新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

矢張り相撲は面白かった

2023-01-23 08:25:58 | コラム
貴景勝の微妙な優勝に思ったこと:

深読みというか「裏」を読みたがる私にとっては、昨日に千秋楽を迎えた相撲は、それなりに「面白かった」と思わせて貰えた。私は「相撲とはスポーツではなく興行だ」と決めつけているが、その根拠の一つに「千秋楽」という言葉を使っていることを挙げたい。それは、広辞苑には「千秋楽とは演能の最後に日に千秋楽(終わりにある文句)を謡ったことからとも言う」演劇・相撲などの興行の最後の日」とある事も示しているともう。柔道の大会で決勝戦の日を千秋楽とは言っていない。

先場所で私が最も興味深く見ていたことは「相撲協会が横綱も大関も一人しかいなくなった事態をどのようにして解消しようと試みるか」だった。具体的に考えれば「どうやって貴景勝の昇進を横綱審議会(だったか?)の議題にかけられるまでの成績を挙げさせるか、または挙げるか」に掛かっていたのだろう。

私はこの力士は「四つに取り組まない」面白い人であると同時に、取りこぼしが多い不安定さから抜けきっていないのが問題だと見ていた。それが、今回は相手にする全員が格下であれば、全勝で優勝しても不思議はないにも拘わらず「負けに不思議無し」のように3回も負けていた。

協会側はアナウンサーたちが「優勝と綱取りが掛かった一番」と叫んだ相手は前頭8枚目と13枚目だった。勝って当然なのに、テレビも新聞も事前には「勝負は解らない」と言って騒いだ。貴景勝を評価していない証拠ではないか。

だが、貴景勝は千秋楽に前頭13枚目でしかも高校の後輩だったかと優勝を争うように割り当てられ、大関から陥落して尚且つ負け越した関脇の正代とは当たらなかった。正代にとって大いなる屈辱だったと思う。それでも、テレビも新聞も「貴景勝の横綱昇進は来場所の成績如何である」と論じている有様だ。来場所に果たして貴景勝が12勝3敗と同等かそれ以上の成績を残せるのだろうか。それが問題では。

解説者の中には大関から落とされて今回漸く十両優勝に漕ぎ着けた朝乃山が「今年中には大関まで上がってくるのでは」と予測する者がいた。四つ相撲とやらになると脆い貴景勝が必死の勢いで上がってきた朝乃山と当たっても勝てるのかなと、今から興味深いのだ。

相撲という競い方を冷静に見ていて感じたことがある。それは「今では力士たちの強さも弱さも平準化して横綱や大関たちと、平幕と呼ばれている地位にいる近代の良い物を食べて合理的に鍛えられてきた体格と身体能力に優れた若い年齢層の連中とは、殆ど体幹の力の差が無くなってしまったのではないのか」なのだ。

換言すれば「無闇に食べて体重を増やしてきた過去の育て方では、合理的に鍛えられた有名高校や大卒の者たちには勝てないのでは」という事。

更に言えば、何も相撲界だけに限ったことではないが、旧時代に育ち、その頃の英雄だった高齢者が現在の若者を「精神力」だの「気合い」などを基本にした指導法で育てる時代は終わっているのではないかということなのだ。相撲部屋にウエイトトレーニングの設備があるかどうかは知らないが、太鼓腹を以て尊しとした時代ではないのではないだろうかと、相撲否定派にして相撲知らずが考えているのだが。