新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

一寸気になるCMがある

2014-08-25 15:50:09 | コラム
一寸気になる大日本印刷のCM:

近頃、世界最大の印刷会社、大日本印刷がしきりにテレビにCMを打っている。だが、何故か大日本印刷の最大の競争相手である凸版印刷のテレビCMはついぞ見たことがない。

なお、この両社の売上高は連結でともに1兆5,000億円見当であり、何時の時代でも抜きつ抜かれつの競争を続けて来た。故に、何れが世界一かを俄に断言できない。なお、アメリカのマスコミというか専門誌の報道では、イリノイ州シカゴに本社を置く RR Donnelley (私は「ドネリー」が通称であると解釈している)が世界一だと言い張っている。この会社の売上高は約1兆円と見て見当違いではないと思う。

さて、大日本印刷である。あのCMをご覧になってお気付きの方もおられるかと思うが、一言も印刷の宣伝をしていないのだ。しかも、最近のものでは画面に漢字で「大日本印刷」と出た後で、音声と同様に、製紙と流通業界では誰もが知っている略称の "DNP" のアルファベットが漢字を消してしまうのだ。何故だろう。

実は、私は昭和32年(1957年)から(日本の会社に在籍していた頃の意味だが)1994年1月末でW社をリタイヤーするまでDNPの担当というか、同社と縁が切れたことはなかった。因みに、世界一を争っている凸版印刷とも1972年以降は深いご縁がある立場にあった。

DNPは、記憶は定かではないが、恐らく1960年代には印刷以外の分野に積極的に進出し始め、テレビのスクリーンに使用される「シャドーマスク」の生産を開始していた。思えば、その頃から大印刷会社は印刷媒体の今日の衰退を見通していたのかと感じざるを得ない。凸版印刷も、これも記憶は定かではないが、1980年代末期には「情報産業の会社」であることを標榜し始めていた。

私は印刷媒体がアメリカのみならず我が国でも凋落傾向にあることは、何度も述べてきた。先頃は、アメリカでは過去10年間に新聞用紙の需要が60%も減少したと指摘した。アメリカでも我が国でも、というか先進工業国では印刷媒体の衰退に伴って、印刷用紙の需要が減少し続けている。

話は変わるが、1994年になってから、当時通っていたジムで知り合った同族経営の製版会社(印刷関連の会社である、念のため)のオウナーが、印刷の将来を憂いて見せた私に対して「心配することはないよ。遅かれ速かれ印刷なんていうものはこの世から消えるものだから」と、事も無げに言ってのけたのだった。慧眼というか鋭い将来への見通しであると思った。

ICT化によって紙ないしは印刷媒体の需要の落ち込みが止まらない。その最中にあってDNPはCMが示すように、今後益々印刷への依存度を引き下げていく計画なのだとしても、何ら驚くには当たるまい。その端的な表れがCMでは印刷事業には触れず、印刷の二文字が入った社名の上に略号の "DNP" で消していく辺りに、印刷と言うよりも紙の需要の将来が暗示されているのかと思わずにはいられなかった。

果たしてこれが異常気象の現象か

2014-08-25 07:50:02 | コラム
最早この観測史上希な降雨を普通と捉えていても良い時かも:

西日本、就中広島市の大豪雨とその甚大な被害状況を、数人の知り合いと語り合った際に「最早この一連の現象を地球温暖化であるとか一時的な現象とか、気圧がどう動いたからこうなったというような捉え方で語る時期は過ぎてしまったのではないか。このような言わば亜熱帯的な気候に我が国が組み込まれてしまったと考える方が自然ではないのか」との異見を唱える者が多かった。私には反論ないしは否定する材料の持ち合わせはなかった。

テレビにこういう痛ましい事故があると必ず登場する専門家のほとんどが「最初から予見できていた事故であり、危機が迫った際の行政なり地方自治体の対応に改善の余地があったのではないか」などと指摘する。何も解らない私にはご尤も至極と聞こえる。

しかし、所謂「ハザードマップ」(災害予測地図)の作成作業と地元の合意を得るのか如何に大変かという説明を聞くと、私益(私損)と地域全体の安全の何れかを優先するかとの判断が、当該地域の住民にとってはとてつもなく重要な案件だと解る。地方自治体の押し切れないとの釈明にも一理ないしは半理くらいはあるようだ。

そのことはさて措き、気象条件がここまで従来の美しき四季の変化を楽しむことが出来た我が国独特の形から、集中の超豪雨が毎年のように襲ってくるように変わったのであれば、最早これまでの常識であった対応策を捨てて亜熱帯式な気象に対応する態勢に換えておかねばならないのではないかとすら考えている。そこには当然公的資金の投入も必須となるだろう。財源の問題も出るだろう。だが、予防は最善の治療なりという言い慣わしがあると思っていれば良いのではないか。

私の1970年8月のマニラでの経験では、取引先のマネージャーの家に夕食に招待さレている間に、あの地方独特のスコールというのかどうか知らないが、大豪雨があって帰りの道路が冠水し、2~3時間拘束されたことがあり、東南アジアでの豪雨の恐ろしさを経験した。我が国起きている豪雨による大規模損害と犠牲者の報道を見れば、我が国は徐々に東南アジアに近い気象条件に移っていっていると感じてしまう。

最早二酸化炭素発生がどうしたの化石燃料を動力源とする自動車を Hybrid に変えたくらいで追いつく時期は過ぎたのではないかと思わされてします。しかも、我が国が幾ら正統な努力を積み重ねても、我が国の周辺には未だに環境対応と保護が揺籃期にある国が多くはないか。さらに夢のような考え方だが、森林の徹底した管理と土壌の改良にも "Better late than never" の精神で着手して貰いたいと思う。