新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

甲子園の砂を持ち帰る文化

2014-08-13 08:05:02 | コラム
今年は高校でもプロでもヒットの数が多い:

昨日も東邦高校が20本、日本文理が13本、大垣日大などは1回だけで8点も取られた試合で15本も打って12:10で勝ってしまった。当方は何となく高校、大学に加えてプロでも1試合で10本以上も安打が出ると「多い」に仕分けてきた。この現象が所謂「打高投低」かどうかは俄に断定出来ないと思うが、プロでも10本以上の試合が増えたのも事実。

昨日も、ヤクルトが前夜で10試合連続10本以上が切れたものの15本、中日は13本でも負け、オリックスも13本だった。兎に角良くヒットを打つ。だが、理屈を言えば「ヒットを打った」というのも変な表現だ。「ヒット」=hit であり、両方とも「打つ」という意味だから。アメリカでは「単打」を "base hit" と称しているが、その前に "single" を付ける説もある。だが、日本語の「シングルヒット」はおかしい。あれでは「1本の安打」になりはしないか。でも通用しているから、ま、良いか。

以前に「打つ方はマシンで練習が出来て技術に進歩の余地が残されているが、ピッチャーは変化球を増やすことは出来ても機械を使って練習する方法が開発されていない以上不利な点がある」との説を聞いたことがある。今はその不利が極限状態に達しかのかなどと考えている。

さて、高校野球である。教育の一環であるためかどうか、あの大会だけに限らず色々と仕来りというか独特の文化があると思って見ている。私は勝者も敗者も引率者が付いて退場するのは措くとしても、グラウンドに向かって全員が脱帽してお辞儀をして去って行くのは「典型的な教育の一環」であり、我が国の文化そのものであると思ってみている。柔道や相撲にも通じる「礼に始まって礼に終わる」のは良いことだろう。

次はこれも我が国の高校とアマチュア野球の独自の文化だと思う「試合開始前に全員がベンチの前に一列に並んで誰かのかけ声でホームプレート前に整列して、対戦相手とお辞儀の交換をする」のは見事ではあるが、少し野球を「野球道」にし過ぎているのではないかなと感じている。サッカーやラグビーではあそこまで教育の一環的要素がない運営の仕方だと思う。何れが良いかと論じているのではない。何故あれだけ違ったのかなと思うだけだ。

この辺で得意の?批判に行こう。先ずは「一塁にヘッドファースト・スライディング(ヘッドスライディングは和製語、念のため)をすること」から。あれは闘志を示して全員の士気を鼓舞しようとする姿勢の表れだろうが、滑るよりも走り抜けた方が速いと既に科学的に?立証されていても、滑り込みは止まらない。滑る訓練よりも短距離ダッシュの練習をすれば効果が挙がると思う。イチロー君が立証済みだ。因みに英語は "headfirst" である。

最後は反論する方が多いかと思うことで締める。それは敗者が涙ながらに持参した(何故用意されているのかが私には理解出来ないのだが)袋に手を砂で汚しながら甲子園の砂(土?)を掻き込んで記念にする情緒に満ちた記念品集めの行事だ。気持ちは解らないでもない。私の好むところではない。しかし、私の感覚では余り褒めたことではないと思うのが、その場面を地べたに這いつくばって写真を撮っているフォトグラファーの集団の行為だ。

あの場面の映像はテレビでも、何かの写真集でも見たことがないのは何故だろう。それとも敗戦校に「あの記念すべき場面ですよ」とでも言って全員の写真集でも贈呈するのだろうか。負けて泣いている者たちの写真を撮ること事態は私の好みではないので、お止めなさいと言いたくなる。

思い起こせば1948年=昭和23年に国体のサッカーで決勝戦に負けた後で、福岡平和台競技場の土を持って帰るなどとは頭の片隅にも浮かばなかった。甲子園野球では一体何時頃から何処の学校が始めた思い出作りなのだろうか。実は、補欠の部員として甲子園球場(のスタンドで応援に)に行ったことがある家内の甥は、チャンとその瓶詰めを大切に保管している。