新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月23日 その3 「京都ではイスラエル人宿泊お断り」に訂正します

2024-06-23 14:54:48 | コラム
このような事態になるとまで予測できなかったのか:

マスコミ報道では「ガザにおけるイスラエル対ハマスの争いでは、ガザの無辜に市民を大量に殺傷するイスラエルが宜しくないのであり、パレスチナ人が気の毒である」となっていると感じている。有識者の中には「そのような報道の仕方は偏っているのでは」と指摘する人がいる。即ち、「今回の現象だけを捉えれば、最初にイスラエルに侵入して殺傷し、人質まで取って仕掛けたのはハマスである」という事だ。

嘗て、イラクのフセイン大統領がクエートと争った時に「悪いのは侵略しようとしたフセインであり、クエートは正義でありきの毒だ」と言うような理解と報道がまかり通っていた。その頃に、ある商社の我が社を担当していた部署の中に中近東の駐在経験者が2名いた。彼等に実情の解説を頼んだところ「世界史をまともに理解していれば、そう言う質問は出ないはず」と一蹴された。

食い下がって教えを請えば「彼等の争い事は2,000年前の事に根源があり、我らの聖地を取り返すまでは絶対に止めない。2,000年前に獲られたのであるから、2,000年かかっても取り戻すと言っている。終わる訳はない」と教えてくれた。また、「あの時の争いでも、先にイラクの土地を奪ったのはクエートであり、フセイン率いるイラクは元はと言えば自国の領土だった土地を取り返しに行っただけ」であると言われた。

この解説が正しいかどうかを私は論じているのではない。海外で起きている出来事を如何なる立ち位置で、如何なる確度から見るか、如何なる事前の情報の確認が出来ているか次第で「一つでしかない出来事」の報道が、色々な形に分かれてしまうのではないのかと言いたいのだ。今回のガザの報道のように「パレスチナ人が気の毒」と繰り返し報じられれば、現地に行ける訳ではない京都の人が「イスラエルが怪しからん」となってしまうのではないのか。

報道するマスコミにしても、2,000年の歴史を知らないはずもないし、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教があの地帯でどのように絡み合ってきたかを承知していなければおかしいのだ。一方的にパレスチナ側とハマスの報道を根拠にしていて良いかという事ではないのか。イスラエルには駐在の記者を送り込んでいないのか。ネタニヤフ首相の悪口ばかりで良いのだろうか。

京都の「イスラエル人の宿泊お断り」はマスコミ報道の影響を受けて、起きるべくして起きた事案ではないのかな。

6月23日 その2 イスラエル人宿泊お断り

2024-06-23 14:43:48 | コラム
このような事態になるとまで予測できなかったのか:

マスコミ報道では「ガザにおけるイスラエル対ハマスの争いでは、ガザの無辜に市民を大量に殺傷するイスラエルが宜しくないのであり、パレスチナ人が気の毒である」となっていると感じている。有識者の中には「そのような報道の仕方は偏っているのでは」と指摘する人がいる。即ち、「今回の現象だけを捉えれば、最初にイスラエルに侵入して殺傷し、人質まで取って仕掛けたのはハマスである」という事だ。

嘗て、イラクのフセイン大統領がクエートと争った時に「悪いのは侵略しようとしたフセインであり、クエートは正義でありきの毒だ」と言うような理解と報道がまかり通っていた。その頃に、ある商社の我が社を担当していた部署の中に中近東の駐在経験者が2名いた。彼等に実情の解説を頼んだところ「世界史をまともに理解していれば、そう言う質問は出ないはず」と一蹴された。

食い下がって教えを請えば「彼等の争い事は2,000年前の事に根源があり、我らの聖地を取り返すまでは絶対に止めない。2,000年前に獲られたのであるから、2,000年かかっても取り戻すと言っている。終わる訳はない」と教えてくれた。また、「あの時の争いでも、先にイラクの土地を奪ったのはクエートであり、フセイン率いるイラクは元はと言えば自国の領土だった土地を取り返しに行っただけ」であると言われた。

この解説が正しいかどうかを私は論じているのではない。海外で起きている出来事を如何なる立ち位置で、如何なる確度から見るか、如何なる事前の情報の確認が出来ているか次第で「一つでしかない出来事」の報道が、色々な形に分かれてしまうのではないのかと言いたいのだ。今回のガザの報道のように「パレスチナ人が気の毒」と繰り返し報じられれば、現地に行ける訳ではない京都の人が「イスラエルが怪しからん」となってしまうのではないのか。

報道するマスコミにしても、2,000年の歴史を知らないはずもないし、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教があの地帯でどのように絡み合ってきたかを承知していなければおかしいのだ。一方的にパレスチナ側とハマスの報道を根拠にしていて良いかという事ではないのか。イスラエルには駐在の記者を送り込んでいないのか。ネタニヤフ首相の悪口ばかりで良いのだろうか。

京都の「イスラエル人の宿泊お断り」はマスコミ報道の影響を受けて、起きるべくして起きた事案ではないのかな。

英語の教え方、学び方

2024-06-23 08:20:52 | コラム
どのようにするのが最も効果的か:

このところ、英語またはEnglishの話題を続けたので、今回は少し話題を変えて同じ英語関連でも「教え方」と「学び方」を取り上げていこうと思う。私は教え方としては「会話」などを含めてnative speakerに依存することは推奨していないので、この辺りから入って行こう。

“native speakerを排除する理由:
4~5年程前にこういう事があった。それは、我が家の近所で若いアメリカ人と思われる男女が道に迷っている様子だった。滅多にしないことだが“Any problem?“と声をかけてみた。彼等はこれから滞在するアパートへの道が解らなかったそうだ。直ぐ解るところだった。そこで余計なことだが、と断って「何の目的で日本に来たのか」と突っ込んでみた。

彼等は誇らしげであり嬉しそうでもある顔付きで「会話学校で英語を教えに来た」と言った。「来たな」と思って「貴方たちは大学乃至は然るべき機関で外国人に自国語を教える資格を取ってきたのか」と尋ねた。矢張り「ノー」だった。そこで、さらに「貴方たちは日本の学校教育でどのように英語を教えているか調べてきたか」と追い打ちをかけると、これも「ノー」だった。無責任極まりない。

良く考えなくても解ることで、「ハーバードやプリンストンやスタンフォードでMBAを取ったような精鋭が、我が国までAETになって働こうと思うか」なのではないか。来る訳がない。

そこで、「貴方たちが企てていることは非常に宜しくない。何らの予備知識も教職の経験も無しに、どうやって日本人に英語と会話を教えようとするのか。私は貴方たちにこのまま成田に戻って、アメリカに帰ることをお勧めする」と極端な表現で言って聞かせた。最初は少し抵抗していたが、暫くすると私が言っていることの意味が解ってきたようだった。だが、帰るとは言わずに、そのまま目的地に向かって行った。

これだけ話し合っていれば、彼等の出自も見えてくるし、言葉遣いで程度も見えてくる。可もなく不可もないようで、何処かの訛りもない英語を話していたので、放置することにした。ここで指摘しておきたいことは訛りの問題もあるが、どのような階層から来ているのかが肝要であると思う。

という事は、native speakerを採用するに当たっては、雇用する側に「その外国人の英語の程度というか品位等を判定できるのか」が重要なのである。解りやすく言えば「トランプ大統領を熱烈に支持するような階層の出身者は避けた方が無難だという事」なのである。偏見と言われる危険性が残るが、私は“Good day, mate.”を「グッダイ・マイト」と発音する人は避けるのが良いのではないかと思うのだ。

英語の品格:
これまでに何度も取り上げたことがある。それは上智大学の千葉勉教授が厳しく言われた「文法を間違える、書く時に綴りを誤ると無教養であると軽蔑されることがあるから厳重に注意せよ」という点を、あらためて取り上げておく。社内の報告書などであれば、監督する者が直してくれることがあるが、会話の中ではそうはいかないのだし、相手が「貴方、文法が間違えていますよ」と知らせてくれることもない。

要するに、私が常に取り上げている「アメリカの支配階層」に属する人たちの中に入れば、この点は厳重に注意しておかなければならないし、会話の中で“you know“を挟むようなことをしてはならないし、swearwordを使うなどは論外である。人によっては“Me, too.”などを使うと蔑まれる危険性さえ生じる。千葉教授は連結音(liaison)とr-linkingにも気を配れと指摘された。だが、我が国の学校教育では、ここまでの厳しさは教えていないだろう。

“native speaker“たちは我々が何に悩むのかは解らない:
彼等にとってごく日常的で当たり前の表現でも、我々外国人にとって「何故、その場合にそういう言葉を使って表現できるのか」と困惑させられる慣用句や口語体は当たり前のように出てくる。そういう言い方の全部でなければ殆どは(“almost, if not all”)教科書には載っていないようだ。例えば、慣用句では“piece of cake”とは「朝飯前」であり、“It’s all Greek to me.”は「ちんぷんかんぷん」であり、“take a rain check”は「次の機会には応じます」となるのだ。

ここまでひねくれていなくても、私は初めてアメリカに着いた日に、“I’ll buy you a drink.“と言われて「一杯おごるよ」だとは知らずに困惑した。初めてチェックインしたホテルのreceptionで“Are you with Mead?”と尋ねられて、瞬間には理解できなかった。“What’s new today?”が挨拶だと知らなかった頃には、懸命に新しい出来事を説明して彼等を惑わしたものだった。彼等は日本の学校教育ではここまでのことは教えていないとは思っていないのだ。

私が推奨する勉強法:
「私が推薦する勉強法」は「音読・暗記・暗唱」の繰り返しである。教科書を意味が解るようになるまで何度でも声を出して、恥ずかしがらずに大きな声を出すことなのだ。自分の声でも耳に入っていけば記憶されると解ってほしい。「読書百遍意自ずから通ずる」と昔から言われているではないか。正しく覚えておけば、暗唱しても日常的にも間違ったことは口からは出なくなるのである。この方法で成功したのが私だけではないから推薦するのだ。

単語の意味だけを覚えてはならない。だが、その単語を使った例文は覚えておくようにする。また、少し極端な議論に聞こえるかもしれないが、「文法」の勉強は「音読・暗記・暗唱」が滑らかに出来るようになってからで充分なのだ。理由は簡単で「英語とは、先に文法を作ってから言葉を当て嵌めたものではない」のだから、耳から文章を入れ、暗唱できるようになってからで学校の試験でもTOEICにも間に合うのだ。

単語の意味だけを覚えて例文を知っておかないと「会話」の能力など備わっては来ない。例えば“main“という単語は形容詞では「主に」という意味であり「必ず名詞の前に使う」という点を覚えていないから「当店では蕎麦をメインにしております」などというカタカナ語にしてしまう。この「メイン」は名詞扱いだ。だが、名詞としてのmainは「ガスや水道の本管」という意味しかない。この辺りがカタカナ語化して犯した誤りだ。

英文解釈、英作文、文法、単語の知識等々は勿論試験対策としては重要である。だが、事実用性となると、バラバラに覚えてあっても効果を発揮しない恨みがある。私は「音読・暗記・暗唱」の指導法で中学生から社会人まで育てた実績があるし、自分自身でアメリカ人の中で22年以上も仕事が出来ていた。信じるか信じないかは、私は関知しない。ここまででは説明不足だと言われれば、次回に補足します。