新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月2日 その3 kazk様へ

2016-06-02 16:26:45 | コラム
kazk様

早速のコメントに感謝申し上げます。反論も異論もありません。特に


<大学ラグビーの選手を何人も見知っていますが、連中だって馬鹿じゃあない、教育学部の体育学専修やスポーツ科学部などにおり体育の教師などに第二の人生を振れるようにはしているのです。問題は国民全体がスポーツというものをもっと触れる環境、楽しめる環境というものを作り上げられるかどうかという気がします。健全な国民の多くが親しめるスポーツクラブ、というようなものは作れないでしょうかねえ。こういうところのインストラクターや指導者というのが引退プロにとっては一番だからです。>

との指摘は重要だと思いました。私は42歳頃から思いがけずに勧誘された四十雀クラブでリクリエーションとしてのサッカーを楽しみました。そこには嘗ての関東大学一部リーグの花形だった者もいれば、サッカー未経験者もいれば、私のように高校までは命をかけたような練習と試合に明け暮れしていた者もいました。しかし、ただ単に無作為で集まった集団だったので、所謂クラブの組織でもなく、後進の育成などは考えてもいなかったお遊びでした。こういうものではなく、欧米では本当のクラブがあるのは、仰せのように「スポーツ」というものに対する国家的な視野で見ている組織も人もいないのが問題なのでしょう。

話は大きく変わりますが、我々が現役の頃には体が大きいのは結構だが「大男総身に知恵が回りかね」的なものが多く、使えなかったのですが、今では全国的に体位が著しく向上し、欧米の一流どころについて行ける者が増えてきました。現在はそこまでで止まっていて、未だに残る身体的ハンデイキャップを如何に補っていくかを試行錯誤している気がします。松平監督の頃のヴァレーボールの巧みさを、成長した身体とその能力で補う方法を未だに開発し切れていないのかと見ております。

サッカーなどは、往年の全日本代表だった旧制中学・高校の上級生たちは「往年の水準から見れば信じがたいほど向上し、上手くなっている」と認めておられました。と、ここまで書いてきましたが、今言えるのはこの程度です。

最後に一言思い出話をすれば、故人になってしまった野球の衆樹(慶応大学からプロ入り、高校の2期下でした)が新制高校第一期生で入学し、いきなり野球のエースになった練習振りを一目見た我がサッカー部の監督が我々3年生を集めて「お前らは何をやっていたのだ。あれほどの素材を野球部如きにむざむざと取られたのは何だ」と雷を落としました。衆樹は高校1年で慶応の合宿に参加して練習とはいえノーヒットノーランを達成。それでも、慶応に進んで投手には使われず、プロでも外野手。野球には未だに優れた素材が集まるというか偏重している気がします。


1 コメント

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Unknown (kazk)
2016-06-03 07:30:43
本題とはあまり関係ありませんが、衆樹とは衆樹 資宏のことですね。

小生見る方は殆どフットボールフリークですが、野球の記録を見るのがもう一つの趣味です。珍しい姓なので名前だけは知ってました。ただ小生が生まれて間もないころの選手です。かつては古いメンバー表で知っていた程度です。でも最近は記録サイトが充実してきましたのでいろいろなことが分かります。

例えばこれ
http://2689web.com/ind/1957079.html

日本のプロ野球記録を扱ったサイトでは出色のものです。こちらは彼の個人記録ですが、プロで一度だけ投手として投げた記録があります。投手事情もあったのでしょうが、あまり準備してなかったのでしょうか、記録は散々ですね。衆樹についてはこんなブログが有りました。ブログ主様の高校の同窓の方のようです。
http://chikuan.asablo.jp/blog/2005/08/22/51303

何やら見なけりゃあ良かった、というような感じかもしれませんが、これこそが日本のプロスポーツの古くていつまでもついてまわる新しい問題です。野球はそう生きませんが他のスポーツでは、かつては社会人リーグというものが元気でしたから引退後はそっちで、となったわけですが前のブログでも見た通りこれがそう簡単に行きません。

それはともかく

バレーボールについてはこういう意見もあります。1964年の東洋の魔女の話です。当時の日本チームはほとんどがニチボウ貝塚の選手であり、その弱点を埋める形で他チームから若干入れるという編成をとっていました。そして当時のチームの平均身長は169cm、参加国平均は171cmだったそうです。

その上でこちら

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n143396

どうやらプロのスポーツライターの方のようです。小生バレーボールは門外漢ですから論評のしようはありません。ただ、かつての成功と失敗の正当な評価は絶対に必要だと思ってます。まだやりようはあるのかもしれません。

話が戻るようですが当時の東洋の魔女は殆どがその後結婚されてます。当時の記録では佐藤総理が彼女たちの結婚の世話をしたなんて話もありましたよね。ある意味幸せな時代だったのかもしれません。
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