新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

休暇を取る難しさと恐ろしさを克服するまで

2014-08-28 17:02:54 | コラム
アメリカの会社での私の休暇:

先ずは私自身の状況説明から入ることをお許し願わねばならない。

私は通算で22年半、2社のアメリカの会社に在籍した。全ての仕事が個人の単位で進行する社会というか文化の下にあっては、1週間の有給休暇(paid holiday と言うが)を取れることに踏み切れる覚悟が出来るようになるまでには、10年以上を要したものだった。お断りして置くが、あの世界の文化の中には「病欠」(=sick leave)もあり、会社のよって違うのだろうが、これも有給休暇である場合もあるようだった。

私だけの例を申し上げれば、我が事業部がその製品で日本市場で40%以上の市場占有率(マーケット・シェアーというカタカナ語もあるが)を取れるようになった(アメリカを含めて海外の同業他社は最大で4社あった、念のため)1980年代後半では、不在中には秘書の助けの下で取り計らっても立っても、1年間に東京事務所にいられたのは土日を除けば3日に1日程度だった。

詳細を言えば、本部での打ち合わせと会議、工場での打ち合わせ、お客様の旅行案内、アメリカ国内での出張等でアメリカに滞在しているのが平均年間に3ヶ月、本部と工場からの出張者と日本国内の出張が4~5ヶ月近くもあったので、腰を据えて自分のオフィスにいられたのは僅かな日数に止まった。しかも既に説明したように、私の不在中には秘書が私の代わりに私がなすべき判断業務はしない決め事だったから、オフィスに戻った後の仕事の整理は簡単なことではなかった。こレト秘書の負担を思う時に、休む決心をする度胸がつかなかったのだ。

余計なことかも知れないが、通勤定期などは買っても無駄になることが明らかだったので、給与に含まれて支給されたその分で毎日切符を買って通勤していたのだった。私は全てのアメリカの会社の在日事務所の社員がこういう態勢で仕事をしているとは思っていない。だが、私の場合を語れば、こういう条件があったということだ。

これでは俗に考えられている「アメリカの会社の社員の優雅で長期な休暇」などをうっかり取って、オフィスを空けていられるものではない、さらに秘書に要らざる負担をかけてはいけないと思わずにはいられなかった。その結果で、W社における最初の11年間には夏場には精々週末を挟んで金曜と月曜を休んで、当時住んでいた冷房など要らない藤沢市内の家でゴロゴロしていただけだった。

アメリカの社員でも休暇で行っている先、例えばハワイであるとかバックパッキングでの山歩きでの滞在先への連絡先を秘書に知らせていれば「それは本来の休暇とは意味が違う」との説を唱える者もいれば、几帳面に itinerary を残して電話番号まで知らせていく者もいた。私は後者の方だった。それほど気が小さいということでもあり、得意先に迷惑をかけてはと言うか、万が一にも私の不在で競争に負けることがあってはなるまいと思っていたのだった。

ここで一寸アメリカの休暇の実態に触れておけば、彼等は必ずし一部で想像されていたような優雅な休暇を楽しんでいたのではないのだ。例えば、ハワイ等には格安の航空券を買って行き、賃貸で自炊するアパートを期間限定で利用するといったようなもので、如何にして仕事を忘れて寛げるかが問題になっていると思って頂けば良いのだ。

また、日本に派遣されてきている所謂 "expatriate" には "home leave" という最短でも4週間程度の有給休暇を取れる制度があり、その目的地(必ずしもアメリだけではなく、オーストラリアでもカリブ海沿岸でも良いのらしいが)との往復の旅費は会社負担となっていた。だが、今日の長引く不況下でもこの制度が温存されているか否かは知らない。

私が本部の同僚たちと同じような1週間以上の休暇を取ろうと思い立って家内とともにヨーロッパに行けたのは、1992年のことだった。その際にもその計画を立てた後に予期せざる得意先の団体の本社と工場訪問団の訪米があったり、東京事務所の社内旅行(company outing 等と言うそうだ)の不参加が許されない等の想定外の事情があって、アメリカ出張後に僅か6泊で、フランス、UK、、オランダ(正式名称は the Kingdom of the Netherland だが)を回れただけに終わった。しかも、アメリカ出張の直前には、得意先の創立15周年記念の全社でのタイ国旅行にも参加させて頂いて?いたのだった。

ここまでお読み頂いても「一体、貴方は何が言いたかったのか」との疑問をお持ちの方は多いかと危惧する。要するに休暇とは「本来は精一杯寛いで、それまでの疲れを癒やし、倍旧の気力と体力で仕事に精を出せる態勢を整えよ」と会社側が期待して与えているものであって、個人ないしは精々家族単位で、部内の誰かとの重複は出来れば回避せよという意味があると思っていた。

さらに「8月には日本を含めて海外の事務所からはアメリカへの出張は回避せよ」というのが常識だった。即ち、「君が会いたい全員が揃っていない時期であり、非常に効率が悪い月のだ」という意味である。従って安全を採れば、夏場を避けて休暇を取ってくれとの言外の意味があるのだ。実は、私がヨーロッパを回ったのは春未だ寒い4月のことだった。

「俺が何日も不在でも我が事業部には何の問題も生じない」との確固たる自信が持てた頃には、リタイヤーの時期が迫っていた。これが何事でも個人の単位でとなる国での休暇の実態である。いや、私の休暇の姿だった。

昨27日に考えていた事柄

2014-08-28 08:32:56 | コラム
昨日は精神的に動揺していたが:

その原因は飽くまでも外部的なことであったが、落ち着かずに夜になってからは「どうせ巨人が優勝するだろうから」と決めつけてボンヤリと対阪神の野球をを見ていた。しかし、結果的には巨人が延長に持ち込まれて負けたので安心して寝ることが出来たのは、せめてもの救いだった。

我が国のNPBの野球を見ていて何時も感じることは「概ね大金を投じて連れてくるMLB崩れないしはなり損ない、就中南米の出身者が、我が国との文化と思考体系の違いを悲しいまでに見せていること」だ。回りくどい言い方を避ければ「役に立たない例が多すぎないか」ということだ。

その最も顕著な相違点は「南米系であっても、彼等は何処まで行っても個人としての存在を主張し、常に勝つか負けるかの一点に絞った勝負を挑み、ティームの為には二の次であること」だと思う。ビジネスの世界では「会社は自分の生活の糧を稼ぐための存在であって、そこに対して忠誠を誓うのは最優先事項ではない」のであり、会社側も「社員のための福利厚生は優先事項ではない」としているのと似ていると思う。

即ち、輸入された選手たち、特に打者は所謂「好球必打」よりも「ここで勝負」と固く心に決めていれば躊躇うことなく全力で振りに出ていく。自分の成績を良くすることを優先しているかの如くに見えるが、彼がその勝負でティームの勝利に貢献すれば結果的には所謂 "For the team" にはなるのだろうが。

だからこそ、彼等は相手投手が制球に四苦八苦していて、黙った立っていれば四球になる確率が高いと見えても、懸命に一球目から勝負に出て行く。日本の打者ならば自主的であろうとベンチからの指示であろうとも、先ずは勝負には出て行かない場面だろうが。

解説者はこのような勝負に出て行く場面、例えば走者が二塁にいる場合などでは「ティーム・バッティング」という造語を使って右方向に打つことを期待するのだ。しかし、輸入選手たちはお構いなしに全力で勝負に行く、仮令悪球であっても。昨夜は好機に凡退を繰り返した阪神のマートンなどは非常に賢明な選手で、日本式野球の文化を素早く消化していたが、それと凡退することは別な問題だろう。彼は昨夜は不調だったと好意的に解釈して見ていた。

私はこのような文化と思考体系の違いを技術的なこと以外に輸入選手たちに覚えさせることが、彼等と雇用主である球団のためにも肝要だと思っているのだが、中々簡単にはいかない問題のようだ。故に折角大枚を叩いて招じ入れた外国人が短命に終わるのだと私は考えている。この辺りの失敗は「買わない日本市場が悪いのだ(=自分の責任ではない)」と捨て台詞を吐いて撤退する外国企業にも似ているかなと思う。

しかし、私自身の経験からも言えるが、このような逆さの文化の世界に、その違いも弁えずに飛び込んでいった場合の順応する難しさなどは、その場に立ってみるか、立たされてみないことには見えてこないのが難点だろう。私はお恥ずかしながら「ここがこう違っていた」と本当に気付くのに10年以上を要した。

ここで敢えてやや本題から外れるが、文化の違い論を。彼等のというか異文化の欧米の世界で必要なことは「何者をも恐れずに自分を守るためには主張すべきことは論争と対立を賭けても主張すること」と「言いたいことを全部言わなくても以心伝心で先方が察してくれるだろうなどとは絶対に思い込んではならないこと」だ。彼等には行間や紙の裏を読むような親切な文化の持ち合わせがないと思い込んで掛かっていかねばならないのだ。

例えば、何処かの国家元首が我が国との首脳会談をするだろうという意味のことほのめかしたからあり得るだろうと考えるのも結構だが、極力そう言わせるように追い込んでおいて頂きたいものだと密かに考えている。彼等は「言っていなかったことは言っていなかったのだ」と撥ね付ける危険性があると思っている。