新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月2日 その2 「間違いだらけの老化の常識」に訂正します

2024-06-02 10:55:24 | コラム
そこには個体差も個人差もあるのでは:

President誌の24年6月14日号の特集は「間違いだらけの老化の常識」だった。筆者は精神科医の和田秀樹氏。当然のことで、当方には大いに関係するだろうし、関心もある。良く読んでみた。読み進む程に疑問に感じる点が出てきた。その点を幾つか挙げてみよう。

和田医師が「間違い2」と指摘された「コレステロール値」は、将に私が72歳の2006年1月の心筋梗塞発症後から、主治医が常に注視しておられる検査項目。特にLDLは少し上がって以来対処する薬が処方されてきた。和田医師は「コレステロール値を下げた方が良いというのは世界のコンセンサス」と述べておられる。しかし、下げたまま安定させている私は、あれ以来3度目の発症があっても生存している。個体差と個人差の問題では。

「間違い2」は、私とは直接の関係はないが「高齢者は免許返納すべき」である。88歳と87歳の古くからの友人たちは何ごともなく乗り続けている。特に後者とは去る3月に彼の運転で渋谷区から山梨県北杜市の八ヶ岳の中腹というか高度1,200mの所を往復してきた。彼は高齢者の免許再交付テストの試験は殆ど100点だったそうで、「駄目だと自覚すれば直ぐに返すが、当面問題はない」と言うし、私は全く危うさを感じなかった。

「間違い4」は「長生きの為のダイエット」-「痩せている方が健康は大間違いだ」である。2006年1月の1度目の発症の頃は60kg超の体重だった。単純に「これは不味いのだろう」と自覚して、何とか減量して50kgそこそこまで落とした。91歳の現時点では55kg±2kg程度で30歳頃の体重。良く解らないが、落とした方が良かったのだという気がする。

「間違い5」は「減塩・無縁の食事が健康的だ」-「減塩運動は時代遅れな考え方」とされている。私は2014年の3度目の発症、その直後の心不全の入院の後は、病院の管理栄養士の指導の下に1日の塩の摂取量6grmを厳守する食生活に入った。「生きていこう」と夢中だったのでどれ程続けたのかの記憶は不鮮明だったが、半年以上は続けただろう。結果として生存している。これも個体差と個人差の問題か。

「間違い6」は「お酒を飲んではいけない」であるが、これは言われる通りだと思う。当方は「アルコール飲料は体に合っていない」ようで、大学在学中のアルバイト先で付き合わされた時には、翌朝になって気が付けばその社員の家だった。入院中に採血や注射の前のアルコール消毒でもかぶれるので、カルテには「アルコール禁止」となっているようだ。

在職中もあらゆる場で飲酒を避けてきたし、アメリカ人たちは飲めないと知ってからは絶対に勧めなかった。だが、25年程前のことで、業界人との付き合いでビールをコップに1/4程飲んで失神した。感覚としては飲めない/飲まないことは煙草を吸ったことがないのと同様に体には良いようだ。

「間違い10」は「大病院であれば安全」だが、私は第1回目に家で倒れた際に救急車が国立国際医療研究センター病院(NCGM)と言う、我が国有数の大病院に搬送して頂けたことが今日まで生き長らえさせて頂けた最大の要因だと思っている。それ以外にも須田外科クリニックの須田先生父子に30年以上も診て頂いていることが大きい要素だと信じて感謝している。

私如きが和田医師を批判する気など毛頭ないが、和田先生が掲げられた項目は正しいのだと思うが、そこには個体差も個人差もあるという事ではないのかと思っている。NCGMの主治医である循環器内科医長の原先生は「ストイックな生活の姿勢を維持することが重要である」と言われる。NCGMの看護師さんに「コーヒーは一日に一杯を限度に」と指示されて守っているし、それもdecaf(カフェインレスのこと)に限定して。

それは「コーヒーに含まれているカフェインには血管を収縮させる作用があるので、血圧上昇の原因になるから」と教えられたからだ。

6月2日 その2 間違いだけの「老化の常識」

2024-06-02 10:50:14 | コラム
そこには個体差も個人差もあるのでは:

President誌の24年6月14日号の特集は「間違いだらけの老化の常識」だった。筆者は精神科医の和田秀樹氏。当然のことで、当方には大いに関係するだろうし、関心もある。良く読んでみた。読み進む程に疑問に感じる点が出てきた。その点を幾つか挙げてみよう。

和田医師が「間違い2」と指摘された「コレステロール値」は、将に私が72歳の2006年1月の心筋梗塞発症後から、主治医が常に注視しておられる検査項目。特にLDLは少し上がって以来対処する薬が処方されてきた。和田医師は「コレステロール値を下げた方が良いというのは世界のコンセンサス」と述べておられる。しかし、下げたまま安定させている私は、あれ以来3度目の発症があっても生存している。個体差と個人差の問題では。

「間違い2」は、私とは直接の関係はないが「高齢者は免許返納すべき」である。88歳と87歳の古くからの友人たちは何ごともなく乗り続けている。特に後者とは去る3月に彼の運転で渋谷区から山梨県北杜市の八ヶ岳の中腹というか高度1,200mの所を往復してきた。彼は高齢者の免許再交付テストの試験は殆ど100点だったそうで、「駄目だと自覚すれば直ぐに返すが、当面問題はない」と言うし、私は全く危うさを感じなかった。

「間違い4」は「長生きの為のダイエット」-「痩せている方が健康は大間違いだ」である。2006年1月の1度目の発症の頃は60kg超の体重だった。単純に「これは不味いのだろう」と自覚して、何とか減量して50kgそこそこまで落とした。91歳の現時点では55kg±2kg程度で30歳頃の体重。良く解らないが、落とした方が良かったのだという気がする。

「間違い5」は「減塩・無縁の食事が健康的だ」-「減塩運動は時代遅れな考え方」とされている。私は2014年の3度目の発症、その直後の心不全の入院の後は、病院の管理栄養士の指導の下に1日の塩の摂取量6grmを厳守する食生活に入った。「生きていこう」と夢中だったのでどれ程続けたのかの記憶は不鮮明だったが、半年以上は続けただろう。結果として生存している。これも個体差と個人差の問題か。

「間違い6」は「お酒を飲んではいけない」であるが、これは言われる通りだと思う。当方は「アルコール飲料は体に合っていない」ようで、大学在学中のアルバイト先で付き合わされた時には、翌朝になって気が付けばその社員の家だった。入院中に採血や注射の前のアルコール消毒でもかぶれるので、カルテには「アルコール禁止」となっているようだ。

在職中もあらゆる場で飲酒を避けてきたし、アメリカ人たちは飲めないと知ってからは絶対に勧めなかった。だが、25年程前のことで、業界人との付き合いでビールをコップに1/4程飲んで失神した。感覚としては飲めない/飲まないことは煙草を吸ったことがないのと同様に体には良いようだ。

「間違い10」は「大病院であれば安全」だが、私は第1回目に家で倒れた際に救急車が国立国際医療研究センター病院(NCGM)と言う、我が国有数の大病院に搬送して頂けたことが今日まで生き長らえさせて頂けた最大の要因だと思っている。それ以外にも須田外科クリニックの須田先生父子に30年以上も診て頂いていることが大きい要素だと信じて感謝している。

私如きが和田医師を批判する気など毛頭ないが、和田先生が掲げられた項目は正しいのだと思うが、そこには個体差も個人差もあるという事ではないのかと思っている。NCGMの主治医である循環器内科医長の原先生は「ストイックな生活の姿勢を維持することが重要である」と言われる。NCGMの看護師さんに「コーヒーは一日に一杯を限度に」と指示されて守っているし、それもdecaf(カフェインレスのこと)に限定して。

それは「コーヒーに含まれているカフェインには血管を収縮させる作用があるので、血圧上昇の原因になるから」と教えられたからだ。

過剰報道ではないのか

2024-06-02 06:52:07 | コラム
ムーキーベッツは「国民の休日にしたら」と言うのだった:

私は各テレビ局が挙って早朝から「前日に大谷翔平がどうしていたか」と報道するのは「自民党が政治資金改正法の修正案を出さずにいる」という古いと言われそうな表現をすれば「うざったい」ニュースよりは増しだと思っている。

だが、一方では「大谷が散髪してすっきりした」とまで事細かに流すのは、いくら何でも過剰だと思っている。Dodgersの監督や選手たちがその過熱ぶりをどのように見ているのかなとも考えていた。

すると、今朝程はテレ朝でベッツ内野手とグラスナウ投手を対談させていた。グラスナウが「大谷が投手として復帰する日が楽しみだ」と言えば、ベッツは笑いながら「その日は国民の休日にでもしたら良いだろう」と言ってのけた。聞き捨てならないと思った。これをどのように受け止めるかだが、私には「ベッツは大谷の賞賛だけではなく、過剰報道を皮肉っているし、多少のやっかみも入っている」かのように聞こえた。

何れにせよ、単なる冗談であり、アメリカ人独特のユーモアだと善意で解釈して軽く受け流しても良いかもしれない。私は「報道陣が熱心に大谷翔平の活躍を流してくれるのは良い」としても「ニューヨークに目を転じれば、ジャッジは既に19本も打っていたこと」も流すのが公平な姿勢だろうと思っている。私は何度も指摘したことは「マスコミの過剰報道が当人に届いて慢心してしまうか否かではなく、良い結果にならない事が多い」と。