新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

東洋人に信頼される我が国のブランド品販売

2014-08-03 16:59:23 | コラム
東洋人が減少していた軽井沢のアウトレット:

実は、1年振りに軽井沢のプリンスショッピングプラザなる西武のアウトレットにも寄ったのです。その人波も兎も角、中国語等のアジア系の言葉を話す者が以前よりも激減していた感がありました。これがプラザ側にとって良い傾向かどうかは俄に判断出来ませんが、日本人が増えていたのだったならばある程度本格的な景気回復の兆しを示すものかと思いました。

振り返れば、約10年ほど前に三菱系の御殿場のプリミアム・アウトレットに御殿場駅から送迎バスを利用して訪れた際に、既に東洋人が圧倒的に多かったので驚かされました。マスコミ報道では、我が国で売られているブランド品には偽物がないのでアジア人、就中中国人に愛用されている由ですが、あの頃から我が国のアウトレットの評価が高かったのには、真面目なお国柄が認識されていたのかと感じました。

プリンスショッピングプラザは規模も拡張され、地下の駐車場も地下が増えて散策にも利用しやすくなった感がありました。印象的だったのが、ITかの流れか駐車料金の支払いが機械化されて人員削減に成功?していたことでした。寧ろ、今頃自動化されたのが遅すぎるくらいでしょうか。

自動車の故障のお陰で

2014-08-03 08:00:15 | コラム
6年7ヶ月振りの新幹線:

去る1日に、実は前夜に心秘かに想定していた自動車の故障で、軽井沢駅から新幹線に乗らざるを得なくなった。車内で思い起こせば、実に2008年1月に東海道新幹線で静岡を往復したのが最後だったと気付いた。80歳を超えれば人生はかくも変わるものかと、秘かに感慨にふけっていた。大体からして券売機で指定席券を買った覚えがなく、今更ながらディジタル・ディヴァイド世代だったのだと痛感させられていた。

みどりの窓口では並んでいる人たちの数が券売機とほぼ同数で、行列選びでは常に最も遅い列を選ぶ天才的な才能があると自負している私は、卑怯にも家内を券売機に並ばせて勝負していた。正直に言えば、券売機には管理職かとも思える帽子をかぶった人が介添えをしているので、そちらが先になってくれれば良いと念じていた。そして念願通りの結果となって無事に席を確保出来た。

車窓から眺める景色も実は2006年9月に在来線に乗って以来のもので、複数のトンネルを抜けきった後の高崎から先は沿線の景色の変化を興味深く楽しんでいた。簡単に言えば、開発と言うか都市化が進み、熊谷駅周辺などはもう大宮まで来たかと思わせられるほど近代的都会(失礼)になっていた。しかし、大宮駅の周辺は遙かに近代的で、高層建築ばかりで谷底にいるような感じだった。

大宮にはこれまでに二度しか来たことがないので、以前の感覚はない。一度目は高校3年時に関東大会出場で一泊した経験があった。確か生まれて初めての芝生のグラウンドで試合をしたのだったが、後にオリンピック代表になった高林選手がいた(と思う)春日部高校に惨敗してしまった。この試合で初めて当時はFWと言っていた現在の攻撃的ミッドフィルダーに転向していた。二度目はリタイヤー後に親しくさせて頂いていた得意先の部長さんの御尊父のお通夜に伺った時だった。

大宮までの間は何処まで広がっているのと思わせる緑の畑と、大中小の企業の工場が非常に増えていたのが目立っていた。不勉強で埼玉県がこれほど稲作に集中しているとは知らなかった。軽井沢から上野までは約1時間で、あっという間の6年7ヶ月振りの新幹線だった。しかし、上野駅でどのプラットフォームにつくかの予想が全く付かずにいた。

何番線に降りたかも知らずに長い長いエスカレーターを2回も乗り継いで、漸く山手線に乗り継げる階に到着したのには恐れ入った。何しろ本来ならば自動車に積み込むはずの複数の大きな荷物を抱えているのだから、山手線のプラットフォームにエスカレーターで上がれた時は青息吐息だった。不幸中の幸いだったのは荷物の中にミネラルウォーターの瓶が入っていたことで、これがなければ熱中症で倒れていたかも知れないと思ったほどの暑さだった。

考えてみれば、こういうことでもなければ新幹線にも乗ることがなかっただろうし、沿線の変化というか進歩というべきか解らない発展の度合いを知ることもなかっただろう。故に、またとない機会を与えられたのかも知れないと受け止めようと考えている。何しろ、レッカー車に乗用車を引き上げる装置(?)も初めて見たし、上げていく作業も見られたのだから、人生何処まで行っても勉強かと痛感させられていたのだった。

最後に正直なところ、あの場での愚息の沈着冷静な対応に感謝すべきだったのかも知れない。だが、それでは単なる「子褒め」になってしまうかと危惧しているのだ。