新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私がアメリカを語れば

2023-01-24 08:22:37 | コラム
インサイダーの一人だった私がアメリカを語る:

私は少なくとも22年間もインサイダー(insiderで、ジーニアス英和には「内情に明るい人、消息通」とあるが、そんな程度ではないと自負している)としてアメリカの会社に勤務してきたし、上はCEOから労働組合の幹部たちともマスコミが言う「ファーストネームで呼び合う間柄」になっていた。大体からして本部の機構に所属する者が、合同組合員と接触することそのものが例外的な国なのだ。管理職たちの家庭にも普通のことのように入っていったし、奥方や子供さんたちとも交流していた、英語でね。そこで、彼らの礼儀作法にも、言葉遣いにも、習慣にも、仕来りにも触れることができていた。

ここで何が言いたいのかと言えば「私が長い間身を置いてきたアメリカのビジネスの世界と、彼らの家庭を通して見たり聞いたりして体験してきたアメリカを語れば、インサイダーではない著名なジャーナリストや学者や専門家が語られるアメリカとは、自ずと違ってくるのだ」なのである。更に言いたいことは「インサイダーが語る経験を通じて知ったアメリカ論も『なるほど、そういう国を語っているのか』という捉え方をして頂きたい」と願っているのだ。

因みに、Oxfordはinsiderを“a person who knows a lot about a group or an organization, because they are part of it“と定義していて、私のような存在を良く説明出来ていると思う。“part of it”は私が常に言ってきた「彼らの一員として」の意味を余すところなく説明してくれていると考えている。

その「彼らの一員だった私」が見たアメリカの一面をここにあらためて取り上げて論じてみようと思う。これは2014年12月に発表したものを基にしている。私がここで強調したいことは「インサイダーでなければ見えてこなかっただろうアメリカ」を語っている点だ。

100人に1人か1,000人に1人か/どれが本当のアメリカか:

これは今日までに何度か述べてきた「アメリカ人の中に極めて優秀な者がどれだけいるか」との議論を、1990年代に偶々帰路のNorthwest航空(今やDeltaに吸収されてしまったが)の機内で隣り合わせになった我が国の財閥系エンジニアリング会社のアメリカ支店長さん(東大の工学部出身だった)と交わした議論の内容を振り返ってみようという事。実は、私は腹蔵なき極論だとして「アメリカ人には1000人に1人くらいしか本当に優秀と認めて良い者がいないと感じさせられている世界」と発言していた。

支店長さんの意見は「優秀な者が少ないとの説には同感。だが、いくら何でも0.1%は極論である。私は100人に1人が妥当なところだと考えている」とヤンワリと否定された。それから暫くの間、0.1%対1.0%を巡って意見交換を続けた。辿り着いた結論は1%説に落ち着いたのだった。私はこの支店長さんの幅広いアメリカ観と認識には感心させられるだけではなく、大いに勉強させて頂いたのだった。

さて、議論が終わった後の雑談で、私は迂闊にもアメリカ国内における空港やホテルでのチェックイン、規模の大小を問わず小売店での客への応対の杜撰さと遅さ等を非難した。要するに、我が国でごく普通に当たり前のように経験出来る素早さもなく、暗算も出来ず、兎に角時間ばかりが無駄に流れてしまうのが、生来せっかちな私には腹立たしいので、その辺りを批判しまったのだ。

 すると、支店長さんが笑って言った「それは自己矛盾でしょう。貴方はほんの少し前に0.1%を捨てて1.0%を受け入れたばかり。即ち、アメリカの街中では極めて優秀な者に出会える確率が1.0%だと認めたのです。即ち、我が国並みの優れた人に出会える可能性は1%と極めて低いのでしょう。即ち、貴方は99%の者に出会っているだけでは」と。誠にご尤もで、恥じ入ってしまった。

問題点は「アメリカという国では粗方の組織で実務の現場に立っている者たちはその99%に属している者たちであり、その中でも優劣の差があるので困るのだ」なのだ。社内でも、99%の中の上位に入る人たちに会えて、共に仕事が出来る可能性もまた高くないのである。短気な私などは何度もそういう人たちを真っ向から叱りつけていた.フラストレーションが溜まるので。それがアメリカの実態の一部だ。

何で上記のような自分の失敗談を持ち出したかと言えば、多くの我が同胞がアメリカを単独ででもパック旅行ででも歩かれた場合に、本当に優れた能力者や実力者に出会えて、意志を通じ合える確率は、どんなに幸運にも恵まれても精々1%しかないだからだ。そこで私が接触して分析した「多くの階層」中で、アメリカ総人口の精々5%しかないだろう「アッパーミドル以上の白人で、MBAかPh.D.のような高学歴で、政治やビジネスの世界の中枢にいる人たちがどれほど少ないか」を思えば、その人たちと出会える確率などは天文学的数字並みに低いと考えてみたらどうだろう。

 私が言いたいことは「我が国で多くの方がアメリカだと思って見ておられる、承知しておられる、知らされている、映像で見ている、本で読んでいる、自分で行って感じてきたアメリカは、もしかすると99%の部類というか4年制大学出身者かそれ以下の低い範疇に入る学歴の人の層、労働組合員等の層、少数民族等の層の人たちに接して、彼らの振る舞いと文化を、『これぞアメリカ』と受け止めて、理解し、認識していたのではないのか」なのだ。

断言するが、5%もいるかいないかと私が言う「政治・経済・行政を支配する階層の人々」に会えて、胸襟を開いて服属意見を交換出来る確率もまた極めて低いのである。即ち、99%を知ってそれをアメリカと認識するか、5%に接して「矢張り、アメリカは凄いな」と思うかという問題なのだ。5%の人たちの世界に入ると“Me, too.“という表現を使っただけでも「無教養」と爪弾きされかねないのだと新聞社の駐在員が経験したのだろうか。

そこには「自由で平等で、差別はあっても努力しさえすれば恵まれた生活を楽しめる立場や地位を確保出来そうな理想というか、一種の希望と夢が実現出来る余地が残っているかも知れない国」という想像か幻影が、もしかすると現実だろうと思い込んでおられる方がいるのではないのか」と思う。私はそのような思い込みを全面的に誤りだとまでは言わないが、アメリカはそのような“land of dream“ではないと自信を以て言える。

だが、更に言えば、貴方が今からアメリカに成功を目指して出て行かれるか、またはそういう目的ではなくアメリカを楽しもうと期待して出掛けて行っても、貴方が思い描いた形が出来たとしても、支配階層か上流の知識階級に入れるか、あるいは財を為せるかなどは極めて難しいのであると、予め十分に考えておく必要があると思う。簡単に言えば「必用な要素は英語力だけではなく、マスターかそれ以上の学歴なのだ」という事。アメリカでは今や一流の私立大学では授業料だけで7万ドルという大学まであるのだ。¥130で換算すれば幾らになるのかだ。

私は何とか努力してアッパーミドル以上の階層に定着できて、彼らの仲間入りすることが不可能だとまでは言えないし、言う権利もないだろう。だが、そこで彼等の中で対等以上に渡り合い付き合い、尚且つ生き残るのは容易ならざる努力が必要だと承知しておくべきだと思う。

私はこれから先に我が同胞がアメリカに外国人として入っていくか、乃至は入ってしまうときに、どのような層に入って行けるのかを十分に事前に検討しておく必要があると思う。今やチャンとした会社組織内に入って生存競争に勝って幹部にまで生き残る為には、一流の私立大学のMBAが最低条件となっていると聞いている。かの国では、如何なることで差別される危険性があるかなどは、実際にその場に立ってみなければ解らないことだ。現に私は何度か「アメリカの会社があのようなものだと予め承知していたら、39歳にもなってから転進しなかっただろう」と述べていた。

また、芸能・スポーツ・映画・演劇・音楽の世界で成功して引退後にカリフォルニア州でプール付きの豪邸で悠々自適の元野球選手もいたとは聞いた。だが、その人物は我が国の1億2,600万人中の何%かを考えねばなるまい。あの層の中で競争に勝って生き残る大変さを考えずに「上手く行くこと」か「何となるだろう、アメリカに行けば」的な安易なというか、希望的観測だけで乗り込んでいくべき世界ではないと私は経験からも断言出来る。

 先ずは自分が知らされていた、承知していたアメリカとは一体どの階層の人のことだったかを知る必要があるのだ。オバマ大統領がアフリカ系でありながら大統領になれたことを以て、差別は消えて自由な国だと立証されたと思うのは早計だし純情過ぎる。

 私の結論は、「自分の知識からと、ジャーナリストや有識者の意見とマスコミ報道をも含めて判断して、外国を『こんなものだろう』などと簡単に決めつけて考えることは、宜しくないし、危険ではないのか」である。