新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月9日 その2 トランプ大統領の誕生

2016-11-09 18:37:51 | コラム
驚きだったのか?

明日にでも落ち着いて考えを纏めようかと思いますが、取り急ぎ一言。我が国に数多くおられる有識者や何とか問題の専門家と言われている方々のアメリカについてのご意見の多くは「外側から見たアメリカ」、「情報や統計資料に基づいた知識」、「留学と駐在期間に知り得たアメリカ」であって、後難を恐れて私が言えば「皮相的」(=skin deep)であると思えるのです。

別に威張って言うのではありませんが、私は2社で22年半彼らアメリカ人の哲学と思想と築き上げてきた組織とその(輝かしき?)歴史の中で、彼らの為にと勿論自分の身を守る為に懸命に働いてきました。そこでは彼らの文化に同化して彼らの一員として努める以外の選択肢はありませんでした。そして知り得た「アメリカ人とは」、「アメリカの支配階級と被支配階層にいる者たちは何をどう考えているのか」を基にしてアメリカを論じてきました。

結果的には、私のアメリカ論に心の底から賛成するか、理解してくれる人は少数派でした。英語論も同様ですが。その私から見れば「ひょっとしてトランプが?」はあり得るかなという感覚はありました。だが、何故か、何を恐れたのか、遂に言い出さずに終わりました。そして、小声で言いますが、「有識者の方々は何処を見ておられたのかな」なのです。だが、本日の今となっては結果論であり、胸を張って言うことでもありますまいが。

アメリカ大統領選挙を回顧すれば

2016-11-09 16:42:30 | コラム
トランプが勝利と仮定して:

16時を過ぎた時点でトランプの244対クリントンの215でかい票が止まったままである。NYタイムス他が80%の確率でトランプの勝利と言い出したとの報道に基づいて、この回顧談に着手した次第だ。と言うのも、我が国の各テレビ局の見込みでは午後1時過ぎには結果が判明するだろうとなっていたのを信じて、その後で回顧談を書こうかと考えていた次第だ。だが、痺れを切らして着手したのである。

正直に回顧して、私は一度もトランプとクリントンの何れが勝利するかについて、自分の予想を述べたことはなかった。これまでに述べてきたことは全て日米の知り合いの意見を紹介してきただけで、言うなれば伝聞だけだった。即ち自分は「こう思う」と言うだけのガッツはなかったのだ。そこを言い訳すれば「そこまで言い出すだけの材料の持ち合わせがない、遠く離れた日本にいてそんな思い切ったことは言えない」なのだ。

しかし、「クリントンは98%の確率で大勝利だ」という2%のチャンスをトランプに残したYM氏の意見、「トランプが共和党の候補者に選ばれれば”disaster”だ」というテクニカルサーヴィスマネージャーの意見、「アメリカ人の良識がトランプを選ぶ訳がない」という元の同僚等々、ごく当たり前のようにトランプを排斥する意見ばかりで、トランプの不利としか見えなかった。ただし、そのクリントン優勢の意見の中にも「これまでに共和・民主の何れもが3回連続で勝ったことがないのを忘れるな」という元大学院大学教授の指摘が何となく印象深かった。

そこまでのことだが、私はこれまでの人生で(は大袈裟かも知れないが)「圧倒的多数が予測乃至は予想することは、またはマスコミが挙って礼賛すること」に対しては何となく胡散臭いものを感じ、全く何ら理論的または具体的な根拠もなく、その反対のことが起きるような気がしていたことが非常に多かった。事実、屡々その反対のことが現実となったことはあった。例を挙げてみれば、と言っても、自分では何にも考えていなかった「UKのEU離脱」のような大逆転のようなことだ。

という次第で、このアメリカ大統領選挙でも、例によって例の如き閃きでは「これほど圧倒的多数の良識人と大権威の評論家等々が『クリントンの大差での勝利』を見込んでいる以上、ひょっとするとトランプの勝利があり得るのではないか。だが、そうなっては我が国にとって余り芳しくないな」となっていた。だが、何となく「トランプの大方の予想を覆すだろう勝利」を言い出そうとしなかった。それはガッツ不足も兎も角、外れたら格好が悪いとの躊躇いもあった。

それにも拘わらず、16時30分の時点で未だ決着がついていないにも拘わらず、この一文を躊躇しつつも発表しているのだ。