新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月30日 その3 「立憲民主党の代表選挙」はその2でした

2021-11-30 14:02:39 | コラム
各位

先ほどの「立憲民主党の代表選挙」は11月30日 その2であるべきでした。粗忽でした。お詫びします。

真一文字拝

立憲民主党の代表選挙

2021-11-30 09:13:23 | コラム
殆ど関心がなかった立憲民主党の代表選挙:

本11月30日で何方になるかが決まるのだそうだが、殆ど何らの関心がなく、テレビ局が取り上げるのが鬱陶しかった。何時かはこの事にも振れようかと思ってはいたが、花田紀凱氏がHANADAで完膚なきまでに批判していたのを見ては、その意欲すら失せかかっていた。私は日本維新の会の馬場幹事長(間もなく当時となるようだが)が「立憲民主党は要らない」と言っていたのを見て「誠に以てその通り」と心の底から同感だったのだ。そう思わせていた最大の原因は、枝野幸男の「反対の為の反対」が主力の姿勢だった。

テレビ局が頼みもしないのに候補者4名を並べては、政権の如き事を語らせてはくれるが「政権を取れればとか」「取る為には」と言ったような趣旨で語っていることの内容は空疎であり、具体性に欠けているので「またやっているのか」と思って聞き流すか、「シカト」することにしていた。あの4名を見せられると、民主党が如何にこの党にはこれという人財が乏しいかが、悲しいほど見えてきたのだ。それが彼らの所為なのか、長い間の自公政権の陰に埋没していたのかは不明だが、もっと他に隠れた賢者はいなかったのかとすら同情したくなった。

確かに泉健太は「批判と非難に明け暮れてばかりでは」と反省の弁を述べていたし、小川淳也のようにフジテレビだったかに頻繁に出ていた、テレビ的には顔が売れていた者もいた。だが、自分の党の代表に選ばれる為に、テレビで売名行為をしようとする意味が不明だった。逢坂に至っては、名前の誠二を思い出せなかったが、彼がPrime Newsに出た時に「立憲民主党にしては筋が通っているまともな議員」と評した記憶があるが、候補者としては空疎なことばかり言っているという印象。西村智奈美は論外だと思う。

泉健太が反省して見せたように「マスコミ、就中朝日新聞の後押しの下の揚げ足取り政党」からの脱却は必要なのだろうが、多数決が大原則の民主主義政治にあっては、野党第一党などとほざいてみても、あれほどの少数派では、聞こえが良いかも知れない政権奪取を掲げることが空疎にしか響かない。連合の芳野会長は国民民主党との連携を示唆されたようだが、今となっては玉木雄一郎が「そうですか」と乗ってくるだろうか。本日でこの鬱陶しい選挙が終わるのが待ち遠しい。


優勝するということは

2021-11-30 08:19:00 | コラム
産経抄氏は「ハンカチを片手に見ようとは」と振り返っていた:

去る29日の産経抄では「日本シリーズをハンカチ片手に見ようとは思ってもみなかった。ヤクルトが5時間にも及ぶ熱戦を制した瞬間、主力の山田や村上、ベテランの青木までが男泣きしているではないか」と、勝者の喜び方が見る者に与えた感動を述べておられた。

確かに、冷静なる評論家を標榜する私も、ヤクルトが宗のセカンドゴロを山田が裁いてオスナが送球を取ったときに、足を早くベースから離しすぎたのではないかとヒヤヒヤしたが、優勝できたスワローズの監督・コーチと選手たちの喜びがどれほどのものかを想像して、危うく涙が出そうな思いだった。決して良い試合だったから感動した訳ではない。私は何時もテレビで中継されるあらゆる競技の大きな大会の決勝戦を見逃さないようにしているのは、勝者が喜ぶ様子を見て、彼らの胸中を察したいからなのだ。

私には正直なところ、その勝者たちの喜びがどれほど大きいものであるかが解らないのだ。何故解らないのかと言えば、自分が旧制の中学から大学までのサッカー生活でも会社員となってから経験したその業界の準硬式と軟式の多くの野球大会でも、一度も優勝を経験できなかったのだ。お恥ずかしながら、高校の頃に甲子園に出て優勝した野球部の連中と親しくて、練習が終わった後で彼らと一緒になって「硬式野球」をして遊んでいたので、会社では何と投手だったのだ。

我が湘南高校のサッカー部は昭和21年の第1回国体の中学校の部で優勝したが、その時の私は負傷休養中で神戸には行けなかったので、感激も感動もその場では味わっていなかった。23年の福岡国体では決勝戦に広島師範附属高校に1対0で無念の敗戦で、ここでも「優勝」の感動も感激も経験できずに終わった。ところが、24年には初めて甲子園に出ていった野球部が、失礼を顧みずに言えば「まさか」の優勝で、またしても他者の優勝を喜ぶだけで終わっていたのだった。

ここまでに述べてきたことは、単なる勝利ではない「優勝」をした経験がなかったので、人生に一度でも良いからその道に励んできた者としての、何物にも代え難い感動(なのだろうか)を味わっておきたかったのである。その喜びがどれほどかを知りたかったのだ。その思いがあるだけに、スワローズのあの日本シリーズ制覇や、オリンピックで優勝した選手たちの感動と感激がどれほどのものかの想像は出来ても実感を伴う訳がないのだ。そういう意味からしても、自分で経験できなかったという意味での「涙」でもあるのだ。

ここから先を言いたくて採り上げるのではないが、スポーツの世界では優勝はなかったが、アメリカの会社の一員として、我が事業部が我が国に向けての液体容器原紙の市場占有率の#1の地位に到達したときは、副社長以下で静かに感動を味わったのだった。だが、その後になって経験した「首位の座を守る」苦しさは事前には夢にも思わなかった苦難の道だった。

即ち、抜かれたcompetitor(と敢えて英語にするが)はあらゆる手段に訴えて引き摺り降ろそうとかかってくるし、業界のリーダーとして果たすべき目に見えない役割をある。それに王者(というが)としての振る舞いを取引さからも全紙パルプ業界からも期待されるのだ。ナンバーワンになった感動も喜びを味わうことなどは瞬間的に終わって、「明日からどうするか」の準備に副社長以下全員で入っていったのだった。この辺りは運動選手たちと(運動選手たちも)同じ境地にあるのだろうと思う。