパ、アメリカ、アフリカ等々の國の人たちにそれほど遜色がない身長の選手たちは数多く出てきた。だが、永年彼等の中で暮らしてきて痛感した違いは、我々には如何ともし難い骨格と体格の差だった。彼らを裸にしてみると、特に何か三大スポーツに打ち込んできた訳でもない普通の人たちでも、劣等感を覚えさせられたものだった。その連中が車社会で過ごしては足腰が衰えるとばかりに、暇を作ってはジムに通ってトレッドミル(日本語で言う「ランニングマシン」に乗り、ウエイトトレーニングに励むのだ。

その中でも、特に運動能力に優れた者たちが大学まで鍛え上げ、やがてはプロの選手になり、その中から選ばれてオリンピック代表になってやってくるのだから、彼らを倒すのは容易ではないのだ。しかも、アメリカのMLB、NBAなとには全世界から図抜けた能力の持ち主たちが参加して切磋琢磨するのだから、多くの國から異次元の能力を持つ選手たちがオリンピックにやって来るのことになるのだ。私は我が国の代表選手たちが一つでも多く外国の選手たちに勝ってくれるように祈っている一方では、世界第高水準の選手たちの技術を鑑賞する機会を得て楽しんでいるのだ。

その意味では無観客だろうと何だろうと、オリンピックが開催できて、テレビ観戦が出来て楽しませて貰っていることを、とても有り難いと思って感謝している。自宅で観戦している限りでは菅首相が言われる「安全・安心のオリンピック」なのだから、何の心配もないのだ。



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