新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月29日 その2 YM氏と語り合った #2

2016-11-29 13:20:56 | コラム
アメリカが心配だ:

昨日掲載したこの会談記が余り受けていなかったようだったので、かくてはならじとばかりに少しだけ手を加えて興味を持って頂けるようにして再度ご覧に入れますので、宜しくご一読賜りたく。

久し振りにYM氏と語り合った。彼の交際範囲にあるアメリカの人たちの多くはトランプ氏の当選を予測していなかったので、彼が正式に大統領に就任した後の展開が読みにくいと困惑している模様だとか。彼が見るアメリカ経済の現状は

「未だ未だ不安定で非正規雇用が増大する一方であり、既に40%にも達しているだけではなく、正規に職を得ている人たちも先行きの不安感に悩まされていると言える状態にある」

由。

彼は「アメリカでは当然の展開であるが、ICT化の普及というか進展はAIの類いの進歩を招き、結果的に人減らしの方向に進んで行ってしまった」と見ている。それでは雇用を減少させるICT化を推し進めAI等の研究開発を何故一層進めるのかとの疑問が生じるだろうが、それは企業としてはR&Dの部門を強化していかないことには、時代に遅れるだけだとの危機感があるからだと考えれば納得出来るのではないかと、彼は言うのだ。

また、雇用の問題では一般の企業が容易に増員に踏み切れない状況下では、州立等の四大卒とそれ以下の人たちが何処を目指せば良いのかということになる。そこには、これまでは軍隊があったが、そこにも今や安直に増員出来ないような国際情勢があると見られるのだそうだ。それに、3億2,000万人にまで膨れ上がった人口の中にはトランプ次期大統領が目の敵にしてきたヒスパニック系の他にも、アジアからの流入人口が多く、その連中が低層の白人たちの職を脅かしているという問題もある。(この点は同感だった)

彼は

「トランプ次期大統領は案外に自分が当選するとまでは本気で考えていなかったのではないか」

とすら疑っていると言う。そうでもなければ、あれほど気楽に?所謂暴言を連発してしまう訳がないとすら考えていると言うのだ。不動産業の分野で成功を収めた経験があるだから、経済にはある程度以上の具体的な政策を打ち出せるだろうが、その他の面では未だ彼の正体というか、実際に何をするかを予想しがたいと見ていた。

マスコミ報道では「トランプ次期大統領の「政権移行テイーム」の結成が遅れており、未だに固まっていないかの如きだ。だが、それは考えられないことで、どんなに遅くとも7月の候補に選ばれていた時点で着手していたはずだし、そうするのが常識である」と指摘していた。しかし、トランプ氏の登場によって最近声高に言われているように、明らかにアメリカが分化(divisionという言葉が使われているようだが)してきたようで、その先行きが懸念されるとも指摘していた。

それは、私が見る限りでも「リベラル対保守」であり「一定以上の富裕層対低層乃至は嘗てのマイノリティー」でもあるのだろう。




「アワード」って何だ?

2016-11-29 07:42:30 | コラム
「日本語の表音文字化を嫌う」ので「アワード」は許しがたい:

昨日、掲題の一文の中で、

<更にこの機会に、「何も知らずに使っているアナウンサーやスポーツ番組の解説者や、無知で無学な(失礼)テレビ・タレント(これも造語だろうと思うが)たちの悪影響が最早無視できない段階に至っていることも言っておきたい」であった。その手っ取り早い例"いくつか挙げてみれば、サッカーなどで「降雨の後などでピッチが滑りやすくなってしまった状態を「スリッピー」と言っているのは「スリッパリー→“slippery”」の誤りであるとか、“award”を「アワード」と言っているようなものである。>

と論じたばかりなのに、昨日のNPBの今年度の表彰選手関連の報道で、テレビでは司会者だったか誰か知らないが“award”を例によって例の如くに「アワード」と言い、産経新聞も「アワード」と表記した記事を堂々と載せていた。どのようなカタカナ語を誰が使おうとご勝手にと言ってきた以上、どうにもしようがないとは思う。だが、新聞社にもテレビのアナウンサーやプロデユーサーやデイレクターには問いかけてみたい「貴方たちは大学までの学校教育で如何なる英語を学んできたのですか。英和や英英の辞書を持っていないのですか」と。

普通に英語が教えられ、それをチャンと学んでいれば、“award”と書いて「アワード」となることなどあり得ないのだ。この正しい発音は「アウオード」である。辞書を引いてみろ。何度でも言うが、テレビと新聞でこのような誤った言葉を使えば罪なき一般の方々は「それで良いのだ」と誤認識してしまうだろう。

私は彼らマスコミは某通信社が作成する「ハンドブック」にでも「アワード」とでも規定されているので、それに素直に従っているのかと疑う。何故「アワード」はおかしいとは感じないのか。それとも辞書で発音記号を見たことはないのか。単語として覚えれば発音などどうでも良いのだとしか思っていないのかな。乃至は「そう言わないと(書かないと)」上司に叱られるのだろうか。中学校か小学校では先生が「アワード」としか教えていないのか。彼らは恥ずかしくないのだろうか。

「アワード」などはおかしな発音をするカタカナ語のほんの一例に過ぎない。何が嬉しくて奇妙カタカナ語表記をしてそれを「本当の英語ではこうなっているのだ」と一々翻訳して考えねばならないような余計な手間をかけねばならないような事態に追い込むのか。それだけではない「リニューアルオープン」のような言葉の選択も誤りであるだけではなく、文法的にも誤っているカタカナ語を恥じることなく使わせているような教育をしたことを、世の英語教師たちは何とも思わないのか。とても正常な感覚とは思えないのだ。

昨夜からテレビ報道がウンザリだったし、非常に腹立たしかったところに、産経新聞の堂々たる見出しの「アワード」で堪忍袋の緒が切れる」状態に陥った。そこでその腹立ちをここに纏めた次第だ。