新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

四方山話を

2024-06-06 07:53:16 | コラム
続・徒然なるままに:

値上げしたいのだが:
何処かの局で、人気のカレー店の社長さんが「ジャガイモ、スパイス類、米、光熱費等々の上昇で最早採算が取れないところまで来た。でも値上げをすれば・・・」と苦境を訴えていた。いきなり本筋から離れるが、私は「ジャガイモとは異な事を承る」と思った。それは「カレーに切ったままのジャガイモや人参を入れるのは邪道だ」と看做しているからで、ここでは恐らく「摺り下ろして入れているのだろう」と解釈することにした。

社長さんは「米などは60kg単位で買い付けているが、入荷する度に1,000円単位で値上がりする」と原価上昇の現状を語っていた。そこに農業分野の専門家の解説が入り「お米は昨年の猛暑で減産になった上に、増加したインバウンド客たちが米食に向かわれたので需要が増加したので値上がりした」と知らされた。この「値上げしたくても、値上げすれば・・・」と悩む、我が国の末端における悩みがあると示しているのだった。

値上げをしてみれば:
そういう情報を頭の何処か片隅に残して、昨日今月になって初めて贔屓にしている新大久保駅前の「回らない」を売りにしている「回転寿司店」に入って見た。何時もは白人も含めてかなりの数のインバウンド様と若者たちで賑わっている店内がシーンとしていた。「さて」とばかりにタブレットで注文を開始してみれば、先月までの基本的な値段の¥120が¥150と25%の値上がりで、既に格差が付いていた鮪と鮭等は30%強も上昇したと知った。

家内と「なるほど。空いている訳だったね」と納得した。60以上もあるテーブル席などは閑散としていて、我々を含めて2~3組はいただろうか。カレー屋さんの社長さんが怖れていたことがこれで、思い切って値上げをすればこうなってしまうことを示していた。もしかすると、この状態は一朝一夕には解消出来ないのかもしれない。円安は止まるところがないし、電気代も政府の補助はなくなるのだから。

嘗て、藤沢に住んでいた頃に隣組(今時こんな言葉を知っている人がどれ程いるだろうか)にアパレル業を自営で営んでいる方がおられた。その社長さんが使われた過当競争を表す言葉が「オーバーストア状態」だった。思うにカレーのチェーン店も回転寿司業界も「オーバーレストラン状態」の悩みを抱えているのだろうし、原価上昇を防ぐ手段もない苦境に立っているのだと良く解った。

お客等による迷惑行為:
今朝程、TBSのニュースだったかで「お客等による迷惑行為、即ちカスハラ」という報じ方をしていた。思わず笑ってしまった。「お客等による迷惑行為」を、「ハラスメント」という見当違いのカタカナ語を遣いたいが為に、無理矢理に「カスタマーハラスメント」をでっち上げただけで満足せずに、正統な日本語である「お客等による迷惑行為」の代替として報道に使うのだ。

私は「カタカナ語粗製濫造業者ども良く聞け。何でもかんでもハラスメントを使って意味不明にすることこそがハラスメントなのである」と言いたいのだ。彼等の行為は日本語の冒涜以外の何物でもないのである。

新札が発行になる:
7月に迫ったそうだ。各方面から嘆き節が聞こえてくる。それは「自動販売機」や「券売機」や「両替機」等々には新札に対応出来ない旧式な機械が多く、ファストフード点等の小売業などでは「新札対応の新型機に入れ替えるか、既存の機器を対応するように変更するコストを掛けるか」の選択を迫れているのだそうだ。問題は「そのコストを負担出来なくなる事」だそうだ。原材料や光熱費等の原価上昇に、券売機までもという嘆きである。

こんな事は新券が発行されると事前に公表されていたのだから、対策が講じられていたのではないかなどとは言えないだろう。何も円安だけが原因ではない物価上昇による原価の高騰、実質賃金が25ヶ月も続いて目減りしてきた状態では、勤め人たちの可処分所得も減り続けて、昼飯代を500円見当に収めようとやりくりしているそうだから。カレー屋さんが値上げを躊躇する訳だ。

岸田さんはここまでの下情を把握しておられるのだろうか。例えば、毎日のように利用するバスには未だに「新500円硬貨は扱えません」との張り紙が残っているようなことを。

ストレスが貯まって:
昨日、ジムの帰りに同じエレベーターに乗り合わせた眼帯をかけたご婦人が知り合いの方に「何故か眼球に傷が付いてプールにもお風呂にも入れないのだが、シャワーは宜しいとお医者様に言われたのでやってきた。でもストレスが貯まって」と嘆いておられた。相手の方も「それじゃー、ストレスよね」と同情の相槌。「あーあ」という思いだった。貯まったのはフラストレーションなのだから。

「それってフラストレーションですよ。ストレスとは違うんですよ」と教えてあげたくなった。テレビ局も、登場するタレントとか言う無知蒙昧な輩が取り違えて言いふらすので、確りストレスが普及してしまった。英語の解説をするまでもなく、広辞苑に載っている「ストレス」は「外部刺激が負担として働くとき、心身に生じる機能変化。要素は寒暑、騒音、化学物質など物理的変化。飢餓・過労・睡眠不足等々」とある。ここまでで間違いであるのは明らか。

「フラストレーション」は「(心)欲求の満足が阻止されている状態。特にそれによって情動的緊張が高まる場合を言う。欲求不満、欲求阻止」とある。カタカナ語製造業者とテレビ局はこのような言葉の誤用と、何でもカタカナ語にすれば知的に見えるかという誤認識を普及させたのである。だから、「カタカナ語を製造する前に英和辞典くらい引いてみろ」と責めるのだ。