新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月9日 その2 大学ラグビー選手権決勝戦観戦記

2023-01-09 15:13:02 | コラム
帝京大学が勝って安心した:

私の偏見ではないかと思われそうな話になるかも知れないが、昨8日は帝京大学対早稲田大学の決勝戦をやや緊張して見ていた。と言うのは、既に見てあった準決勝戦2試合の結果では、どう考ええても帝京大学の圧倒的優勢は動かないと思っていた事と、私自身が早稲田大学のラグビーのファンではないからである。

それだけではなくて、新聞やテレビの論調は、対抗戦では帝京大学にも明治大学にも負けて3位に終わった早稲田大学が奮起して王座を取り戻す壮烈な戦いに期待しているかのようだったから。私はそうとは見ていなかったが、そうなってしまうかも知れない早稲田大学の運動部の「精神力の強さ」を、70年以上もの昔から見てきたからだ。

ここからが私のNHK他の報道機関に対する偏見というか反感とも言われそうな考え方で、彼らは「ラグビーを何ものにも優る勇壮で男らしい紳士のスポーツ」であり、特に伝統ある早稲田大学対明治大学の対戦を(私に言わせれば異常なほど)尊重するのだ。彼らは既に発祥の地であるUKでは「死語」にも等しいと聞く“No side!”を未だに必ず試合終了と同時に叫ぶのだ。

しかも、この試合は何故か改装前から秩父宮ラグビー場ではなく、構造上インゴールが狭くなってしまう国立競技場で開催し、NHKに至っては地上波で中継放映するのだ、フットボールの甲子園ボウルもライスボウルもBSなのに。これが差別でなくて何が差別待遇か!と私は憤慨している。

と言うような次第で、私は筑波大学から11本ものトライを獲って所謂「ワンサイドゲーム」(英語は“one-sided game”だが)で鎧袖一触だったのをよく見てあったし、ラグビー界では「東高西低」の傾向があるにも拘わらず、関西で優勝した京都産業大学に辛勝した早稲田では、帝京が何本のトライを取って勝つかが私の興味と関心の対象だった。

だが、私は最大の問題点は「永年見てきたし、サッカー部の大先輩たちからも聞かされてきた早稲田魂というか、『ここという時に、それほどの底力があったのか』と感嘆させられる精神力の強さが何時爆発して、最近マスコミが好んで使い始めた“giant-killing”を成し遂げて観客を魅了するのでは」だと思っていたから。その「メンタル」の強さは、対戦相手との技術力乃至は体力の差など、見ている間にひっくり返して勝ってしまう凄さがあるのだ。

その辺りはNHKのアナウンサーたちが常に「流石、早稲田のラグビー」と賞賛する「ゴールラインを背にしたときのディフェンスの強さ」であり、如何なる不利な形勢でもものともせずに逆転する精神力(技術でもスキルでも無い)の強さなのである。

古き良き時代の昭和27年だったかの例を挙げておけば、サッカーのリーグ戦で言わば優勝決定戦となり圧倒的に有利と誰もが予想した慶応大学と対戦を全員で「我々は劣勢だし慶応よりも下手だが、全員で持てる力を限度一杯に発揮して勝って見せよう」と固く誓い合って、全日本代表級の慶応大学の主力選手を抑えきって見事に圧勝して見せた」のだった。

その辺りの凄さを、大学1年生から試合に出ていた高校の一期上のOさんから「まさか、俺たちが勝つとは思っていなかっただろう」と、試合後に胸を張って聞かされていたのだった。

私は「この早稲田魂というのか精神力が、何時如何なる形で帝京大学の技術と戦略と体力を凌駕しないという保証はない」と怖れて見ていたのだった。事実、前半の早いうちは早稲田大学の「強さ」が表に出てトライ1本分のリードさえして見せたのだった。形勢も互角な試合だった。

だが、帝京大学は焦りを見せずに着々と技術だけでなく、スクラムでは身体能力の強さまで存分に発揮して、筑波戦と同様に11本のトライを奪い取って73対20の決勝戦史上最大の得点で決着してしまった。11本のトライとは実に7分半に1本のトライを取っていたという意味だ。だが、早稲田魂はここでも遺憾なく発揮され、10本取られた後でも試合を捨てていなかったので、自陣からの帝京のパスのインターゼプションでトライを取り返して見せたのだった。

無情な言い方をすれば「早稲田大学の精神力を以てしても、帝京大学ラグビーの鍛え抜かれた強さには勝てなかった」とでもなるだろう。手に汗握るような試合展開ではなかったが、私には「帝京大学が大量得点にも慢心せずに何本でもトライを取ろうと手を抜く事無く最後までやり抜くかと、早稲田大学が試合を捨てる事無く最後までトライを取ろうとする努力するか」を80分間見せて貰えた、素晴らしい試合だった。私の期待は外れていなかったのだ。


何故我が国の経済が成長しないのか

2023-01-09 08:23:06 | コラム
人口が増えないどころか減っているからでは:

人口問題:
「何故、我が国は一向に成長せず、景気も回復しないのか」と「何故、賃金が上昇しないのか」を、銀行OBの級友(旧友)と語り合ってみた。アナログ時代の二人が導き出した結論は簡単で「我が国では人口が減っているからだ。単純に考えてアメリカの景気が好調なのは人口が1990年代から(その構成は別にして)一気に30%近くも増えて3億3,000万人にも増加したからではないか」だった。

即ち、トランプ前大統領が政策であれほど嫌って見せた南アメリカ等からの非合法を含めた移民が急増し、その他にも世界から理想の楽園だと思って発展途上国やって来る流入人口も増えれば、何が何でも需要も増えただろうし、それに対応する生産設備への投資が雇用を増やしただろう。1980年代にニューヨーク支店に勤務していた彼は「40年も経てば人口が6~7千万人も増えたとは」と驚きを隠さなかった。

更に意見が一致した事は「アメリカに較べれば、我が国では人口の減少傾向が止まらず、そこに今や65歳以上の「非生産的な?」とでも言いたくなる(我々もその一人だが)高齢者が増えれば、消費への出費が総体的に減少するのは当然だろう」だった。

現に1936年生まれのYM氏などは「今更衣料などは新たに買うどころか、堪ってしまったものをどうやって処分するかに悩んでいる。要するに、我々は最早消費の伸びに貢献出来る余地など無くなっている」と言っていた。彼のように富裕であれば「買わずに済ます」のだが、人口の25%以上を占めるに至った高齢者の中には、可処分所得(貯蓄?)に余裕がない人たちも多いのではないか。内需が盛り上がらない訳だ。

中小企業:
次は「事は人口だけではあるまい」だった。それは「我が国に何百万もある会社組織の中で中小以下の企業は、お馴染みの小西美術工芸社長のデイビッド・アトキンソン氏(David Atkinson)が何時も力説するように、それこそ全体の99%近くを占めているのだから、これらの企業を再編成でも出来ない限り、幾ら岸田総理が財界に賃上げを切に要望しても、この99%の隅々までに賃上げが及ばない限り、景気の好転は現実的ではあるまい」という事。

我々が一致した点は「確かにアトキンソン氏が言う通りかも知れないが、未だ嘗て大手企業が抱える無数にある下請け組織に組み込まれた中小以下の企業を、どうすれば再編成出来るかの方法論を、具体的に発表出来た経営者も学者もいないではないか」だった。言うなれば「中小企業再編成は理想論に過ぎず、非現実的な主張だろう」なのである。

私はずっと「何とか出来ていないのは(大企業)経営者の質の劣化である」説を信奉してきた。だが、経営者の方々は上述のような簡単な問題点は熟知された上で経営の任に当たっておられるのだろう。だが、中小以下の企業を再編成して我が国の十重二十重のようになってしまった産業構造を立て直せるものだったならば、「失われた30年」の前の“ジャパン・アズ・ナンバーワン“と褒めそやされていた時期に着手しておけば良かった」と考えていた。

異次元の少子化対策:
しかしながら、世界を見渡してみれば、13億とも14億とも言われている人口を擁する中国、人口が間もなく中国を抜くとも見られているインド等では経済成長があって世界に与える影響が非常に大きくなってきたし、アメリカも人口が増加しただけの成長があったようだ。この点を考慮するときに、岸田総理が唱えた「異次元の少子化対策」は、将来を見通した適切な政策であると思っている。だが、その政策が現実的に効果を発揮するのは何十年先になるのだろうか。

となると、少子化対策の前に「戦時中の『生めよ、増やせよ』のような頃にまで戻って、人口問題を見直す必要があるのでは」と考えてしまう。我々の悲しい結論は「最早90歳台に入った我々の世代では、景気回復に貢献のしようがないではないか」だった。あーあ。