新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月2日 その2 男子ヴァレーボールの五輪予選に思う

2016-06-02 08:35:58 | コラム
善戦健闘しているとは思うが:

目下我が国で開催されているオリンピック最終予選で男子は大苦戦で、昨夜はイランに負けたために出場権(何でマスコミは「切符」と表現するのだろう。それでも「チケット」と言うよりましか?)を取ることは難しい状況に追い込まれた。女子は既に韓国に負けてはいたが出場権を取っている。余りヴァレーボールに詳しくない私でも何とか勝たせて上げたい気はするが、テレビ観戦は余り気が進まない。その理由の最たるものは、協会なのかテレビ局の悪趣味かどうか知らないが、ジャニーズのBAKAガキどもを応援に繰り出すいやらしさと、とても解説とは言いがたい応援団の如き川合が出てくることが好みではないからだ。

だが、昨夜もプロ野球のセパ交流戦の複数の試合とを、気の向くままにチャンネル変えて一寸だけヴァレーボールも観戦してみた。結論めいたことを先に言えば「W杯とスーパーリーグに参加してあれほど善戦健闘し、あと一息のところまで進歩発展したラグビーに似たところが多々認められる点があるのと同じ程度に、世界の水準に付いて行っていると評価している。即ち、全てが世界水準にもう一息であり、その残された一息の不足が昨夜のような敗戦となる原因だと言いたいのだ。

ラグビーについてはkazkさんのブログへのコメントで大いに啓蒙して頂き感謝している次第で、大分以前よりは見方というか評価の基準を変えてきた。だが、ヴァレーボールの川合の応援団風の解説(サッカーも松木安太郎の似たようなものだが)では「何が問題点で世界の強豪国に負けるのか、何を改善すべきか」が一向に見えてこないのだ。

実は、川合と雖も先刻承知なのだろうが、外国勢と決定的に違うのは身体能力でも体格の良し悪しでもなく「身長」なのである。その点を端的に表していたのが、2 m以上の背高のっぽを集めた中国にあれほどやられてしまったことが示していると思う。そのような違いを経験から言えば、アメリカ人の会社に入ってそれこそ裸のつき合いまでするようになり、彼らの体力と身体能力の下に設定された基準で1年365日動いてみると「ひょっとしてそこには人種的差があるのか」と疑うこともあった体の大きさ、就中身長の差があったのだ。

男子代表を見ていると、石川、柳田、清水、深津、米山等の技術水準の高さが決してイランその他に劣っていないと解る。だが、その技術と技巧も身長の差の前には決定的な時には雲散霧消する結果になって現れて「もう一息、もう一歩だった」との嘆きに変わるのだ。ラグビーはその世界の規定で外国人を入れて補うことが可能になったし、前任のジョーンズ監督の厳しい指導でW杯でも、あれだけの結果となって現れた。

私は外国勢を入れたラグビーに残された課題は、プロ野球が採用している所謂「助っ人」たちの「自己中心」というか、カタカナ語に言う「フォア・ザ・チーム」的ではない勝手気ままなプレー振りを何処まで排除して、日本式な「全体のために」精神を身につけさせるかにあると思っている。ラグビーはそれで相当程度補えるだろうが、如何せん、遺憾ながら、ヴァレーボールには身長の差は一朝一夕では補いきれないのだ。

ヴァレーボールの場合は「上手いことは上手いのだが・・・・」状態を如何にして脱するのかは、これからも課題として残るだろうが、ジョーンズ監督方式の鍛え方を採用するのはどうなのだろうか。それにしても180 cmの身長では小さく見えるものばかりが揃っている辺りは、我が国にも人種的な変化が生じたかと今昔の感に堪えない今日この頃だ。



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kazk)
2016-06-02 16:08:07
結論から言えば身も蓋も無いことになりますがこちらのブログに書かれてることが(コメント欄の意見も含めて)問題の根幹だろうと思います。
https://selfkleptomaniac.org/archives/2024

この問題は日本のプロスポーツについては常に問題となります。ラグビーもトップリーグは半ば見切り発車で行ってしまいました。勝利は全てを肯定するからです。だから今後問題にはなるでしょう。

小生は早稲田出身であり大学ラグビーの選手を何人も見知っていますが、連中だって馬鹿じゃあない、教育学部の体育学専修やスポーツ科学部などにおり体育の教師などに第二の人生を振れるようにはしているのです。問題は国民全体がスポーツというものをもっと触れる環境、楽しめる環境というものを作り上げられるかどうかという気がします。健全な国民の多くが親しめるスポーツクラブ、というようなものは作れないでしょうかねえ。こういうところのインストラクターや指導者というのが引退プロにとっては一番だからです。

こういう嫌な話を脇においておけばバレーボールの退潮はの理由明白だと思います。
かつて理論面や戦術面で我が国の持っていたアドバンテージが全て消えた、という一点でしょう。ここで体格勝負なんてことになれば本当に打つ手がありません。さらにラリーポイント制などというルール改悪が持久力勝負をしていた日本のバレボール界に止めになった気がします。

おそらく20年前に比べて身体強度が低くなったスポーツはバレーボールくらいじゃないでしょうか。ラグビーやサッカーの身体強度は昔と比較にならぬはずです。だから代表などはアジア相手には持久力勝負なんてこと平然とやりますよね。2点取られても3点とりゃいいなんてことが平然といえます。これがバレーボールには通用しません。ラグビーだって持久力勝負で負けなくなってから初めて安定してきました。

さて体格差を補う大型化ですが、実はラグビー界は大型化の中で選手の巧緻性というとんでもない資産を放棄してしまいました。1960年代には世界トップレベルだった、というよりオンリーワンとも言えた能力を失ってしまったのです。大型選手はそれなりの身体能力はありましたが、同時にかつて持っていたアドバンテージを失うことになったのです。

日本国は巧緻性、敏捷性をともに持つ大型アスリートの養成方法を知りません。選手の大型化はこれを失うということを意味しました。これが本当に要求されるポジションFW3列やセンターの養成が遅れてる真の原因です。かつての横井章から朽木兄弟に至るまでのバックスプレーの復活が次の鍵なのです。これが真のジャパンウェーなのだと思ってます。

日本のバレーボール界だって大型化はそれなり以上に進んでると思います。しかし問題は、大型で巧緻性敏捷性を兼ね備えたアスリートが中々育てられないという点にあるのだと思います。もちろんあそこまでとは言いませんがテニスのジョコビッチのような2m超えと同時にごく普通の体の選手のような巧緻性や敏捷性を発揮できること。これが必要になるんじゃなかろうかという気がします。

これは今後日本のあらゆるスポーツが直面する問題のはずです。冗談抜きに国家的レベルでの改善が必要な場面だと思ってます。これは体育だけではない子供の育て方や学校体育のあり方などまで含まねばならぬ広範な問題だと思います。


返信する

コメントを投稿