新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月23日 その2 11月23日は

2016-11-23 17:50:42 | コラム
新嘗祭だった:

午前中は寒空をものともせずに、十分に厚着をして家内とともに散歩をかねて高田馬場駅前方面に出かけた。目的の一つには駅前の西武のビッグボックス内のUNIQLOの安売りのチラシに釣られて、”HEATTECH”の「極暖」のアンダーシャツを買おうというのがあった。店中には何時もの数倍のお客の入りだったが、考えてみれば「勤労感謝の日」とかの休日だったようだ。その昔は「新嘗祭」だった日だ。最早感謝すべき対象となる勤労とも縁が薄れたが、その祭日を利用しようとした次第。

この「極暖」はUNIQLOの数ある商品の中でも傑作の部類だと思っているので、これから本格的な寒さが襲ってくるのに備えて去年に引き続き在庫を補強しようとした次第。無事に買い物を終えて午後からはサッカーのJリーグのチャンピオンシップ戦の第一段階である鹿島アントラーズ対川崎フロンターレの試合をさしたる期待も興味もないままに観戦した。実は、近頃はJリーグのサッカーは余りテレビ観戦をしていなかったので、顔と名前が一致する選手が少なくなったという不真面目な評論家なのだ。

何故興味を失ったかと言えば、矢張り偶にニュースで見るヨーロッパのサッカーと比べて余りにもスピード感に乏しく、余計なパス回しばかりに終始し、カタカナ語にすれば「スリルがない」のである。しかし、通年でリーグ戦の勝ち点が2位対3位の決戦である以上、何らかの見所がありはしないかとのほのかな期待感はあった。試合開始前の閃きでは上位のはずの川崎には勝ち目がないと出ていた。結果も遺憾ながら勝たせたかった川崎の敗戦だった。

私が見るJリーグというか日本のサッカーの数ある問題点の中でも先ず気にかかるのが、後陣でも何処でも誰かがフリーでボールを持った時に幾ら周りを見渡しても誰も動いてるフリーになろうという努力を怠る点だ。これでは攻め込む切っ掛けが作れず、ただ単に味方同士で無駄な横パスか後ろへのパス交換で時間を空費するだけだ。この点が欧州勢の無駄走りを含めての積極的な動きとの大いなる違いである。物足りない。子供の頃の育て方に欠陥があるのかと疑っている。

次に気になるのが、パスの出し方と受け手の動きだ。昭和20年に湘南中学の蹴球部に入って以来「大原則」として教えられたことが「受け手の動きを止めるようなパスを出すな。常に前進を図れ」だった。現在の選手たちの球慣れと扱いの上手さは我々の時代の比ではないが、彼らは何を思ったのか常に受け手の足下にピタリと入るパスを正確に出すように仕込まれてきているのだ。即ち、受け手の前進乃至は動きを阻むパスしか出せないのだ。

要するにお互いに静止している同士でのパスしか出せないのだ。更に動きの中というか流れるように前進(時には局面での必要に応じて後退する場合もあるが)しながらのパスを続けられないのだ。これでは相手の守りを切り崩す形にはならないのは当然だろう。それだけではない。何時だったか木村和司が批判していたことで、私が賛成したことで「ゴール前へのクロスなるものを外側から上げる際に、中に入っている(待っている?)FWその他の者が上がり過ぎている為に、表現が難しいのだが、上手く対応する時間的且つ場所的に余裕がなく、デイフェンダーなる者たちとの競り合いで負けてしまうことが多過ぎるのだ。

この点もその昔に教えられた原則とは大いに異なっているのが気になるのだ。即ち、「クロスの標的となるべき逆サイドを走ってくる者の前を狙って上げるべきで、(フットボールでいう「リード」をつけたパスを上げろという意味)デイフェンダーと並んでクロスが入ってくるのを待つような形にするな」と教え込まれていたのだった。思うに、時移り、人が変わり、サッカーも進歩し、フォーメーションも戦術も変化して、昔の大原則が通用しない時代になってしまったのかと解釈するようにして諦めている。

ところで試合だが、そういう動きの点では約半日ほどの長があった鹿島アントラーズの金崎なる私の好みではない者が、難しい左からのクロスに、川崎のデイフェンダーと競り合いながらヘデイングを決めた1点で逃げ切ってしまった。解説の山本昌邦は非常に緊張感がある良い試合だったと絶賛していたが、テレビ観戦した者の目には両方が懸命にやっているのは伝わってきたが、スピード感と欧州のような動きの中での流れるようなパス交換が出来ていない辺りがもどかしく、折角の熱戦も中途半端な印象に終わったのは残念だった。さて、次なる浦和レッズが鹿島ととどのように戦うのかには少しは興味も関心もある。

さて、kazkさんはこの試合を見ておられただろうか。もしかして、裏番組の慶応と早稲田のラグビーだったか。


海外でのお買い物の零れ話

2016-11-23 09:40:03 | コラム
「偽ブランド品」ではない!:

昨22日は雨も上がって気分良くジムに出かけた。運動を終えシャワーを浴びてロッカールームで着替えているところに、顔馴染みの気っぷの良い仲間が「良いシャツを着ている。お洒落だ」と褒めてくれた。そこで「実は、このシャツはそんじょそこらのシャツとは違っていて、何と北京製のバーバリーなのだ」と説明した。彼ともう一人の居合わせた人も怪訝な顔をしているので「それでは」と故事来歴を説明した。

それは1990年代末に初めて北京をパック旅行で訪れた時のことだった。目的はただただ万里の長城を見たかっただけだったが、その後でガイドがお定まりの土産物店にご一行様を案内したのだった。ご案内の方も多いとは思うが、その目的は売上げから彼(または彼女)にいくらかの戻しがあるのだ。だが、誰も何も買わずに終わりそうだった。その時に私が偶々目に止まった邦貨で¥8,000にもなるバーバリーのシャツを手に取ってしまった。そこに店員が食いついてきたので、「¥8,000は高すぎる。どうせ偽ブランド品だろうに」と冷やかしてしまった。それが切掛けだった。

すると、彼は「何を仰いますか。歴とした本物です。何しろバーバリーの下請けをしている工場から生地とボタンを貰ってきて作ったものですから。チャンとロゴマークだって入っているじゃありませんか」と反論してきた。何れにせよ、買う気はないので店を出ようとすると彼が追いかけてきて「それでは20%引くからお買い上げを」と迫るので「高い。精々5,000円程度の代物」と言い返すところにガイドがやってきて「何とかそこで折り合って下さい」と半ば懇願され、押し問答の末に買ってしまうことになった。

「何ともはや」という事だったが、この時にはもう一つ面白い出来事があった。それは恭しくガラスのケースの中にあったまがい物と覚しき”Rolex”の時計を一行中の青年二人が「ナンチャッテだろう」冷やかしていたのだった。ところが売り場にいた若き女性も然る者で怯むところなく「いいえ、チャンとした香港製のローレックスという本物です」と切り返した。流石の二人も返す言葉もなく大笑いして戻ってきたのだった。現在の中国がこのような面でどう変わっているだろうか。

次はアメリカでのこと。私は仕事柄何度も日本からお見えになる団体のお世話をしたことがあった。その時は恐らく生涯で初めてで最後のアメリカ旅行になるかも知れない方が多い団体をシカゴで”Magnificent mile”と呼ばれるかの有名なる”North Michigan Ave.”にお買い物にご案内した。先ずは”Brooks Brothers”に入店し、紳士物用品のネクタイ、シャツ、ベルト等々をお土産用も含めて大勢で買いまくられた。店員たちも応対に大童だった。ところが一向に仕事が捗らないのだった。

そこで「時間が限られた団体だ。何をやっているんだ」と質すと、困ったような表情で「これほど一度にギフト用の箱が必要になったことがないので、地下の倉庫に係の者を取りに走らせたところで暫時お待ちを」と答えた。それで何とか包装が始まった。ところがその後直ぐにまた停滞した。「今度は何だ」と詰問すると「これほど大勢のお客様の全員が現金で支払われたことがないので、釣り銭用の現金が不足して、ただ今銀行に会計係が飛んでいったところです」という答えだった。これは理解出来る話である。何しろアメリカではクレデイットカードか小切手払いが普通で、現金での買い物客は希であるから。

何とかそこでの買い物を終えて次は両手にBrooks Brothersの大きなショッピングバッグを抱えた無慮20数名の方の先頭に立って化粧品ということで「壮麗なる」ノースミシガン通りを些か恥ずかしかったが、威風堂々と行進してデパートに向かった。そこでは何故かご一行様はシャネルには見向きもせずにクリスチャン・ディオールの口紅に殺到された。ここでも売り場の要員が不足して本来あるべき事ではないのだが、他のブランドの担当者まで応援に駆けつけた。そこで、中学と高校の同期生で去る旅行社の常務だった友人から聞いていた「ガイドへの心付けがある」というのを思い出して、軽い気持ちで売り場の責任者らしき青年に「何か忘れていませんか」と声をかけてみた。

すると、彼は慌てふためいた顔付きで「大変失礼いたしました」と何処かに走って行き息せき切って戻ってくるや、私に高価な香水のセットを差し出すのだった。なるほどそういうものだったかと納得したが「私はガイドではない。ご一行様のアテンドをしているアメリカの会社の社員である」と言って、英語にすれば”respectfully declined”で、謹んで固辞したのだった。

海外では色々なことがあるもので、文化というか言語・風俗・習慣の違いから予期せざる出来事に出会うものなのだ。他にも未だ数多くの興味深い上記のような経験をしていたが、それはまた何時か別の機会にでも。それよりも今日辺りではトランプ氏の「就任と同時にTPP離脱声明」でも論じていなければなるまいかと危惧するものだ。