時代とは何かを変えていくものなのか:
私は「時代が進歩し発展すると現在のように方々で大手企業が多額の投資をして都市等を再開発する効用が何処にあるのだろうか」と疑問に思う事がある。
昨19日は縁あって藤沢市鵠沼の懐かしき母校である湘南学園を訪問した。但し、私が昭和20年に卒業したのは小学校の部で、現在のように華麗に設備が整った校舎を擁する幼稚園から立派な高校にまで発展した学園ではなかったが。
それはそれとして、往路は新宿から小田急線、復路は藤沢からJRの湘南新宿ラインを利用した。小田急は通い慣れたる道であるので確たる変化は感じられなかったが、復路は変化に富んでいて「果たして無事に新宿駅で降ろして貰えるのか」と不安に感じた瞬間もあった程、再開発に驚かされていた。という事は、単に老化して出不精になっただけかとも痛感したという事。
「アレッ」と思ったのは帰路の出来事。横浜駅を出るや車内のディジタルの掲示に「次は武蔵小杉」と出たのだった。「まさか藤沢から東横線に乗った訳ではあるまい」と不安になった。しかも、到着した武蔵小杉駅の周辺を無数の高層アパートが取り囲んでいて本当に谷底に沈んでしまったかのよう。「これは東横線の武蔵小杉駅とは何かが違うな。これは何処か」とまた不安にさせられた。(この点は昨夜二男から「貨物線を走っているだけ」と教えられて解決済み)
それでも、順調に大崎、恵比寿、渋谷と通過して新宿駅の1番線に到着。ここから山手線外回りの15番線までにはしこたま歩かせられるとは承知してエスカレーターを上がると、そこはどうやら南口の感なのだった。だが、見えてきた景色は成城石井を始めとする商店街だった。また「何か間違えたのか」と疑心暗鬼にとらわれた。何とか15番線を探すと、最も遠いところにあると判明した。
ところが再開発の無情な所は、内回りのプラットフォームに降りるにはエスカレーターがあっても、外回りは長い階段だけしかなかった。仕方なくおっかなびっくり、一段毎に足を踏みしめて降りていった。疲れた。我が家の新大久保駅から内回りを降りた後に小田急百貨店の改築でスッカリ不便になって、地下のJRの改札口から地上に出る為に階段しか残されなかった再開発を恨んでいれば、南口でもこの無情さだった。
渋谷駅内部とその周辺の再開発の凄まじさなどは、最早諦めるしかないので、久しくあの駅を利用してこなかった。だが、3月にYM氏と彼のアパートの前で落ち合う約束をした時には「えいやっ」とばかりに渋谷で降りて循環バス・トランセの乗り場を探した。改札口から出て見えるところにはあったが、諸々の障害物と信号に遮られて到着するのに10分もかかったかのような気がする不便さだった。“This is再開発.“かと、そのメリット(カタカナ語だ)が解った。
10年以上も前のことになったが、横浜駅の東口で高校の旧友と待ち合わせした時には意気揚々と湘南電車から降りて、階段を下った先の通路では上に見えるはずの東横線の駅がなくなっていたし、どの方角に行けば東口かも解らず途方に暮れた。そこで改札口まで行って係員に尋ねて何とか東口の待ち合わせの時計の前に辿り着いた経験があった。
5年程前になったか、小田急線の中央林間駅で降りて、その僅かの変貌振りでも方向が全く解らずに改札口まで戻って、駅員に目的地を告げて道案内をして貰って弟が入院している病院まで何とか辿り着いたこともあった。鉄道会社に言わせれば、一々事細かに日本全体に「再開発しますからご用心をと触れ回る必要があるか」と反論するかもしれないが、30年前の感覚では都内はおろか近県でも「今浦島」状態を強いられてしまう。
昨日などは帰宅して万歩計を見れば6,000歩を超える運動になっていた。時代は高齢者を取り残す再開発を進め、河野太郎大臣はマイナンバーカードの健康保険証化を強硬に(意地悪く?)推進して我々を悩ます気らしい。やれやれ。